カテゴリ:航空&ミリタリー
負けた者を批判するのは容易い。 だが英霊を敬うだけでなく、明らかに愚かな選択は批判し、教訓としなければならない。 大和魂で正面装備で敵を撃破すれば、防御も、補給も必要ないとするのは陸軍も海軍も同じだった。 得意技に集中して世界を席巻するという観点ででは、シャープも東芝も同じ選択肢をとっている。 相手が自分の得意な土俵で闘うに決まっている、と勘違いの上に推論を重ねる。 大東亜戦争は運が悪いのではなく、負けるべくして負けたのであり、前線で亡くなった兵士を敬っても、幕僚、参謀類、ときに将校も批判するべきだし、牟田口中将のような輩は非難されてしかるべきだ。 【第2回】 2017年8月18日 戸高一成 ダイヤモンド社書籍オンライン …(略)… レーダーの重要性に気づかず、 遅れを取った日本海軍 日本海軍は、当初電波探信儀(レーダー)の開発に関心が薄く、アメリカに大きく遅れをとったのが実情であった。 昭和10年頃にアメリカから、電波で距離測定ができる機械の売り込みがあったということであるが、海軍としてはその重要性に気がつかず、夜戦を身上としている日本海軍が、自分から電波を出して敵までの距離を測るなど、わざわざ自分の居場所を敵に教えるようなものではないかと言ってこの売り込みを無視したのである。 しかし、その後英国などで電波によるドイツ機の警戒装置が実用化しているというような情報があり、関係者の努力で、昭和17年には試作機で実用実験が行われ、昭和18年には実用化された。 …(略)… アメリカ海軍では、早くからレーダーを射撃に使うことを始めていた。 日本の海軍もレーダーで測距することを研究したが、戦時中実用化には至らなかった。 だが、射撃レーダーの実験では、2万メートルで誤差100メートル、左右誤差1度程度であり、戦訓などから、アメリカ海軍の射撃用レーダーも同じ程度の性能と判断していた。 …(略)… 同じようにソナーも1930年代から、日本では発達しなかった。 輸送船はおろか、爆雷を積んだ、駆逐艦でさえ潜水艦の雷撃によって沈められた。 大きな潜水艦を作ってイイ気になっていたが、「音」の配慮は前時代的なものだった。 人間は訓練で静かにすることができるが、スクリューのキャピテーションノイズや原動機など機械装置の音はそのままだった。 航空機や戦車に搭載した無線機も最後までものにならなかった。
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最終更新日
2019年02月05日 22時19分01秒
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