テーマ:政治について(19806)
カテゴリ:政について
1955年、日本の国政は、与党第1党は自由民主党、野党第1党は日本社会党がゆるぎなく占めていた。 このような状況を政治学者の升味準之輔が1964年(昭和39年)に発表した論文で「55年体制」と名付けた。 ![]() 1994年6月、自民、社会、さきがけの連立政権で社会党の村山富一が首相になった。 村山首相は所信表明演説に臨み、「 自衛隊合憲、日米安保堅持」と発言し、日本社会党のそれまでの政策を転換した。 1996年1月11日、改造村山内閣終了。 ![]() 1996年1月19日、社会党は社会民主党に改称。 社会民主党といいながらも社会主義インターナショナルに加盟しており、社民党は理論左翼の吹き溜まりのようになり、かつての国民政党の姿はなくなった。 1989年に官民の労働組合が集まって結成された連合(全日本労働組合総連合会)は、1996年9月に結成された民主党を政権交代可能な政党として第一義に支持。 1996年10月の総選挙で社会党は惨敗し、自民党は議席を取り戻した。 社会党は政権から相手にされなくなった。 ![]() その後は党職員の解雇で訴えられたり、社会文化会館を退去せざるを得なくなるなど、弱り目に祟り目、退潮の一途をたどった。 傍目には、国政の場で生き残る道(意見表明できる場の確保)は、民進党との合流しかないように思える。 しかし、合流は福島元党首により拒絶された。 ![]() 福島瑞穂が原因で始まった社民党の内ゲバ 民進党との合流をめぐり 2016年5月28日 デイリー新潮 初夏の訪れを告げるほととぎすの鳴き声を、誰よりも早く聞きたくて徹夜したのは清少納言。 翻って、参院選が近づくなか、ホーホケキョが「ホー、センキョ」に聞こえるのは永田町の住民。 自身の当選がままならぬゆえに、その響きを聞くのは耳が痛い吉田忠智・社民党党首(60)が、「民進党への合流」を訴えた。 が、利己的に振舞う福島瑞穂前党首(60)に、この内ゲバは一旦、鎮圧された恰好だ。 *** ![]() 問題の提案が党首本人からなされたのは、去る5月12日のことだった。 「この日、党所属の国会議員5人ら幹部が集まる常任幹事会が開かれていました」 とは、野党担当キャップ。 「その場では、小林節さん(慶応大名誉教授)が設立した政治団体『国民怒りの声』との協力を模索できないかということを主に話し合った。 そんななか、幹事会の最後に吉田さんが、“民進党との合流も選択肢の1つだ”と言い始めたわけです」 吉田氏の発言の背景には、「座して死を待つのか否か」という運命論が横たわっている。 「来る参院選で、吉田・福島の両氏は改選を迎えます。比例代表で2人が当選するためには250万票は必要ですが、前回は約126万票で1議席に留まった。 それを踏まえれば、今回も『1』が限界で、知名度で福島さんに圧倒される吉田さんに当選の目はゼロ。 逆に、福島さんはこのままでいた方が、当選はより確実だと考えているはず」(同) 果たして、常任幹事会の散会後、出席者は異口同音に合流を否定。そして、その“急先鋒”が他ならぬ福島氏だった。 …(略)… ![]() 社民党第4代党首である吉田忠智氏が、支持基盤である自治労を率いて民進党に合流するなら、社民党は実質的に雲散霧消する。 護憲の形態も変わってもいいはずと、現実主義の労働組合は思うことだろう。 平和憲法を支持する者は数多くいるが、かつてと異なり空理空論についてくる者は少ない。 ![]() このままでは次期参院選を迎えると、社民党は空中分解、あるいは葬送の場になる。 同窓の『社会新報』編集次長の田中稔氏は元気かな・・・。 ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年06月12日 20時06分26秒
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