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カテゴリ:お笑い芸人
午前中、睡眠。
涼しくてよく眠れた。 アマゾン登録作業。 梱包作業。 外出。 長袖で出る。 雨。 クロネコメール便、6点。 定期券もないので、今日は近所で過ごす。 ドトール。 雑務、3時間ほど。 空いてるのに隣りの席に2人組のOL風女子に座られてしまい、ずーっとテンション高く職場の人間の噂話で盛りあがってるから非常に落ち着かない。 まともな考えごとはいっさいできず、片づけようと思っていた作業はなにも片づかない。それならば店を出ればいいのだが、店を出ていこうにも、テーブルのあいだの隙間が狭いので出ていきづらくて困った。 職場の噂話がひととおり終わったかと思えば、今度はEXILEの話だ。EXILEのチケットが取れないのだという。その会話のなかで不意にわかったが、女子だと思っていた片方は四十歳だった。四十を女子と認識するようではおのれの加齢を自覚せざるをえない。 しかたなく、EXILEの話を隣りの席で最後まで聴いて、これだけになってしまうのも無駄な気がするので、少し読書をしてからドトールを出た。 スーパーで買い物。 帰宅。 古本の仕事にとりかかるが、パンを食べたら眠くなってしまった。 パンというのはひとを眠くさせるものだ。 少し睡眠。深夜に目覚める。 アマゾン登録作業。 これで一応、やり残していた作業は片づいた。 スマホで動画を観ながら。 FC2動画でとんねるずの新番組を観ておきたかったが、FC2動画は1日の視聴回数が決められているのか、観たかったら有料会員になれという趣旨の表示がひっきりなしに出てきて、それ以上、つぎの画面に進めない。 FC2動画が使えないとなると、なかなか急に思いつく選択肢がないのだ。 特別観たいという気もなかったが、YouTubeで「BAZOOKA!!!」の「放送NG演芸」というのをなんとなく観る。 「あらびき団」的な“裏芸”がほとんどだったけど、マキタスポーツは品良くおもての芸。ほかには、大本営八俵、東京ダイナマイトなど。中村愛というひとは初めて観ると思ったけど、「細かすぎて伝わらないモノマネ」で平井理央のものまねをやっていたのか。魔女っこは東洋館の「雷ライブ」で観た記憶がある。しかし、そのときはもちろんもっとソフトなネタだった。 パソコンから音声が出なくなった問題、やっぱり解決しないとまずいと思い直す。 動画はスマホで観ることができるのだが、ポッドキャストをどうやら聴くことができない。このあたりが仕組みをさっぱり理解できてないところなのだが、聴けるものと聴けないものとがあって、そのサイトによってはクリックできなくなっている。 それに、スマホではHuluを観ることができないのも大きい。観ることができないものを契約していることほど阿呆らしいこともない。 パソコンのメーカーのサイトのこの商品のページからダウンロードすればいい、という情報をどこかで読んで、ダウンロードするところまでは前にやってみたのだが、それでも音声は出ない。しかし、これをもう一度確認してみると、まだ続きがあったのだ。 さらにインストールしなければいけないものがあって、それを発見した。インストールして再起動したら、シャットアウト時の音が鳴ったので思わず小躍り。 治った! ヨドバシカメラで見放されたものを自力で治せた! これでまたうれしくなって、YouTubeを観続けることになってしまう。 ふと気になったビシバシステム。コントの動画があった。 のちに、90年代中頃のお笑いライブに蔓延するシュールなコント、その多くはダウンタウンを発症源とした流行り病としかいえないものであったが、いっぽうではラジカルガジベリビンバシステムを源流とした流れもあり、そちらのシュールは表面的ではなく、腰の据わったものであった。具体的には現在のバナナマンなどにつながるものであろう。 そして、その中継点としてのビシバシステムが、最近になって気になるようになってきた。すでに解散してしまっていることが大きいが、ビシバシステムという存在が、どうも忘れられてしまっている。機を見て、再評価せねばならない。 その横のおすすめ動画から、悪人会議「ふくすけ」を観る。 TBS深夜の「新し者」から。動画についた説明を信用するなら、1991年に放送されたもののようだ。 やたらと音声が消されているのは時代を感じる。温水洋一にいたっては上半身にずっとぼかしがかかっていて、エンディングまで誰だかわからない。なんて無茶なものを放送してるんだと言いたくなる。 このような、いわゆる「放送禁止」といわれているような差別表現は、現在だとそこはかなり進歩的になっていて、文脈に差別的な意図がない場合はわりとそのまま放送されるようになっているとは思う。しかし、ひと昔前は文脈に関係なく、その単語、その表現が出てくれば無条件にアウト。だから逆に、そこだけ音声を消したり、ぼかしを入れたりしておけばOKということにもなる。それはそれで、現在からは、その乱暴さがとても魅力だったんだなと思える。 言ってることを音声を消して言ってないことにするというのは明らかにインチキなのだが、そのインチキを通そうとする、そしてそのインチキを黙認してしまう世のなかというのも、馬鹿だけれども愛おしいものがあるではないか。 放送コードという意味でもすごいが、これを30分番組で放送しようというのも正気の沙汰ではない。エンディングのトークで、2時間の芝居を20分に凝縮したと松尾スズキは言っている。今だったら、そんなふうに上演されることを劇作家が望まないだろう、というふうにテレビの側が気をまわすような気がする。これは落語が放送で扱われる際にも思うことだが、リスペクトがなにか足かせになっているケースというのはけっこうあるんじゃないか。 「新し者」は今思うととても素晴らしい番組だったんだけど、真裏だったか少し時間がずれていたかはさだかではないが、フジテレビでは「たまにはキンゴロー」をやっていて、そちらを録画して観ていたので「新し者」はナイターでずれたりしたときでないと観ることができなかった。このときはまだ中学生で、自分の部屋にテレビはなかったのだ。 ◇10月3日のツイログ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012年10月04日 06時47分12秒
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