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カテゴリ:テレビ・バラエティ
1日中、ほぼ自宅。
早朝、犬の散歩。 テレビ、あれこれ。 ◆「爆笑問題の検索ちゃん」最終回。テレビ朝日深夜枠の大幅な改編により、この番組も終了ということらしい。 土田晃之「何故、このかたがこの収録、こんなに長いかっていったら、なによりもこの番組が好きでしょうがないんです、太田さんが。で、よその番組だったら、普通、田中さんがMCなんですよ。それなのに、この番組は、田中さんが解答者で、太田さんがMCと。ね、もうだから、自由にできるわけです。われわれは後輩ですから、もうだから、ほんとね、リハビリなんです。いろんなストレスがたまってるんです。で、いろんなこと言っちゃうひとなんですけど、ほんとにすぐね、こう、傷つきやすいとこは気にしたりするひとなんです。だからこの収録が終わってね、楽屋とかに行ったりすると、ほんとにべらべらしゃべってるのにスタジオでは、楽屋では、ほんとに背を丸めながらパソコンやりながら、『おう…、どうした…』(笑)。ってぐらいのひとなんです。だからこそわれわれはこう長くね、ここでストレス発散ね、まぁ、明日からちゃんと仕事ができるように、リハビリの場だと思ってつきあってきたんですよ。だから、ほんとにこう、リハビリの場がなくなってしまうわけですから最終回で。だからこの先ちょっとね、ほんと、不安なんですよ。」 この番組がスタートしたのは2005年10月だが、同じ月には、「太田光の私が総理大臣になったら」の最初の特番が放送されている。ラジオ番組や雑誌の連載では以前より政治的な発言はしていた太田だが、「太田総理」という番組は、それが初めてテレビで語られることで知るひとぞ知るものではなくなった、爆笑問題の歴史のなかできわめて重要な意味を持つ番組である。お笑いタレントが政治的な発言をストレートに語るなんてことはそれまでの常識ではありえなかったことだが、そんな危うい領域に足を踏み込み始めたと同時に、「検索ちゃん」のような番組があったことは爆笑問題にとってはとても良かったと思う。 田中の学生時代のあだ名である「ウーチャカ」が番組内では定着していたが、この「検索ちゃん」という番組は、40代の爆笑問題が学生の気分に退行する場だった。爆笑問題の本質は、けして鋭い社会風刺なんかにはなく、その未成熟さにこそある。子どもがそのまま大きくなったような風貌の爆笑問題は、マンガやアニメに代表される日本文化の幼児性を象徴しているようにすら思えるが、もともとはマニアックな芸風だと思われていた爆笑問題がポピュラーな存在になりえたのは、まさに、それゆえのことではないか。 爆笑問題の未成熟な魅力を存分に伝えていた「検索ちゃん」を失うことが、爆笑問題にどんな影響を及ぼすか。すぐには表れないだろうけれども、土田に同じく、この先がちょっと不安になるのだ。 ◆「とんねるずのみなさんのおかげでした」。「食わず嫌い王決定戦」、立川志の輔×爆笑問題。 とんねるずと志の輔師匠とはかなり珍しい顔合わせ。年齢は志の輔師がとんねるずよりもひとまわり上になるが、とんねるずは1980年結成、志の輔師は1983年入門なので、芸歴はとんねるずのほうが3年も上。会話の調子からして、おそらく、とんねるずはそのことに気がついてないだろうなぁ。 昼寝。 夕方、犬の散歩。 日記更新。 加筆修正を中心に。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009年10月05日 03時17分48秒
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