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ワルディーの京都案内

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2017/06/23
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テーマ:京都。(6076)
カテゴリ:講演会
2017年6月23日(金)】

 午前中、京都アスニーでのゴールデンエージアカデミーのセミナーを聴講しました。無料です。

 6月のテーマは、「医道の歩み、ワザの伝統」として、京都人文科学研究所連携講座です。今日は、その3回目で、このシリーズとしたは、初めての聴講です。今日の演題、講師は下記です。







 上記に「歴史に埋もれています。一端を紹介します。」と書かれた一端のお話が下記内容です。

 幕末に、蔵書家として高名な幕府医官小島尚質(こじま なおかた、号は宝素)の家に四男として生まれた小島尚絅(しょうけい)の生涯について、熱く語っていただきました。小島尚質も小島尚絅にしても、私は初めて聞く人物でした。

 兄の尚真が若くして亡くなり、19歳で家を継ぎ、幕府医官の職を継ぐことになります。小島尚絅が安政2~4年に日記が「日新録」森鴎外が小嶋尚質について書いた「小嶋寶素」にも、この「日新録」を引用した部分があります。坂下門外の変から20日ほど過ぎたとき、尚絅は江戸医学館寄宿頭取に命ぜられます。

 しかし、明治維新で西洋医学中心になると、江戸医学館は明治政府に接収され、尚絅は森立之らとともに職を失います。漢方医学が蔑ろにされてしまいます。そのとき、制度改革の流れに乗って出世したのが森鴎外

 明治4年、尚絅は森立之とともに文部省に出仕し、ウィーン万博のために「日本地誌概要」の編纂に携わります。最晩年には全国の学校で使われた日本地図の掛図の一番最初のもの「大日本全図」作成プロジェクトに参加します。

 その頃、父宝素の蔵書の売却を考え、42歳で亡くなった後、清国駐日公使の随員として来日した、楊守敬が購入します。現在、小嶋宝素旧蔵書の大半は、北京と台湾に分かれ、なかでも善本は台北の故宮博物院に収められています。

 多田先生は、現在、それら蔵書公開に尽力されています。

 全否定されてしまった漢方医学。明治維新の負の側面を垣間見ました。歴史では習わないところです。


 セミナー終了後、お隣の京都市中央図書館で本を借り、立命館大学の学食を見学がてら昼食をとり、三井家ゆかりの地で未訪問のところを回りました(こちら)。

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最終更新日  2019/06/03 11:16:12 PM
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