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午前中、睡眠。
ラジオ。 「キラ☆キラ」。水道橋博士の「ペラ☆ペラ」のコーナーで、中山涙さんの「浅草芸人」が小林信彦「日本の喜劇人」と並べて紹介される。 web広報東京都の「はかせのはなし」でも書かれていたことだが、ラジオでは「R-1」出場の件にまで触れていた。 昨夜の、町山智浩と上杉隆の論争を治めようとする博士のツイート連投も美しく素敵だったのだが、博士の優しさ、男気、やっぱりかっこいいなと改めて。このひとのファンでいて間違いないと思った。 これが小林信彦先生の耳にまで届けば面白いんだけど、小林先生はたぶん今日も文化放送を聴いてるんだろうな。 梱包作業。 外出。 クロネコメール便、4点。 めっきり売れなくなった。少し焦りも出てくる。 外出直前にもう1点、梱包だけして電車内で宛名書き。 平沼橋。 営業所で出して今日中に送りたかったが、営業所がどうもなくなってしまったようだ。まぁ、そんなこともあるだろう。 しかたなく、近所のセブンイレブンで1点。 そのまま、跨線橋をわたって、横浜西口へ。 東急ハンズ。 プチプチロールを買う。 吉野家、焼味豚丼。 電車に乗ってひと駅手前下車。 西友、買い物。 イタリアントマト。 雑務。 ラジオを聴くために早く帰る。 帰宅。 今夜はTBSラジオで5時間ぶっとおしで川勝正幸追悼特集。 まず、「菊地成孔の粋な夜電波」。 「Dig」。 大根仁、辛島いづみ、宮沢章夫、スチャダラパー、堀雅人、吉田豪、五箇公貴、ケラリーノ・サンドロヴィッチ、町山智浩。 宮沢「でも、そういうもののエッセンスを、川勝さんは小さいころから、どっか吸収してたんじゃないかな。たとえば、小林信彦をけっこう早い時期から読んでたんじゃないかなと思うし」 KERA「だから、(加藤)賢崇に聞いたんだけど、賢崇がツイートしてたのかな? あの、大学時代、大学卒業したころかに、将来、やっぱり小林信彦さんの『日本の喜劇人』みたいなものを書かなきゃダメでしょ、って言ってたっていう。で、そんなに守備範囲が広かったら無理でしょ、って言ったら、『ポップ中毒者の手記』とかを出して、のちのちそれを実現してったっていう。だから、小林信彦さんの強みっていうのは、現場の人間だったっていうのがあるじゃないですか。植木さんや森繁さんと、じかに、話し合ってたからあれが書けた。だから、僕らなんかどんなに…、今日も、ウッディ・アレンのTシャツ着てきてますけど、ウッディ・アレンとか、マルクス兄弟とか、キートンとか、大好きだけど、会って話をすることはできないだろうっていうあきらめがまず先にあって、なかなかそこに踏み込んでいこうとは考えないですよね。川勝さんはなんか、どんどんやっぱり、そういうことができるスタンスを自分で作ってったっていうのはすごいなって思いますけどね。」 宮沢「書けたかもしれないじゃない。川勝さん。こういう本、『ポップ中毒者の手記』として、載ってるんだけども、また別の種類の『日本の喜劇人』が、川勝さんは書けたひとのひとりだと思います。まぁ、ほかに、ちょっと思いつかないんだけどね。」 宮沢「でも、ほんと書いてほしかったな。ていうのは、僕、小林信彦の『日本の喜劇人』をかなりの回数読んでわかったのは、青春と挫折の記録だっていうことなんです。川勝さんのそれを知りたかったんですよ。彼はどうして川勝正幸になったんだろう、っていう。きっとそういうものを書けば、自分はどういうものから現在に至ってるかっていうのが、ある年齢になったときに書けたんじゃないか。それは川勝正幸伝じゃないですか。ある意味。別の意味で。」 (あとでいろいろ書きます。) その後もラジオ。 「バナナムーン」から、ラジオ日本に移って「はたらくおじさん」。 聴きながら梱包作業。 「QuickJapan」100号記念の特設サイトがあることをツイッターで知った。 創刊は1994年、アーカイブスから表紙を眺めているだけでもここ20年弱のサブカルチャーの流れがざっとわかって面白い。2003年11月、ちょうど半分の51号を境に、テレビとお笑いの特集が目立つようになる。どうやらこのあたりから、それまでのサブカルチャーがサブカルチャーとして機能しにくくなっていく。 別の例を探してみれば、ヴィレッジヴァンガードがジャスダックに上場するのがやっぱり2003年なのだ。 ◇2月3日のツイログ (あとで加筆修正します。) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012年02月05日 21時11分43秒
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