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ワルディーの京都案内

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2020/02/11
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テーマ:京都。(6066)
カテゴリ:京都案内
2020年2月11日(火・祝日)】

 「京の冬の旅」光照院でした。京都の最高気温は10.4度と10度は超えて、風も強くなく、よく晴れて日向にいると気持ちよかったです。室内もコートは不要なくらいでしたが、足元はカイロを入れていたものの冷えたようで、帰宅後、指先の血行が悪くて霜焼けの前兆のような症状がありました。レッグウォーマを忘れたせいかもしれません。昨日は事務所勤務でしたが、帰宅途中、街の写真を撮るのにカメラの操作がよく分からなくて、結構長い時間路上に立ち止まっていたためか、同じような症状になりました。暖冬だからと油断していると、2016年~2017年のシーズンのように霜焼けに苦しめられることになるかもしれません。万全の注意を払わねばなりません。

 土日に拝観される方が、新型肺炎の影響で減っているのではないかと以前書きましたが、今日は飛び石連休の最終日ということのためか、いつもの土日のように多くの方が拝観されたように思います。楽しく過ごさせていただきました。


 過去2回、南北朝の兆しから、その終わりまでの歴史について書いてきました。今日は再び本題の光照院の歴史に戻ります。以前、投稿した内容と重複する部分が多いですが。

 持明院統の初代である第89代・後深草天皇の孫が第93代・後伏見天皇です。その皇女として、進子内親王(「しんし」「ますこ」・1335~1412)が、持明院殿で誕生します。内親王誕生の翌年の延元元年(建武3年)に後伏見上皇が亡くなり、その後、兄君は光厳天皇、光明天皇(それぞれ北朝初代、北朝2代)として擁立されます。南北朝の争乱の世を憂えた内親王は幼少の頃から仏門に帰依することを決意し、10歳になるまでの数年を播磨路の各地の仏刹で修行されます。そして、延文元年(1356)泉涌寺の無人如同和尚のもとで、22歳のときに得度し自本覚公と称し、室町一条の北に、光照院を創建します。33歳のときには、四宗の奥義を極め、律を基本に天台・真言・禅・浄土四宗兼学の寺院としました。






 続きます。



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最終更新日  2021/01/29 10:14:42 AM
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