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カテゴリ:テレビ その他
半藤一利「大相撲こてんごてん」、読了。文春文庫。
大相撲の野球賭博問題をきっかけに読み始めたのだが、読み終わるのにずいぶん時間を食ってしまった。 もちろん、賭博とはまったく関係ない内容です。ことばの勉強になる。
仕事。 昼食。米舞、おにぎり3個。 大口へ。 アクロスプラザ。 電車からは見えていたが、駅からけっこう歩く。 ブックオフ。 100円本、7冊。浅暮三文、小林信彦、高橋源一郎、村松友視、山上龍彦、松野大介、根本敬&村崎百郎。 サイゼリヤ、柔らかチキンのチーズ焼き。 駅までのあいだに何軒か古本屋があって寄ってみたが、いずれも収穫なし。 帰宅。 テレビ。 昨日放送、NHK教育「笑っていいかも!?」。 Twitter上で話題沸騰だった、“障害者の障害者による障害者のためのバラエティ”。司会の山本シュウのオープニングでの説明によると、「きらっといきる」という番組の月イチ企画である、バリアフリー・バラエティ「バリバラ」の2時間スペシャルだそうだ。 その「バリバラ」という番組は観たことないけれども、ひと昔前ならば“過激”な番組にも思えるが、現在の感覚からするとごく自然な流れにも思える。これを“過激”と見るのは差別意識だが、それはかつての名残であって、多くのひとにとっては現在進行形のものではないのではないか。 日本人の障害者観を劇的に変容させたのは乙武洋匡で間違いないだろう。乙武氏が「五体不満足」でマスコミに登場したのは1998年のこと。最初こそ、世の中をびっくりさせる“過激”な存在だったが、今はぜんぜんそんなことはない。テレビのなかでも当たり前に存在するようになった。 世の中には確実に存在するのにマスコミのなかでは存在しないことになっている、というものごとはまだまだいっぱいあるのだが、その壁をひとつ、ひっぺがすことに成功したのが乙武洋匡という存在だったといって良いだろう。 この「笑っていいかも!?」という番組は、そこに障害者が映っていること以外は、とても凡庸なバラエティ番組であるところがとても良かった。“悪ノリ”に見える部分も含めて、とても凡庸なのだ。番組序盤こそ、かつての名残によって、障害者たちはテレビのなかの“異物”に見えるが、この異物感もそう長くはもたない。乙武氏が何年間かのあいだに変えていったような、その経過を、2時間のなかで体感できることがこの番組の核に思えた。 こういってはなんだが、登場するタレントたちの人選もバラエティ番組のなかでは非常に凡庸である。あらかじめ理論武装されたようなタレントを避けたところにも、この番組のはっきりとした意図がありそうだ。議論のコーナーもあったが、こういうことは知的な層だけが語り合っていてもしょうがない。問題を理屈で解決するよりも、気がつけばそんな問題はなくなっていた、という状況がくることを、おそらく目指しているのではないか。 しかし、だからこそ大事なことだが、この番組に登場した障害者たちは、まだまだタレントとしてのレベルには達していない。ただ、障害者だからテレビに出ている、という段階はいずれ越えなければならないだろう。乙武氏のように、マスコミに登場する資質をもった存在がほかに現れるかどうか。 そういう意味では、「SHOW-1グランプリ」というコーナーに登場した「脳性マヒブラザーズ」という“お笑いコンビ”には、もっと冷静な批評が下されるべきかもしれないとも思う。 障害者が自発的に“お笑い”をやっていることが重要なのだろうけれども、それにしても、ネタの題材が身体的特徴ばかりなのには辟易する。出演していた鈴木おさむは、女の芸人が“ブス”をネタにすることを例に挙げていたが、それはあまり品のいい芸風ではない。 「炭水化物」という聴覚障害者とヘルパーのコンビが、やっぱり、障害をネタにした漫才をやっていたが、漫才のあとで、手話で感想を語るすがたのほうがなんだか優れた“芸”に見えた。言葉は不自由でも、あれはものすごく流暢にしゃべれるのと同じことだ。手話にも“話芸”がおそらくある。
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Last updated
2011年01月13日 06時50分44秒
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