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カテゴリ:教育実践と「競争」
このたびは、授業を中心にすえた「学校づくり」について、『高校生活指導』177号、「授業公開のつくる同僚性」を中心に(そのまま)紹介します。
「報告者」の I さんによると(小規模校は存続に向け楽観できない状況にある)中で、ベテランも若手もみんな授業で困っていた。(…)教師同士がつながりあう(つながりあわねばならない)必然性があった(70頁)、ということでした。 この高等学校での授業研究の取り組みは、次のように進みました。 I さん(生徒指導主任)が教務部と連携して「授業改善とともに生徒理解・生徒指導の充実を図る」という内容の「生徒指導計画書」を提案⇒授業研究委員会の立ち上げ⇒授業研究に取り組むための原案作り。 その過程で佐藤学氏(東京大学)の提唱する「学びの共同体」作りに取り組んでいる中学校や高等学校の公開授業に複数の職員が参加(71頁)⇒「すべての教師が授業を公開し、それをもとに授業検討会をする」ことを提案。(以下がその柱) 1、授業研究のテーマ 「生徒一人ひとりの学びを保障する授業づくり」 2、研修の内容 (1)教師が相互に学びあい、専門家として育ちあう関係を築く (2)すべての教師が年一回以上授業を公開する (3)公開授業と授業研究会をセットにする。公開授業をビデオ撮影し、それを見ながら(子どもたちの)学びの事実について語り合う。 3、その他 (1)ビデオ撮影に関しては、研修のために使用することを事前に生徒たちに伝える。 (2)学びの質について語り合う。生徒の学びの側から教師のほうへ踏み込む。例えば「A君が『わからない』とつぶやいたが、どうしてそれを取り上げなかったか?」「A君への支援はどのようにしたらよかったか?」等。 〔生徒の個人名を出し合う「研究協議」〕 (73頁) 上記のような方針に基づいて2年間取り組んだわけですが、それによって生まれた「変化」については、複数の学校評議員の言葉が紹介されています。 「来るたびに生徒の表情態度・校内の雰囲気がよくなっている」。「子どもたちが集中していたのが印象的だった」。「以前の授業はこんなに真剣に考える授業ではなかった。(…)先生方の姿勢が伝わってきた。素晴らしい取り組みなので、ぜひ茨城県全体に広げていってもらいたい。」 (72頁) 以上のように、(小・中と比べて高校では遅れがちだった)授業研究の取り組みを組織的に進めていくことによって、学校に「明らかな変化」が生じてきているのです。 そしてまた、「 I さん自身が告白おられる変化」が私には印象的でした。 「最近周りを見る私の目(周りが私を見る目ではない)に変化が現れた。(…)一人ひとりが個性的な独自の表情を持っており、それを愛おしみ大切に思う感情が出てきたのである。(…)かつて、対人恐怖症で人の顔さえまともに見ることのできなかった私が、である。 この変化はどこからきたのだろうか。思うにそれは、すべての生徒の学びを保障する(…)授業公開と授業検討会を通して同僚から学ぶ中で、他者を他者として認め尊重する姿勢と謙虚さが私の中に形づくられてきたからではないだろうか」。 以上の取り組みの中にも「学びあい刺激しあうことによって形成される同僚性」の好ましい姿が浮かび上がっているように思われます。茨城県といわず、全国でこのような取り組みを広げていきたいものですね。 教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに (yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。) ↑ よろしければ投票していただけますか (一日でワンクリックが有効です) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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高校でこのような取組が始まったということは、画期的なことですね。
うれしいです。 このようなことの報告は、全国で読まれますから、いずれ、多くの学校に広まっていきますね。 ありがとうございました。 応援して戻ります。 (2009.03.14 18:44:16)
今日9729さん
>高校でこのような取組が始まったということは、画期的なことですね。 遅まきながら私の職場でも「授業研究」を実施する方向性が年度末に出されました。 今日9729さんをはじめ、いろいろなかたがたの研究成果を吸収していきたいと思います。本日も応援させていただきました。 (2009.03.14 20:44:47)
多くの教師たちは,「人から命令されること」が嫌いです。たとえ形の上でも,「自分たちが自主的に行っている」ような研究でないと,やる気になりません。
しかし,だからといって,自主的にすべての学校や教師がやる気になるわけではないのは,「自ら学び自ら考える」子どもを育成する難しさを知っている自分たちが一番よく分かっているはずなのです。 行政からの要請があろうとなかろうと,授業改善や学校改善は常に必要なのです。 そこに「満足できない」学習状況,生活状況がある限り。 ただ,「抵抗勢力」の強さに打ち勝てるほどの人材が,管理職を含めて学校にそろっているかどうか。 多くの学校では難しいでしょう。 だから結果として,改善の姿勢や実行や実績が不十分であることを理由に「差をつける」ことが行われることになるのです。 「子どもを差別するな」と言う前に,自分たちがすべきことをすればよいのですが,身分が保障されている公務員を動かすのは,本当に難しいものです。 目の前に本物の危機がせまってくるまでは。 (2009.03.14 21:04:16)
>「最近周りを見る私の目(周りが私を見る目ではない)に変化が現れた。
>(…)一人ひとりが個性的な独自の表情を持っており、 >それを愛おしみ大切に思う感情が出てきたのである。 >(…)かつて、対人恐怖症で人の顔さえまともに見ることの >できなかった私が、である。 ぐっときました。 こうした心理は大人である I さんだけでなく、子どもでも 同じではないでしょうか? しょうさんが紹介されたU高校の生徒たちだって、 実践後の心理はこうだったと思います。 (2009.03.14 22:27:07)
