コンクリート・ジャングル
その曲は心臓の鼓動を思わせる深く重いリズムパターンの反復で始まる。心の底を揺さぶるような重い律動だ。やがてギターの細い旋律がまるでつる草のようにそれに絡みつく。地の底からベースのつぶやきが聞こえてくる。そして唄が始まる。特徴的なやや高めの声だ。聴くたびに背筋を何かが素速く駆け上がっていく。どこまでも暗い内容の歌詞にもかかわらず、それを聴く者の心の中にはなぜか昂揚が、慰撫が残る。それはおそらくその印象的な「声」がもたらすものだ。激しい怒りや憤りを内に含みながら、その一方でせつなく、けだるく、しなやかで、甘ささえ感じさせる、その声。剛と柔の共存。その唄の多くは政治的なプロテストソングでありながら、しかし、それだけにとどまらない奥行きと深さをもっている。その「声」は聴く者のこころの地表近くの岩盤をがりがりと引っ掻くだけではなく、その岩盤の底にある柔らかい土壌ごと根こそぎ持ち上げ、あらがいようもない根源的な昂揚と興奮をもたらす。そういう強靱な掘削力をもったあの「声」。強さと優しさの共存する声。まず、あの声がある。そしてその声の持ち主がいる。両者の関係はこうである。存在に先立ってまず「声」がある。そういうあり方をした人。その人の名前をボブ・マーリーという。曲は「コンクリート・ジャングル」。No sun will shine in my day today俺にはもう太陽は輝かないThe high yellow moon won't come out to play高い夜空に黄色い月が出ることもないI said darkness has covered my light暗闇が俺の光を覆い隠しAnd the stage my day into night昼を夜に変えてしまったWhere is the love to be foundいったいどこに愛を探し求めればいいのかWon't someone tell me誰か教えてくれCause light must be somewhere to be found光はいったいどこにあるのかInstead of concrete jungleコンクリート・ジャングルの中Where the living is harder生きていくのに辛いところだConcrete jungleコンクリート・ジャングルMan you got to do your bestでも全力を尽くさなければならないNo chains around my feet俺の足に鎖はまかれていないBut I'm not freeでも俺は自由じゃないI know I am bound here in captivity自分が囚われの身であることは知っているyeh-I've never known the happiness幸せなど味わったこともないI've never known what sweet caress is優しく愛撫されたこともないStill-I'll be always laughing like a clownそれでも、俺はいつも道化者のように笑うんだWon't somebody help me 'cause誰か俺を助けてくれI've got to pick myself from off the ground俺は地の底からひとりで這い上がらなけりゃならないんだIn this ya concrete jungleこのコンクリート・ジャングルの中でI said what do you got for me nowいったい俺はどうなっちまうんだConcrete jungle ah won't you let me be nowコンクリート・ジャングル こんなことってあるだろうか。I say ,that light must be somewhere to be foundでも光はどこかにあるに違いない。俺はそれを見つけるんだ。歌詞ももちろんすばらしい。しかし、やはり「声」だ。この曲を聴いた後に残る感情。それは絶望ではない。不思議に思えるのだが、それはむしろ希望に近い何かだ。人のこころを奮い立たせる声がもたらす力。漆黒の闇の向こうに微かな光を探し求める強い眼差し。毅然として頭を上げ、敵に立ち向かっていくぴんと伸びた背筋。強く握りしめられた拳。そのすべてが彼の「声」そのものに宿っている。けっして快い声ではない。毎日、聴く曲でもない。とてもではないが、いつも聴いてはいられない。朝起きて最初に聴く曲でもない。とんでもない話だ。でも思い屈した時、心屈した時、頭の中で、こころの奥の方から、あの「どすっ、どすっ、どすっ」という重いリズムパターンがやってくる。そして、こころが振動しはじめる。最初の一節がこころのなかに鳴り響く。そして、柔らかい鞭のような声が聴く者のこころを叱咤する。奮い起こす。身震いさせる。強さと優しさ、激しさと甘さ。そのふたつの共存ということでいえば、ジョン・レノンの声もそうだ。「ツイスト・アンド・シャウト」のあの絶叫、「オー・マイ・ラブ」のあの静けさ。とても一人の人間の声とは思えない。でも、そのふたつのものがこころの中でむりなく共存している人間。そういう歌い手がこの世界には数は少ないけれども、たしかに存在するのだ。ボブ・ディラン。あの老人の繰り言のような声がなければ、彼のあの音楽世界もない。理知的で、暗示的で、宗教的で、ひやりとしたとがったナイフの刃を思わせるあの声。しかし、こういう人たちの声と比べてもボブ・マーリーの声は独特だ。誰にも似ていないあの声。あの唄声。魂を震撼させるあの叫び。この唄は実はたどたどしい発音で唄われる。「のー、さん、うぃる、しゃいん、いんまいでい、つでー、はい、いえろー、むーん、うぉん かむ あうと ぷれいー いやー」というふうに。そして、そのたどたどしさのままその唄はわれわれのこころの中に入ってきて、そのままの状態で意味の像を結ぶ。ちょうどジョン・レノンの「ラブ」が、「マザー」がそうであるように。もうほとんどそれがどこの言語であるかということすらどうでもいいように思える。そして、強靱な声が、疑うことを許さないほど明晰に、明瞭に、その意味を、その唄の底にある情念を、わたしたちのこころのなかにいっさいの媒介物なしに、融解した液体状の水銀のように注ぎ込む。激しい水蒸気の煙を沸き立たせながら。Bob Marley 「Concrete Jungle」は、アルバム「Catch A Fire」の冒頭に収録されている。名曲である。魂の振動を経験したいと思われる方におすすめしたい。