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カテゴリ:JR・電車・ディーゼル・路面電車など
踏切名に刻む地元の「小さな歴史」 命名の理由を追って
警報機が鳴るとなんだか気持ちがざわつき、開かずの踏切にイライラ。毎日通るそんな踏切の名前や由来を、気にしたことはありますか?『ゆかいな踏切珍名』(朝日新聞出版)の著者で地図研究家、フリーライターの今尾恵介さんに、踏切名のだいご味を書いてもらいました。 地図研究家 フリーライター 今尾恵介さん いまお・けいすけ 1959年生まれ。一般財団法人日本地図センター客員研究員、日本地図学会評議員、「地図と地名」専門部会主査。『地図で読む戦争の時代』(白水社)、『地図が隠した暗号』(講談社)、『駅名学入門』(中公新書ラクレ)など著書多数。 踏切をテーマに本を書いてみて、ふつうの人が踏切に対してこれほど無関心だとは思わなかった。 踏切に名前があることさえ多くの人は知らない。一般にJRの踏切にはそれぞれ固有名詞が付いており、大都市圏の私鉄は最寄り駅名に番号を振った「品川1号踏切」のような形式が主流だ。 肥薩おれんじ鉄道の「茶碗焼踏切」 貴重な「証言者」 固有名詞の踏切名は、だいたい現地の地名や通りの名前が中心で、工場や学校などの施設名もまじる。私が取り上げたのは命名の理由が一見して理解できないもので、現地を訪れて近所の人の話を聞いたり、図書館で調べたりなどして解明し印象的だったのが東京の米軍横田基地のまん中の踏切で、JR八高線の東福生駅から北へ1キロほどの「連合軍第三踏切」である。日本が戦争に負けた相手が「連合国軍」であったことを思いおこさせてくれた。 踏切は設置した時から名称がほとんど変わらない。そもそも注目度が低いので、たとえ地名などの現況が変わって踏切名がそぐわなくなっても、誰も困らないからだ。逆に言えば、そんな踏切名には設置時の状況が保存されており、しばしば貴重な歴史の証言者にもなっている。もっとも日本史の教科書に載るようなものではなく、判明するのは地元のささやかな物語だ。 JR飯田線の「洗濯場踏切」 近所に「洗濯場」 たとえばJR内房線館山駅(千葉県館山市)南側の「汽船場海岸通り踏切」は、かつて東京からの船便が着いた桟橋に至る通りを記念しているし、その先の「靴屋踏切」の間近に小さな靴屋さんが数十年前まで存在した。 愛知県豊川市のJR飯田線の「洗濯場踏切」へ行って現地の人に尋ねたら、すぐ近くに湧水を利用した洗濯場の遺構が残っていた。 JR飯山線の「パーマ踏切」(長野県中野市)では、線路近くにお住まいの人がずいぶん以前の美容院の存在を証言してくれた。美容院踏切でなく「パーマ」であるとこうが時代を感じさせる。 JR紀勢本線の「馬鹿曲踏切」 米軍からむ悲劇 JR紀勢本線の「馬鹿曲踏切」の名前には度肝を抜かれたが、旧街道が馬鹿にくねくねと曲がっていることにちなむ通称という。 肥薩おれんじ鉄道の茶碗焼踏切(熊本県八代市)を訪ねたら、たまたま草むしり中の女性が「うちはここで代々細川藩御用の茶碗を焼いていた」と明かしてくれた。 最もショックだったのが、福岡県添田町にあるJR日田彦山線彦山駅近くの「爆発踏切」である(現在は災害のため休止中)。敗戦後に旧日本軍の弾薬を建設中のトンネルに貯蔵し、これを米軍が焼却処理しようとした際の悲劇に由来する。現場近くに慰霊碑はあるのだが、アメリカの占領下であったためか詳細は記されていない。 すでに失われた昔の地名や旧施設を名乗るものも多く、今とは違う呼び方の街道名も残っている。いつも迷惑施設扱いされる近所の踏切かもしれないが、地元の「小さな歴史」を刻むその名前に少しだけ注目してみてほしい。 「しんぶん赤旗」日刊紙 2021年5月15日付掲載 ということで、神戸市内の踏切をチェック。 昨年の平和美術協会のスケッチ旅行の下見で行った上谷上の農村舞台に行くとき通った神戸電鉄の踏切。 「森田第3踏切通」 阪急六甲駅の東側の踏切。 「六甲道踏切通」 次は帰省先の岩国の踏切。 国道188号線から僕の実家のある黒磯団地に入る踏切。 かつて国立病院があったことから、「国立病院前踏切」 僕が子どもの頃の遊び場近くの踏切。 「丸子第4踏切」。 子どものころは幅が大きいと思っていましたが、今となってみれば軽自動車がやっと通れるぐらいの狭い踏切です。 ちなみに、子どもの頃の最寄りのバス停は「丸子」でした。 どんな小さい踏切にも名前がある。 一つひとつの歴史。興味津々です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年05月18日 07時16分13秒
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