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ワルディーの京都案内

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2015/08/29
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テーマ:京都。(6066)
 第11回1級 問題8,9,10の解答です。

■私の解答 正解の場合は◎、不正解または部分的に正解の場合は正解を【正解】に記載
(文章で答える問題だが、ここではキーワードのみ解答した。)

◆は関連する「お勉強」

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【問題8】藤森神社について、150字以上200字以内の文章で書きなさい。     (10点)
  (「本殿に祀られる祭神のうち一柱」、「毎年5月5日の藤森祭(深草祭)で奉納される神事」、
  「社殿が国の重要文化財に指定されている摂社2社」、「境内に3500株あるとされる花」、「境
  内に湧く名水(御神水)」は必ず含むこと)


■・「本殿に祀られる祭神のうち一柱」 神武天皇 【正解】神功皇后または素戔嗚尊
 ・「毎年5月5日の藤森祭(深草祭)で奉納される神事」 ??? 【正解】駈馬神事
 ・「社殿が国の重要文化財に指定されている摂社2社」 ??? 【正解】八幡社、大将軍社
 ・「境内に3500株あるとされる花」 アジサイ ◎
 ・「境内に湧く名水(御神水)」 不二の井 【正解】不二の水

◆藤森神社
・祭神:本殿 神功皇后、素戔嗚尊
    東殿 天武天皇他1神
    西殿 早良親王他2神
・勝運と馬の神社
・5月5日 藤森祭(深草祭) 菖蒲の節句発祥の祭 駈馬神事
  駈馬神事は、早良親王が、天応元年(781年)に陸奥の反乱に対し、征討将軍の勅を受けて、
  藤森神社に祈誓出陣された際の擬勢を象ったもの。

       節句に飾る武者人形には藤森の神が宿る
・6月 アジサイが有名 アジサイの宮
・本殿は、中御門天皇より宮中賢所の建物を下賜されたもの
・摂社の八幡社、大将軍社は重要文化財
・伏見の名水
  醍醐水~上醍醐清滝宮拝殿前
  不二の水~藤森神社
  石井(いわい)の御香水~御香宮神社
  さかみず~月桂冠大倉記念館
  伏水(ふしみず)~キザクラカッパカントリー
  白菊水~鳥せい本店
  伏見トレビの泉~大手筋商店街 サティ前
  金運清水~大黒寺
  板橋白菊の井戸~板橋小学校敷地内
  常盤井の水~キンシ正宗本社工場内
  閼伽水~辧財天
  清和の井~料理旅館清和荘
  洗心井~北向山不動院
  菊水若水~城南宮




【問題9】後白河天皇(上皇)について、150字以上200字以内の文章で書きなさい。  (10点)
  (「保元の乱で争った兄」、「造営した院御所」、「寵愛され高倉天皇の生母となった人物」、
  「編さんした今様歌謡集」、「臨終仏とされる阿弥陀如来像を本尊とする寺院」は必ず含むこと)


■・「保元の乱で争った兄」 宗徳上皇 【正解】崇徳上皇
 ・「造営した院御所」 法成殿 【正解】法住寺殿
 ・「寵愛され高倉天皇の生母となった人物」 藤原璋子 【正解】平滋子
 ・「編さんした今様歌謡集」新古今和歌集 【正解】梁塵秘抄
 ・「臨終仏とされる阿弥陀如来像を本尊とする寺院」長講堂 ◎ 

