テーマ:京都。(6080)
カテゴリ:京都市内全寺社巡り
「京都市内全寺社巡り」2016年7月27日(水)山科区第13の第3回(最終回)です。山科区の最終回でもあります。
◆この日の行程、ルート地図、歩行データは投稿済みです。 http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/201607270003/ ◆ルート、訪問地プロットのオリジナルは下記です。 https://drive.google.com/open?id=1MoOqYBgZk5sF5srdqHZ1RpL0zKM&usp=sharing =============================== それでは第3回(最終回)です。 東山ドライブウェイを上がって、将軍塚大日堂まで来ました。 ここは、東山三十六峰の一つ華頂山の頂で、青蓮院の飛地境内です。 桓武天皇は都を奈良から京都の南方、長岡に移しましたが、いろいろと事故が続きました。この時、和気清麻呂は天皇をこの山上に誘い、京都盆地を見下ろしながら、都の場所にふさわしい旨進言しました。天皇はその勧めに従って延暦十三年(794年)、平安建都に着手されました。 天皇は、都の鎮護のために、高さ2.5メートル程の将軍の像を土で作り、鎧甲を着せ鉄の弓矢を持たせ、太刀を帯させ、塚に埋めるよう命じられました。これが、この地を「将軍塚」と呼ぶ由来です。この「将軍塚」は、国家の大事があると鳴動したという伝説が、源平盛衰記や太平記に残されています。 また、延元年間(1338年頃)には新田義貞がここに陣を敷いて足利尊氏の軍を敗り、また近くは太平洋戦争にここが高射砲の陣地にもなりました。乃木大将、東郷元帥、菊池大麓、大隅重信 等の明治の元薫のお手植の松が植えられた、石柱や石碑が後継の松と共に残されています。 それから大日如来をお祀りした大日堂があります。 ここに平成26年10月、大護摩堂「青龍殿」が建立されました。麓にある青蓮院にあった国宝 青不動が現在はここに安置されています。ただし、通常非公開で前に複製が置かれています。 この青龍殿は、大正2(1915)年、大正天皇の即位を記念して、「大日本武徳会京都支部武徳殿」として京都北野天満宮前に建立された木造大建造物です。 戦後、昭和22(1947)年、京都府に移管され、「平安道場」として警察の柔道剣道の道場となり、後に、一般にも開放されました。平成10(1999)年、京都府は、平安道場を閉鎖し、解体処分を決定し、その後、青蓮院がここに「青龍殿」として移築再建しました。 何といっても圧巻は、青龍殿の背後に新築された大舞台です。以前からも西側に観覧席状の展望台がありましたが、眺望は限られていました。この新しい大舞台からは、まさに大パノラマが障害物なしに楽しめます。 ・将軍塚大日堂に続く参道に、大日堂内に大隈重信公がお手植えになった松があることを示す石碑が立っています。 ここからは東山区です。 ・福徳門 ・大日堂 ・青龍殿 ・青龍殿内部 奥に国宝・青不動が安置されています。 ・青龍殿背部と大舞台 ・大舞台 ・岡崎方面を望む ・黒谷・吉田山方面を望む ・北側遠景 右奥は比叡山 ・西側遠景 京都御苑が見えます。 ・将軍塚と東郷元帥お手植えの松 ・将軍塚 ・黒木大将お手上の松 ・大隈重信公(早稲田大学、創建)お手植えの松 以前に比べ、庭園がすいぶん立派になっていました。 将軍塚大日堂を出て、ドライブウェイの三叉路まで下ります。また山科区に戻ったことになります。 ドライブウェイを少し南に行ったところを東に入ります。初めてこの道に足を踏み入れました。以前来たときは、新興宗教の阿含宗総本山ということで近づきにくい雰囲気があったので、この道には入りませんでした。奥には京都大学花山天文台もあります。 奥に奥に進んでいきましたが、花山天文台は関係者以外立ち入り禁止でした。 戻って、阿含宗総本山を見学させていただきました。門が閉ざされているのかと思いましたが、オープンでした。 ・本殿 ・本殿横の京都大仏 お顔が少し見えます。 ・社務所のようなところでしょうか。 その前の広場にモニュメントがあります。 ・エルサレムの獅子 平成20年、イスラエル・エルサレム市からの寄贈。 ・世界平和祈念仏舎利塔 平成25年建立。エルサレム植物園に建立した仏舎利塔と対をなすいものだそうです。 さらに奥にはこんな建物が 東山ドライブウェイに戻り、五条通(国道1号線)方向に下っていきます。 ・東本願寺東山浄苑の門 国道1号線が山科へ抜けるトンネルの上を通って南下して下り、中央斎場のほうに上っていきます。葬儀関係の車しか往来しないところで、そこを一人で歩いている私は何か異常者に見られたかもしれません。途中までは京都一周トレイルの道なのでたまに歩行者も通る歩道ですが、そこを過ぎるとまず歩いて通る人はいないので、歩道は濃い緑に苔むしていて、滑らないように気をつけなければなりませんでした。 ・中央斎場入口 用のない方は立ち入り禁止と書いてありますが、用がないわけではないので、無視して入場。 ここに旭山古墳群の石碑があるはずです。見つからずウロウロするのは嫌だなと思いましたが、簡単に見つかりました。また、遅い時間だったので、葬儀の関係も全部終わっているようで、喪服を着ている人も見かけませんでした。早い時間に来ていたら、ハイキング姿の私は変な目で見られたかもしれません。 ・旭山古墳群石碑 [北東]旭山古墳群 [南西]昭和五十六年吉日 京都洛東ライオンズクラブ建之 旭山古墳は,六条山山頂から南斜面にかけて,径10メートル程度の円墳が20基余り点在している古墳群です。調査された古墳はいずれも7世紀初頭のもので,横穴式石室から須恵器の杯・壺・甕,土師器の甕や鉄釘,金環,刀子などが出土しています。 もと来た道を下り、国道1号線に出ます。すでに東山区です。 国道1号線に出たところに道標があります。 ・渋谷街道【道標】 [北東]渋谷街道 [南東]すく大仏 本願寺道 [北西]右 火葬場 左 山科大津 道 [南西]明治十三年六月建之 杉本新左【以下埋没「衛門」か】 岩佐孫【以下埋没「兵衛」か】 井上治郎【以下埋没「兵衛」か】 芝原嘉【以下埋没「兵衛」か】 片山長【以下埋没「兵衛」か】 池田長【以下埋没「兵衛」か】 杉本治郎兵【以下埋没「衛」か】 この石碑の近くに京阪バスの「清閑寺山之内町」バス停があり、ちょうどいいバスがあったので、それで四条河原町まで下り、阪急で帰宅しました。 これで山科区踏破ですが、見つからなかったり、見逃したりした石碑などがあるので、次の東山区を回るなかで訪れる予定です。 (続きます) ----------------------------------------------------------------- よろしかったらぽちっとお願いします。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021/11/11 12:46:18 AM
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