テーマ:京都。(6066)
カテゴリ:京都検定1級過去問
第11回1級 問題8,9,10の解答です。
■私の解答 正解の場合は◎、不正解または部分的に正解の場合は正解を【正解】に記載 (文章で答える問題だが、ここではキーワードのみ解答した。) ◆は関連する「お勉強」 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 【問題8】藤森神社について、150字以上200字以内の文章で書きなさい。 (10点) (「本殿に祀られる祭神のうち一柱」、「毎年5月5日の藤森祭(深草祭)で奉納される神事」、 「社殿が国の重要文化財に指定されている摂社2社」、「境内に3500株あるとされる花」、「境 内に湧く名水(御神水)」は必ず含むこと) ■・「本殿に祀られる祭神のうち一柱」 神武天皇 【正解】神功皇后または素戔嗚尊 ・「毎年5月5日の藤森祭(深草祭)で奉納される神事」 ??? 【正解】駈馬神事 ・「社殿が国の重要文化財に指定されている摂社2社」 ??? 【正解】八幡社、大将軍社 ・「境内に3500株あるとされる花」 アジサイ ◎ ・「境内に湧く名水(御神水)」 不二の井 【正解】不二の水 ◆藤森神社 ・祭神:本殿 神功皇后、素戔嗚尊 東殿 天武天皇他1神 西殿 早良親王他2神 ・勝運と馬の神社 ・5月5日 藤森祭(深草祭) 菖蒲の節句発祥の祭 駈馬神事 駈馬神事は、早良親王が、天応元年(781年)に陸奥の反乱に対し、征討将軍の勅を受けて、 藤森神社に祈誓出陣された際の擬勢を象ったもの。 節句に飾る武者人形には藤森の神が宿る ・6月 アジサイが有名 アジサイの宮 ・本殿は、中御門天皇より宮中賢所の建物を下賜されたもの ・摂社の八幡社、大将軍社は重要文化財 ・伏見の名水 醍醐水~上醍醐清滝宮拝殿前 不二の水~藤森神社 石井(いわい)の御香水~御香宮神社 さかみず~月桂冠大倉記念館 伏水(ふしみず)~キザクラカッパカントリー 白菊水~鳥せい本店 伏見トレビの泉~大手筋商店街 サティ前 金運清水~大黒寺 板橋白菊の井戸~板橋小学校敷地内 常盤井の水~キンシ正宗本社工場内 閼伽水~辧財天 清和の井~料理旅館清和荘 洗心井~北向山不動院 菊水若水~城南宮 【問題9】後白河天皇(上皇)について、150字以上200字以内の文章で書きなさい。 (10点) (「保元の乱で争った兄」、「造営した院御所」、「寵愛され高倉天皇の生母となった人物」、 「編さんした今様歌謡集」、「臨終仏とされる阿弥陀如来像を本尊とする寺院」は必ず含むこと) ■・「保元の乱で争った兄」 宗徳上皇 【正解】崇徳上皇 ・「造営した院御所」 法成殿 【正解】法住寺殿 ・「寵愛され高倉天皇の生母となった人物」 藤原璋子 【正解】平滋子 ・「編さんした今様歌謡集」新古今和歌集 【正解】梁塵秘抄 ・「臨終仏とされる阿弥陀如来像を本尊とする寺院」長講堂 ◎ ◆後白河天皇(上皇) ・鳥羽天皇の皇子 ・母は璋子(しょうし)待賢門院 ・平滋子(建春門院)(平清盛の妻・平時子<二位尼>の異母妹)とのあいだに皇子・高倉天皇 ・保元の乱で勝利し、譲位後、平治の乱が起こり、平氏天下となった。 ・父、鳥羽法皇、信西(藤原通憲)と藤原信頼、平清盛と源義朝、木曽義仲、源頼朝らと対応 鹿ヶ谷の陰謀で鳥羽殿に幽閉され途切れたこともあったが、5代の天皇(二条、六条、高倉、安徳、 後鳥羽)34年にわたって、法住寺殿で院政を敷いた。 ・今様を愛し、「梁塵秘抄」を撰集。 藤原俊成に命じて「千載和歌集」の撰集を始めさせた。 ・大原御幸は有名 ・「熊野若王子神社」は、紀州熊野権現を勧請して創始した若王子の鎮守社が起こりという ・源高明(たかあきら)(醍醐天皇の皇子)の「高松殿の鎮守社」が起こりという高松神明神社、 天皇はここ高松殿で即位し、里内裏としたという。 ・長講堂は、晩年を過ごした院御所・六条西洞院の持仏堂。法皇木像、法皇画像がある ・新熊野神社は、法皇が紀州熊野の神を勧請、平清盛に命じて社殿を造営して創建、 「大楠(オコノギ)」は、法皇手植えという ・新日吉神宮は、法住寺殿の鎮守社として、比叡山から勧請したといい、また天皇は、菅原道真遺愛の 飛梅の霊を、神霊とともに祀ったという。 ・三十三間堂は、法皇が平清盛に命じて法住寺殿に付属して創建 ・長楽寺に絵画「大原御幸」がある ・法住寺は、もとは後白河天皇法住寺陵を守る寺。上皇の木像を安置。 ・妙法院は、法皇が15代門主で、絹本著色後白河法皇像が残る。 ・ 【問題10】華道・池坊について、150字以上200字以内の文章で書きなさい。 (10点) (「池坊家元が代々住職を務める六角堂の寺号」、「立花の名手として最初に名を挙げ、東福寺 の僧の日記『碧山日録』に評判が記された人物」、「室町末期にいけばなを体系化した人物が 著した花伝書」、「2代池坊専好を禁裏の花会に招いた人物」、「茶の湯の隆盛とともに人気と なった手軽ないけばなの様式」は必ず含むこと) ■・「池坊家元が代々住職を務める六角堂の寺号」頂法寺 ◎ ・「立花の名手として最初に名を挙げ、東福寺の僧の日記『碧山日録』に評判が記された人物」 池坊専好 【正解】池坊専慶 ・「室町末期にいけばなを体系化した人物が著した花伝書」 ??? 【正解】専応口伝 ・「2代池坊専好を禁裏の花会に招いた人物」 後水尾天皇 ◎ ・「茶の湯の隆盛とともに人気となった手軽ないけばなの様式」投げ入れ花 【正解】抛入花 ◆華道 ・いけばなは、仏前に花を供える「供華」に始まる ・平安時代に、物合せの遊びの一つに花の優劣を競う「花合せ」 ・室町時代に、書院造が取り入れられ、瓶花を置いて観賞することが普及 ・武家に唐物趣味が流行、座敷飾の方式が、幕府将軍側近の同朋衆によって整えられた ・飾り方を理論化した花伝書が作られるようになった ・15世紀頃には、七夕の法会などの催しに花を立てることが盛んになり「立花(たてばな)」の 名手も出現。 なかでも六角堂の住職池坊専慶が名手として名をあげ、以降、立花は池坊の家業となった ・室町末期の専応は、池坊のいけばなを体系化した「専応口伝」を著わした。 ・近世に入ると、初代専好は豊臣秀吉の御成の席に重用され、大瓶の「立華(りっか)」を立てた ・二代専好は後水尾天皇に召され、禁裏の花会を指導し、立華を大成 ・17世紀末頃から、一般の住民にも床の間が普及し、茶の湯が盛んになり、手軽な「抛入花」が 人気となり、18世紀中頃には、いけばなは町人の遊芸として大衆化。 ・池坊は「立華」と「抛入花」から発展し、「生花(しょうか)」の免許を段階的に伝授する家元 制度を作りあげて門人を拡大した ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 推定得点 問題8 10点中 3点 問題9 10点中 2点 問題10 10点中 5点 第11回全体推定得点 150点中 93点 120点が合格ラインなので不合格 これで、今までの1級問題過去問すべてに解答しながら勉強しました。 これから出題傾向分析をしていきます。 よろしかったらぽちっとお願いします。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018/08/10 05:30:54 PM
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