◆後白河天皇(上皇)
・鳥羽天皇の皇子
・母は璋子(しょうし)待賢門院
・平滋子(建春門院)(平清盛の妻・平時子<二位尼>の異母妹)とのあいだに皇子・高倉天皇
・保元の乱で勝利し、譲位後、平治の乱が起こり、平氏天下となった。
・父、鳥羽法皇、信西(藤原通憲)と藤原信頼、平清盛と源義朝、木曽義仲、源頼朝らと対応
 鹿ヶ谷の陰謀で鳥羽殿に幽閉され途切れたこともあったが、5代の天皇(二条、六条、高倉、安徳、
 後鳥羽)34年にわたって、法住寺殿で院政を敷いた。
・今様を愛し、「梁塵秘抄」を撰集。
 藤原俊成に命じて「千載和歌集」の撰集を始めさせた。
・大原御幸は有名
・「熊野若王子神社」は、紀州熊野権現を勧請して創始した若王子の鎮守社が起こりという
・源高明(たかあきら)(醍醐天皇の皇子)の「高松殿の鎮守社」が起こりという高松神明神社、
 天皇はここ高松殿で即位し、里内裏としたという。
・長講堂は、晩年を過ごした院御所・六条西洞院の持仏堂。法皇木像、法皇画像がある
・新熊野神社は、法皇が紀州熊野の神を勧請、平清盛に命じて社殿を造営して創建、
 「大楠(オコノギ)」は、法皇手植えという
・新日吉神宮は、法住寺殿の鎮守社として、比叡山から勧請したといい、また天皇は、菅原道真遺愛の
 飛梅の霊を、神霊とともに祀ったという。
・三十三間堂は、法皇が平清盛に命じて法住寺殿に付属して創建
・長楽寺に絵画「大原御幸」がある
・法住寺は、もとは後白河天皇法住寺陵を守る寺。上皇の木像を安置。
・妙法院は、法皇が15代門主で、絹本著色後白河法皇像が残る。



【問題10】華道・池坊について、150字以上200字以内の文章で書きなさい。    (10点)
  (「池坊家元が代々住職を務める六角堂の寺号」、「立花の名手として最初に名を挙げ、東福寺
  の僧の日記『碧山日録』に評判が記された人物」、「室町末期にいけばなを体系化した人物が
  著した花伝書」、「2代池坊専好を禁裏の花会に招いた人物」、「茶の湯の隆盛とともに人気と
  なった手軽ないけばなの様式」は必ず含むこと)


■・「池坊家元が代々住職を務める六角堂の寺号」頂法寺 ◎
 ・「立花の名手として最初に名を挙げ、東福寺の僧の日記『碧山日録』に評判が記された人物」
    池坊専好 【正解】池坊専慶
 ・「室町末期にいけばなを体系化した人物が著した花伝書」 ??? 【正解】専応口伝
 ・「2代池坊専好を禁裏の花会に招いた人物」 後水尾天皇 ◎
 ・「茶の湯の隆盛とともに人気となった手軽ないけばなの様式」投げ入れ花 【正解】抛入花

◆華道
・いけばなは、仏前に花を供える「供華」に始まる
・平安時代に、物合せの遊びの一つに花の優劣を競う「花合せ」
・室町時代に、書院造が取り入れられ、瓶花を置いて観賞することが普及
・武家に唐物趣味が流行、座敷飾の方式が、幕府将軍側近の同朋衆によって整えられた
・飾り方を理論化した花伝書が作られるようになった
・15世紀頃には、七夕の法会などの催しに花を立てることが盛んになり「立花(たてばな)」の
 名手も出現。
 なかでも六角堂の住職池坊専慶が名手として名をあげ、以降、立花は池坊の家業となった
・室町末期の専応は、池坊のいけばなを体系化した「専応口伝」を著わした。
・近世に入ると、初代専好は豊臣秀吉の御成の席に重用され、大瓶の「立華(りっか)」を立てた
・二代専好は後水尾天皇に召され、禁裏の花会を指導し、立華を大成
・17世紀末頃から、一般の住民にも床の間が普及し、茶の湯が盛んになり、手軽な「抛入花」が
 人気となり、18世紀中頃には、いけばなは町人の遊芸として大衆化。
・池坊は「立華」と「抛入花」から発展し、「生花(しょうか)」の免許を段階的に伝授する家元
 制度を作りあげて門人を拡大した



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推定得点 問題8 10点中 3点
     問題9 10点中 2点
     問題10 10点中 5点

第11回全体推定得点 150点中 93点
120点が合格ラインなので不合格


これで、今までの1級問題過去問すべてに解答しながら勉強しました。
これから出題傾向分析をしていきます。


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最終更新日  2018/08/10 05:30:54 PM
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