テーマ:日常の雑談(2560)
カテゴリ:航空&ミリタリー
ペリリュー、硫黄島、沖縄。 日米戦争で米軍に大きな打撃を与えた持久戦は標記の3つ。 万歳突撃、特攻など自軍死者、敵に与える効果と自軍にもたらす被害とのバランスを省みないやり方ばかりが日本軍の戦術ではない。 闘いの効果(=相手の死者数、被害を最大化すること)を目的とした戦略に基づく代表的な作戦が上記。 上陸戦において米軍は自らの被害を最小限とすべく、上陸前に艦砲射撃と航空機による爆撃を徹底。 ペリリュー島において米軍は、8月下旬からビアク島などニューギニア北西部からの陸軍爆撃機、9月6日から艦載機による予備爆撃を実施。 9月12日からは沖合いに停泊した戦艦5隻、重巡洋艦4隻、軽巡洋艦4隻、駆逐艦14隻からの艦砲射撃による破壊と高性能焼夷弾の集中砲火で島内のジャングルを焼き払った。 日本軍は水際作戦を行わず、艦砲による援護射撃が困難な米軍上陸後に攻撃を集中。 上陸初日の米軍の被害状況は、戦死210名、戦傷901名、上陸用舟艇60数隻、M4中戦車3台、LVT26台。 米軍が海浜から奥地に入ってからは、自然活かしてカバーされた塹壕等からの攻撃を徹底した。 上陸した米軍はホワイトビーチ上陸時の激戦から島の中央部の高地(標高80m程)への攻防戦で大いに苦戦。 9月23日、第1海兵連隊は損耗率54パーセントと壊滅状態に陥ってペリリュー島から後退。 10月30日、第1海兵師団が全滅判定(損失60パーセント超)を受けるという前代未聞の事態となり、ペリリュー島の南西10km南西のアンガウル島占領を終えたばかりの米陸軍第81歩兵師団に交代。 上陸に際し「2、3日で戦いは終わる」と公言していた第1海兵師団長のリュパータス海兵少将は師団長を解任された。 この時点で戦いは1ヶ月半。 ペリリュー島の戦い 1944年9月15日~1944年11月25日, 日本軍 戦死者 10,695名、捕虜 202名 残存者 34名 米軍 戦死者 1,794名、戦傷者 8,010名 一般人 住民、陣地構築に徴用工は日本軍が戦闘前に強制退避させたため死者・負傷者ともに0名とされる。 児島襄 『天皇の島』 講談社、1967年、角川文庫。小説 『児島襄戦史著作集 vol.7』にも収録、文藝春秋 小田実 『玉砕』 新潮社、1998年。小説。ドナルド・キーンにより英訳された。 共著 『玉砕/GYOKUSAI』(岩波書店、2006年)にも収録 舩坂弘 『ペリリュー島玉砕戦』 光人社、2000年 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年01月04日 08時04分05秒
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