テーマ:京都。(6066)
カテゴリ:京都検定1級受検勉強
神社#3(粟田神社・大将軍神社・八坂神社・京都霊山護国神社・地主神社・若宮八幡宮)の解答です。
不正解だった場合は▲とし、正解を記入しています ●粟田神社(東山区) ・貞観18年(876)(出羽守藤原▲興世)の奏上により(清和天皇)の勅命により、 この地に(牛頭天王)を祀ったのが始めとも、この地を治めていた(粟田氏)が氏神 として創建したとも伝える。 ・(▲感神院新宮)あるいは(▲粟田天王宮)とも称されたが明治になって粟田神社と 改称された。 ・同社の石段下は(旧東海道)(東山道)であり、(京の七口)の一つ(粟田口)にあ たり、古来行き来をする旅人が旅行の安全を祈願したことから(旅立ち守護)として 崇敬された。 ・(10月)に(粟田祭)がある。(▲出御(おいで)祭)(夜渡り神事) (神幸祭・還幸祭)・例大祭までを総称してそう呼ばれる。 ・神輿渡御の露払いとなる(剣鉾差し)は、(祇園祭山鉾)の原型とされ、長さ (約8メートル)、重さ(約60キロ)の剣鉾を一人でかつぐ ●大将軍神社(東山区) ・祭神は(素戔嗚尊) 相殿に(藤原兼家) ・平安遷都にあたり、王城鎮護のため京都の四方に祀った(大将軍社)の一つ。 ・境内には樹齢(800年)と伝える(銀杏)の大樹が立ち、古くは(鵺の森)と呼ばれて (源頼政)の(鵺退治)の伝説がある。 ●八坂神社(東山区) ・祭神は(素戔嗚尊・櫛稲田姫命・▲八柱御子神) ・(祇園社)(祇園感神院)(▲祇園天神社)(牛頭天王社)などと呼ばれたが、明治元年 に現社名となった。 ・斉明天皇2年(656)に(高麗)から来朝した(八坂氏祖)の(伊利之)が(新羅国牛頭山) の(素戔嗚尊)の神霊を(八坂郷)に祀ったと伝える。 ・または貞観18年(876)に(南都興福寺)の(円如)が堂宇を建て、のちに (▲祇園天神堂)を建立したともいう。 ・古くから(疫病除け)の神として崇敬され、(御霊会)を行ったとされる。 ・境内の摂社に(疫神社(蘇民将来社))(悪王子社)(美御前社)などがある。 ・本殿は別棟だった(拝殿)と(本殿)を一つの大屋根で覆ったもので(祇園造)と称され ている。重文。 ・(1月3日)に「かるた始め」がある。 ・12月31日 (をけら詣り) (吉兆縄)に(をけら火)を点火し、消えないように回しな がら持ち帰り、(神前の灯明)や(正月の雑煮)を炊く時の火種とする。 ●京都霊山護国神社(東山区) ・(護国神社)と通称され(京都神社)とも呼ばれる。 ・明治元年に我が国最初の(▲官祭招魂社)として創立した。 ・昭和14年には(昭和の大典)に使用した建物の一部が下賜されて社殿を造営し、京都霊山 護国神社と改称した。 ・境内には(木戸孝允(桂小五郎))(幾松)(坂本龍馬)(中岡慎太郎) (久坂玄瑞)(▲高杉晋作)(大村益次郎)(梅田雲浜)(吉田稔麿) (吉村寅太郎)(岩崎弥太郎)などの墓がある。 ・極東国際軍事裁判にて、ただ一人、被告全員の無罪を唱えたインド代表判事(パール博士) の顕彰碑がある。 ●地主神社(東山区) ・祭神は(▲大国主命)(▲素戔嗚尊)などだが、一説には(坂上田村麻呂)を祀るともいう ・明治維新までは(地主権現)と呼ばれた。 ・古くから(桜)の名所。(地主桜)の名前で有名。 ・(恋占いの石)がある。 ●若宮八幡宮(東山区) ・祭神は(仲哀天皇)(応神天皇)(神功皇后) ・天喜元年(1053)に(▲後冷泉天皇)の勅願で(▲源頼義)が(左女牛西洞院)に創建。 ・(足利歴代将軍)に崇敬され、興隆したが、応仁の乱で荒廃。 ・慶長10年(1605)に現在地に移転 ・(陶器神社)は、昭和24年に若宮八幡宮の相殿に(陶祖神)の(▲椎根津彦命) (しいねつひこのみこと)を祀ったもの。 よろしかったらぽちっとお願いします。 にほんブログ村 __________________________________ 「京都検定過去問」カテゴリー一覧表 http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28 「京都検定出題傾向分析」カテゴリー一覧表 http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=30 「京都検定勉強」カテゴリー一覧表 http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=31 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019/01/07 08:58:06 AM
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