テーマ:プロレス(28)
カテゴリ:ニュース
元プロレスラーの居酒屋経営者キラー・カーン氏がひき逃げ事件の犯人としてで報道された。 現役生活で慢性化した脚の不調、引退後の2014年、転倒による頸椎損傷で、歩くときには杖が手放せない状態だったにが、自転車は乗り続けていたという。 キラー・カーン氏は1947年、新潟県生まれの73歳。 春日野部屋所属の元大相撲力士(越錦:こしにしき)。 身長195cmの巨体。 大相撲からプロレスへの転向後の全盛時はモンゴリアン・ギミックの大型ヒールとして国内では新日本プロレスで活躍した。 1970年代末から1980年代にかけて、WWF(現:WWE)をはじめアメリカやカナダの主要テリトリーで巨体を活かして活躍し、国際的な成功を収めた。 得意技はダイビング・ダブル・ニー・ドロップとモンゴリアン・チョップ。 キラー・カーン容疑者の は地元で有名だった! 2020年12月9日 Smart FLASH 東京・新宿区内の道路上を自転車で走行中、20代の女性と接触してけがを負わせ、そのまま走り去ったとして、12月8日、元プロレスラーのキラー・カーン容疑者(73)が、ひき逃げ容疑で書類送検された。 女性は前歯を折るなど全治1カ月の重傷だった。 調べに対し、カーン容疑者は「接触したことはわかったが、そのまま自分の店に行ってしまった」と、容疑を認めているという。 「現場はJR新大久保駅の近く。韓流ブーム以降、大勢の人が行きかうようになりましたが、自動車1台がやっと通れるくらいの路地で、自動車や自転車が通行人と接触するなどのトラブルは日常茶飯事でした」(近所の住人) カーンは大相撲に入門した後、1971年にプロレスラーへ転身。 生粋の日本人ながらモンゴル人キャラで活躍し、海外でも大きな人気を得た。 ― 引用終り ― 2017年4月、辰巳出版から『"蒙古の怪人"キラー・カーン自伝』を出版している。 1978年、メキシコでの海外武者修行で蒙古人レスラーとしてテムヒン・エル・モンゴルを名乗った。 1979年からは米国本土に進出。 NWA圏のフロリダ地区でキラー・カーンとして辮髪に髭、毛皮のベストとモンゴル帽子のモンゴリアン・スタイルを確立した。 1981年5月2日、ニューヨーク州ロチェスターにて人間山脈・アンドレ・ザ・ジャイアントの右足をニー・ドロップで骨折させた。 この一件が”キラー”の名を高め、ヒール人気を確立し、世界的なメインイベンターとして扱われるようになった。 実際はアンドレはアクシデントで足を負傷しており、異変に気付いたカーンがトップロープからニー・ドロップを落として試合を成立させたとされる。 1985年、長州らが設立したジャパンプロレスに参画し、全日本プロレスのリングに登場した。 1987年4月、全日本プロレスを去り、WWFと再契約。 1987年11月、プロレスを引退した。 プロレスラー引退後もキラー・カンとして、東京都新宿区中井に「スナック カンちゃん」で居酒屋を始めた。 2016年9月、新宿区百人町で「居酒屋カンちゃん」を開店した。 ホールで接客に努め、親しみやすい人柄を聞いて、訪れるプロレスファンは多かったと聞く。
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最終更新日
2020年12月14日 06時00分08秒
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