テーマ:自動車・交通(1690)
カテゴリ:訃報、消息
■3月13日、自動車デザイナー、マルチェロ・ガンディーニ氏が85歳で逝去した。 【追悼】 50選 前編 伝説の自動車デザイナー、逝く 2024/3/16 AUTOCAR JAPAN もくじ ー多作にして多才 自動車デザインの巨星 ーランボルギーニ・ミウラ(1966年) ーポルシェ911ロードスター(1966年) ージャガーFT 3.8(1966年) ーBMW E3(1966年) ーアルファ・ロメオ・モントリオール(1967年) ーフィアット125エグゼクティブ(1967年) ーランボルギーニ・マルツァル(1967年) ージャガー・ピラーナ(1967年) ーランボルギーニ・ミウラ・ロードスター(1968年) ーアルファ・ロメオ・カラボ(1968年) ーランボルギーニ・エスパーダ(1968年) ーフィアット128クーペ・ショッピング(1969年) ーアウトビアンキ・ランナバウト(1969年) ーランチア・ストラトスHFゼロ(1970年) ーランボルギーニ・ハラマ(1970年) ーランチア・ストラトス(1971年) ーシトロエン・カマルグ(1972年) ーBMW 5シリーズ(E12、1972年) ーアウディ50(1972年) ーフィアット X1/9(1972年) ーNSUトラピーズ(1973年) ーランボルギーニ・ウラッコ(1973年) ーランボルギーニ・エスパーダ4ドア(1973年) ーフェラーリ・ディーノ308 GT4(1973年) 多作にして多才 自動車デザインの巨星 2024年3月13日、伝説的な自動車デザイナー、マルチェロ・ガンディーニ氏が85歳で逝去した。 トリノ出身のガンディーニ氏は、1960年代半ばに著名なデザイン会社ベルトーネに在籍し、ランボルギーニ・ミウラ、ランチア・ストラトス、フェラーリ308/GT4などのデザインを担当し、名を馳せた。 独立後もさまざまなメーカーと協業し、数多くのコンセプトカーと市販車を世に送り出してきた。自動車デザインに与えた影響は計り知れない。 ここでは、ガンディーニ氏とその偉大な仕事に敬意を表し、彼の最高傑作を50台紹介する。 (マルチェロ・ガンディーニ、1938年8月26日トリノ生まれ、2024年3月13日リボリ没) ― 引用終わり ― ■3月18日、ラリー・ドライバー 篠塚建次郎氏が膵臓がんのため死去した。75歳。 篠塚氏は三菱自動車に入社し、社員ドライバーとして国内ラリー、海外ラリーに参戦した。 「ダカール・ラリー」で1997年に日本選手初の総合優勝を果たした。 2022-2023 日本自動車殿堂入りした。 …2022-2023日本自動車殿堂表彰式 2022年11月18日 Respomse … (略) … ◆モータースポーツの発展に寄与した日本人初の国際ラリー総合優勝者、篠塚建次郎氏 パリ・ダカールラリーとWRCで日本人ドライバーとして初の総合優勝を成し遂げ、ラリー競技への認知度を高めるとともに、アフリカでの教育環境向上に尽力されるなど社会貢献活動も積極に進めたことが殿堂入りの理由であった。 篠塚建次郎氏は、「殿堂入りの連絡をもらった時、本当に驚いた。日本自動車殿堂とは、自動車の研究、開発、生産、販売に尽力してきた名だたる方々が名を連ねている。スポーツの世界での殿堂入りも素晴らしい成績功績を残した方々がいらっしゃる」としたうえで、「私は56年間、ただ走りたいと、ずっと走ってきた。未だに生涯現役で走りたいという目標を持ってハンドルを握り続けているラリードライバーだ。この場にこうして立っていることだけで、心底恐縮している。それと同時に、こんなにも大きなご褒美をいただいたことに舞い上がっている」といまの気持ちを語る。 そして、「私はラリーに出場して良い成績でゴールするたびに多くのものを手に入れてきた。ゴールするたびに夢や希望が叶って、幸せが舞い込んできた。そこで私にたくさんの幸せをもたらしてくれたことへの感謝の気持ちを形にしたいと、ゴールした回数が最も多いセネガルのダカールに学校を作ったのだ。それは、ダカールとの関係を持ち続けたいという気持ちからで、今回の殿堂入りの評価に結びつくというようなことは本当に考えてもいなかった。頑張って頑張って走り屋として走り続けて良かったと心底思っている。この殿堂入りをバネにもっともっと自動車に愛着を注ぎ、日本の自動車業界のために役立つ努力をしたい」とコメントした。 ― 引用終わり ―
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最終更新日
2024年03月26日 16時00分08秒
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