テーマ:軍艦(24)
カテゴリ:船舶・navy
ドレッドノートは1906年12月2日、英国海軍(HMS)に就役した戦艦。 中間砲・副砲を装着せず単一口径の連装主砲塔5基を搭載して当時の戦艦の概念を一変させた革新的な艦である。 艦橋に設置した射撃方位盤で統一して照準することで砲を集中管理し、一斉射撃(斉射)することで命中率が飛躍的に向上した。 また当時のの戦艦の速力が18ノット程度(レシプロ機関)なのに対し、蒸気タービン機関で21ノットの高速航行が可能だった。。 以降、日本では「ド級(弩級)」戦艦という言葉が生まれたほどだ。 大口径、長射程、高速戦艦は、超ド級発展を遂げた。 「航空機優位」だけじゃない、 空母が海上戦力の中心になった理由 2019年4月3日 乗りものニュース …(略)… さて、その「空母の有用性」とは何なのでしょうか。 そのポイントとしては以下の3つが挙げられます。 空母の有用性、具体的にはどのあたり? まずひとつ目は「艦載機の存在」です。 戦艦は大口径の大砲を有していますが、その射程はせいぜい40kmほどです。 しかし、それが空母であれば、艦載機の存在によって、200km以上先の目標に向けて狙いを定めることも可能です。 もちろんこの距離は、洋上だけでなく内陸部にも向けることができるため、敵艦艇だけでなく敵地奥の陸上目標に狙いを定めることもできます。 しかも第2次世界大戦後、航空機はジェット化され、より速くより遠く飛べるようになりました。 現代の艦載機であれば、1000km以上も先の目標に対して攻撃することも可能です。 しかも、より大型の爆弾やミサイルも積めるようになっています。 複葉から単葉へ、レシプロ(ピストン)エンジンからジェットエンジンへ、航空甲板という狭い空間でも運用可能な航空機の登場により、空母は大発展を遂げたのです。 ふたつ目の要素は「汎用性、柔軟性」です。 航空母艦は英語で「Aircraft Career」といい、直訳すれば「飛行機運搬船」となりますが、運ぶ飛行機、いうなれば搭載する航空機の種類によって、さまざまな使い方ができるのです。 たとえば、特定エリアの制空権(一定空域において味方の航空機が自由に行動できる状態のこと)を確保したい場合には、制空戦闘機を多めに搭載して出航し、敵国本土を叩く目的ならば攻撃機を、揚陸作戦ならばヘリコプターや「オスプレイ」のような輸送機を多めに搭載するなど、それぞれの目的に合わせて柔軟に艦載機の数や種類を変更することで、幅広く運用することができます。 また艦載機の搭載武装も、目標が敵航空機であれば空対空ミサイル、艦船であれば魚雷や対艦爆弾、対艦ミサイルといった具合に、潜水艦なら対潜ロケットや対潜爆雷、魚雷など、陸上目標なら爆弾や空対地ミサイル、ロケット弾などといったように、積み替えることができます。 これは海上で、砲撃戦主体の船として生み出された戦艦とは大きな違いです。 戦艦は強力な艦砲を多数装備するとはいえ、それを魚雷やミサイルに積み替えることはできません。 仮にミサイルを搭載したとしても、その巨大な艦砲を外すことはできず、場合によっては無用の長物を載せたままとなるのです。 実はお安い空母、その理由 3つ目のポイントはその「経済性」です。第2次世界大戦当時、日本の国力を結集して建造した戦艦「大和」の建造費が、当時の価格でおよそ1億4000万円、現在の価値にすると約3兆円弱になるそうです。 同じころ建造された空母「翔鶴」「瑞鶴」の建造費はそれぞれ約8000万円ですから、「大和」の約半分の値段で建造できたわけです。 当時は、年に50%ともいわれるハイパーインフレが起こっており、また空母の場合、艦載機やそのパイロットを考慮しないと戦力としてカウントできないので、一概にこれだけで有用性を問うのは難しいかもしれませんが、それでも多くの国が、戦艦の建造より空母に力を入れた理由のひとつが、このような経済的理由だったといえるでしょう。 さらに戦艦の場合は、前線で直接的に敵艦とやりあうため、砲弾や魚雷に耐えられるような重装甲、そして敵艦の装甲を撃ち破れるだけの大口径砲を搭載しようとすると、建造にも高い技術力と相応のノウハウが必要です。 しかし空母の場合は、ある程度後方から航空機を発着艦させるため、それなりの発着艦支援装置は必要ですが、艦自体にはそこまで高い建造能力を必要としないため、戦艦と比べれば短期間での大量建造が可能です。 ゆえにアメリカは、太平洋戦争中に正規空母16隻、軽空母9隻、護衛空母118隻もの大量建造ができたわけです。 ちなみに、同時期にアメリカが建造した戦艦はわずか4隻(ほかに、戦前に起工、戦中に竣工したのが4隻)だけでした。 …(略)… 大口径・長射程砲を搭載する戦艦は自艦と同程度主砲を備える敵艦に相対しても撃たれ負けないための装甲(バイタルパートのみ)を備えた。 また片舷斉射で安定を得るためにも全幅が拡大しドンドン大きく、重くなった。 極め付けが戦艦大和(1941年12月16日就役)、武蔵(1942年8月5日就役)だ。 大和級は戦艦として史上最大の排水量(基準排水量64,000トン)、史上最大の46cm主砲3基9門、防御面は重要区画(バイタルパート)で対46cm砲防御を備えた正統派の戦艦。 苦労して大日本帝国海軍は巨大戦艦を作ったが、戦艦の時代を終わらせたのも帝国海軍だった。 1941年12月10日、マレー半島東方沖で帝国海軍航空隊がイギリス東洋艦隊の戦艦プリンス・オブ・ウェールズと巡洋戦艦レパルスを撃沈した。 戦艦は航空攻撃だけで撃沈できる証明となった。 大和、武蔵の就役の前に、戦艦は艦体決戦の主役から外れた。 一方、航空母艦は主役となったが、記事のように「安い」とはいえない存在。 機動艦隊、空母打撃群の形で、航空母艦を護衛する艦を伴わないと敵からの攻撃に脆弱だからだ。 中国海軍や海上自衛隊が急ごしらえの航空母艦を運用するには、航空母艦に随伴し海上、水中て守る様々な艦が必要。 航空母艦を単独で運用すると、対艦ミサイルで沈められる可能性があるからだ。 イージス艦などを配備するとさらにさらに高くつく。 そのため、艦載機が高額なこととあいまって、航空母艦はとても高くつく。 世界最強の米海軍の中でも中核を担う インタレスト 専守防衛を旨とし、少子高齢化・人口減少社会に入った日本が装備するに相応しくない艦種だ。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019年06月21日 06時00分13秒
コメント(0) | コメントを書く
[船舶・navy] カテゴリの最新記事
|
|