kurazohさん
>行政からの要請があろうとなかろうと,授業改善や学校改善は常に必要なのです。 (・・・) >多くの学校では難しいでしょう。 多くの学校でも可能であろうと考えています。上記の実践は「特別な人材の存在した」とか「特別の事情があったから」実現したわけではないと考えます。よろしければ『高校生活指導』をお求めください。 >だから結果として,改善の姿勢や実行や実績が不十分であることを理由に「差をつける」ことが行われることになるのです。 「差をつける」ことが実は無効ではないか、ということは大企業でもすでに反省が行われているようですよ。 (2009.03.15 15:52:02)
Mr. Hot Cakeさん
>ぐっときました。 >こうした心理は大人である I さんだけでなく、子どもでも同じではないでしょうか? > >しょうさんが紹介されたU高校の生徒たちだって、 >実践後の心理はこうだったと思います。 全くそのとおりだと思います。 >>(…)一人ひとりが個性的な独自の表情を持っており、 >>それを愛おしみ大切に思う感情が出てきたのである。 そのような気持ちが自然に生まれてくるような体験や取り組みこそ、学校に求められているものだ、と思います。 (2009.03.15 15:57:38)
kurazohさん
佐藤学氏の提唱する「学びの共同体」の実践は、研究授業も含めて静かに広がっているようですよ。 多くの学校において公開授業や研究授業は何らかの形で行われていると思いますが、それを拡大・充実させていくことは充分できるのではないでしょうか。 基本的な発想としては「できている学校に学びつつ広げていく」ことが大切であると考えます。そのためにも I さんのような「報告」が書籍や教育雑誌等に載ることは有意義ですね。(それをブログで紹介することも無意味ではないでしょう)。 上記ブログ記事のような取り組みは重要だと思われますか。もしそうなら、困難な理由(教員は変化を嫌う?)を数え上げるよりも「論議をはじめ、実践をスタートさせること」が大切ではないでしょうか。 (2009.03.16 21:08:16)
『教育の窓・ある退職校長の想い』ブログのtoshiと申します。このたびは、拙ブログにコメントと貴ブログの本記事のご紹介をいただき、ありがとうございました。
わたしは、小学校において、問題解決学習を標榜し、子ども主体の授業、子どもの思い、こだわり、疑問などを大切にした授業実践を心がけてきたものだけに、中学、高校こそ、こうした実践を積み重ねてほしいと切望しておりました。 それだけに、本記事については、大変すばらしい取組と、ただただ敬服しております。 わたしには、子どもの変容、学校の改革の姿について、とてもよく分かるし、さもありなんと、ほんとうにうれしく思いました。 小学校と違い教科担任であること、また、大学受験に備えなければならないことや、高校受験を経ての学級、学校であるので、ある程度均質の集団と思われることなどから、この取組にはかなりの困難さもあるのではないかと想像しております。 それを乗り越えての取組だけに、ほんとうに頭の下がる思いです。 今日さんがおっしゃるように画期的と思いますし、この取組が、多くの学校にいい影響を与えてくれると思うと、ワクワクする思いがいたします。 なお、kurazohさんのコメントから思うのですが、最初、踏ん切りをつけるまでは、学校全体の取組にまでもっていくのは、けっこう困難も伴うと思います。しかしながら、子どもの変容、それは、意欲的な態度とか、それまでとは見違えるようなすばらしい表情などに示されると思いますが、それが、『やってよかった。』という思いになり、教員の意識がより確かなものになっていくのだと思います。 お互いにがんばりましょう。 (2009.03.19 08:34:06)
toshiさん
大変ていねいなコメントをいただきありがとうございます。 >わたしは、小学校において、問題解決学習を標榜し、子ども主体の授業、子どもの思い、こだわり、疑問などを大切にした授業実践を心がけてきたものだけに、中学、高校こそ、こうした実践を積み重ねてほしいと切望しておりました。 まさにそのとおりだと思います。大人への階段を上っていく中学、高校段階でこそ、よりいっそう子ども自身のこだわりや疑問を大切にする学習を保障する必要があります。 >今日さんがおっしゃるように画期的と思いますし、この取組が、多くの学校にいい影響を与えてくれると思うと、ワクワクする思いがいたします。 私もそう思いますね。 >なお、kurazohさんのコメントから思うのですが、最初、踏ん切りをつけるまでは、学校全体の取組にまでもっていくのは、けっこう困難も伴うと思います。 >しかしながら、子どもの変容、それは、意欲的な態度とか、それまでとは見違えるようなすばらしい表情などに示されると思いますが、それが、『やってよかった。』という思いになり、教員の意識がより確かなものになっていくのだと思います。 そのような子どもの変容こそが、授業や学校づくりに向かう大きな「動機」になると考えます。活き活きとした学校を目指していくエネルギー源として、これ以上のものはないでしょうね。私もこのような取り組みを広げていくために微力を尽くしていきます。 (2009.03.19 18:21:48)
お世話になっております。
このたび、拙ブログにおいて、しょうさんの本記事にかかわる記事を書きました。『高校における授業研究のすばらしさ』がそれです。 わたしも、TBしようとしましたが、うまくいかないので、URLを貼り付けさせていただきました。 よろしくお願いします。 http://blog.livedoor.jp/rve83253/archives/1243032.html (2009.04.02 16:06:05)
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