【
2016年1月23日(土)】
どんよりと曇った寒い一日でした。でも風がなかったので、散歩のときはそれほど寒いとは感じませんでした。
昨日が飲み会でしたので、今日は何も予定を入れておらず、散歩以外は外出せず、のんびりしました。
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フェルメールとレンブラント展 #3
昨年の12月19日に二人で京都市美術館に観にいった「フェルメールとレンブラント展」の作品を、ネットの情報を使って紹介しています。
【2】オランダ黄金時代
【2-1】風景画家たち
17世紀のオランダ絵画で最も発展をとげたのは、風景画でした。風景画は様々なテーマで描かれ、画家たちは町の風景、夜の風景、郊外の風景などそれぞれ得意分野を中心に制作していました。ヤーコプ・ファン・ライスダール、ヤン・ファン・ホイエンなどに代表される17世紀オランダ風景画は、季節や時間で移り変わる当時のオランダの風景、自然、町の様子などを現代に新鮮に伝えています。
●作品5 エサイアス・ファン・デ・フェルデ 《砂丘風景》
1629年 アムステルダム国立美術館
この作品の見どころのひとつは、たくみに計算された「視線の誘導」かもしれません。画面左に描かれた猟犬グレイハウンドが狙っているのは画面右側のウサギですが、最初からウサギの存在に気づく人は少ないのではないでしょうか。また中景に描かれたふたりの旅行者の存在によって、柳の下に描かれる女性と子どもや画面右側の杖を突く人物に気づかされます。
【エサイアス・ファン・デ・フェルデ】
《砂丘風景》を描いたエサイアス・ファン・デ・フェルデは、「黄土色といくつかの緑色」という限定された色彩を薄く塗り、筆跡の見える素早い筆の運びによって新しいタイプの自然主義を生み出しました。これは、ヤン・ファン・ホイエンなどの画家たちが1630-40年代に完成させた、単色の風景画の出発点です。
●作品6 ヤン・ファン・ホイエン 《夏》
1623年 個人蔵
夏の情景が描写されています。左手の大きな木には葉が豊かに茂っており、木陰に農家が建っています。前景では、3人の農夫がひとりの女性と話しており、その他の人々は川を渡る小船に乗っています。画面全体に、田園らしい喜びが満ちています。
●作品7 ヤン・ファン・ホイエン 《冬》
1623年 個人蔵
冬の情景が描写された作品。画面左手の木には葉がなく、運河は凍っています。屋外には沢山の人が描かれており、氷上での遊びに興じています。後景では、人々がコルフ(当時流行していたパターゲーム)で遊んでおり、背の高い橋の背後には、都市の塔や家々が見て取れます。
【ヤン・ファン・ホイエン】
《夏》と《冬》の頃の彼の様式は、師匠エサイアス・ファン・デ・フェルデを彷彿とさせるものでした。しかし、ファン・ホイエンはやがて、自分の様式を見出していきます。素早く幅広い筆づかいが次第に明確なものとなり、彼自身の特徴となりました。ファン・デ・フェルデと並び、まるで自然を前にして直接描いたかのような写実的な印象を生み出す風景画を制作した最初の画家でした。
●作品8 サロモン・ファン・ライスダール 《水飲み場》
1660年 アムステルダム国立美術館
けだるい日の差す静かな午後の光のなかに、喉の渇きをいやす牛や、紋章付きの馬車で旅行する高貴な人々が描かれています。視点を低く設定し大きく広がる木々や空に湧き上がる雲を描くことで、日常的な情景にある種の威厳を与えています。
【サロモン・ファン・ライスダール 】
ファン・ホイエンとほぼ同時期に活動したサロモンは、1630年代初期にはすでに川の景色を多く描いていました。彼が好んだ主題は、フェリーが横切る川景色や、旅行者たちが停泊したであろう水場や宿屋です。ところで、同時代の画家の多くがそうであったように、彼は絵画制作だけで生計を立てていたわけではありません。1651年の記録では、ハールレムの有名な漂白場の藍染を扱う商人とされています。
●作品9 ピーテル・デ・ブロート 《旅行者のいる村の景色》
1625–30年頃 個人蔵
この作品の注目ポイントは、強烈な陽光が左から差しているなか、手前(右側)にいるふたりの人物のいるところに陰が落ちている表現です。作者のデ・ブロートはあまり有名ではありませんが、この作品を見ると、光と影の扱いに長けた画家といえるでしょう。
【ピーテル・デ・ブロート 】
《旅行者のいる村の景色》を描いたデ・ブロートは、農民の暮らしをはじめとした日常生活の光景や、静かな室内と風景を描いた画家です。彼は画家であるとともに不動産業も営んでいました。また、タイル職人でもあったといいます。多才な人だったのかもしれません。私生活では3度結婚しました。
(続きます)
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