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2021/05/25
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テーマ:京都。(6076)
カテゴリ:若冲と応挙
【2021年5月25日(火)】

 梅雨の晴れ間でした。月イチの会のお役の私担当の打ち合わせで、5日ぶりの京都市内でした。本来ならば修学旅行生で賑やかなはずなのですが。昨日の歯の治療でしたが、今日、痛みが出てきてました。ガマンできるレベルですが、つらいです。


「奇想の画家 若冲と応挙」の11回目です。いよいよ代表作「動植綵絵」を若冲は描きます。

◆第2章 伊藤若冲(続き)

2-7 「動植綵絵」を描く

 10代半ばから絵を描き始めた若冲は、今まで述べてきたように、描くべき絵のスタイルを模索しながら、絵の技量を伸ばしていきます。さらに鶏の写生を経て、技量を一段と高めた若冲は、画家として独り立ちすることを決意します。宝暦5年(1755)40歳のとき、家督を次弟・宗厳に譲ります。このことは第7回で紹介した「町中沽券状」で知ることができます。宗厳が五代目枡屋源左衛門として、枡屋を継ぎ、若冲は絵を描くことだけに専念します。そして、宝暦8年(1758)、若冲43歳のとき、一番の代表作、いや代名詞といってもよい作品群「動植綵絵」の連作に着手します。


若冲筆「動植綵絵」(一部)宮内庁三の丸尚蔵館




 「動植綵絵」は全30幅の彩色画ですが、「藤景和画記」では、「花鳥三十幅」と表現されており、当初は水墨画が三幅あった(「墨画三」)と書かれています。しかし、やはりインパクト狙いなのか、最終的には全30幅とも彩色画となりました。


「動植綵絵」についての記述@「藤景和画記」
  



  「動植綵絵」は大典顕常が住持を務めていた慈雲庵の本山・相国寺に寄進されたものですが、若冲は「釈迦三尊像」も合わせて相国寺に寄進しています。この釈迦三尊像は、東福寺にあった伝・張思恭筆「釈迦三尊像」を模写したものです。東福寺も相国寺同様、臨済宗の本山であり、やはり大典顕常繋がりで模写が実現したのでしょう。その東福寺の原本の中幅・釈迦像は、現在米国・クリ―ブランド美術館に所蔵され、模写の方の若冲筆「釈迦三尊像」が相国寺に残っていているというのも歴史の綾なのでしょうか。

 
若冲筆「釈迦三尊像」 宝暦11(1761)~明和2(1765)相国寺蔵




 若冲が相国寺に寄進したのは、「動植綵絵」30幅と「釈迦三尊像」3幅、合計33幅になるわけですが、何故33幅なのでしょうか。観音菩薩が衆生を救うため相手に応じて33の姿に変化すると、法華経のなかの観音経に書かれています。このいわゆる「観音三十三応現身」と呼ばれる信仰に基づいたのではないかといわれています。因みに「西国三十三所巡礼」も、この「観音三十三応現身」の信仰に由来するといわれています。

 しかし、最初から33幅全部同時に寄進されたわけではありません。明和2年(1765)若冲50歳のとき、末弟の宗寂が亡くなります。同じ年に、父・宗清の27回忌が営まれます。これに間に合うように、まず「釈迦三尊像」3幅と、既に完成していた「動植綵絵」24幅、合計27幅が寄進されました。このとき寄進状に「動植綵絵」という画名が使われています。若冲は43歳から「動植綵絵」を描き始めましたが、非常に細密な絵のため、制作に時間がかかったのでしょう。そのうえこの時期、いくつかの他の大作も手掛けています。ですから、「ようやく27幅だけが間に合った」という考え方もできます。一方で、父親の27回忌なので、「27という数字に拘った」という説もあります。

 そして、明和7年(1780)若冲55歳のとき、父親の33回忌が営まれ、それまでに「動植綵絵」残り6幅を完成させ、ようやく全30幅の寄進が完了しました。

 前述したように、この40歳代は、「動植綵絵」だけでなく、他にも大作をいくつか残しています。代表的な作品だけでも、宝暦4年(1759)44歳のときの、鹿苑寺(金閣寺)大書院の50面に及ぶ水墨画の障壁画、明和元年(1764)49歳のときの、金刀比羅宮奥書院「花卉図」「山水図」「杜若図」「垂柳図」などがあります。鹿苑寺大書院の水墨画は、現在は相国寺承天閣(じょうてんかく)美術館で、常時公開されています。


若冲筆「葡萄小禽図(ぶどうしょうきんず)」鹿苑寺大書院障壁画 
 相国寺承天閣美術館蔵





 また、大典の「小雲棲稿」によると、宝暦10年(1760)若冲45歳の頃、大典は若冲、池大雅らと京郊外で観梅を楽しんだとあり、若冲と文人画家・池大雅との間に交流があったことも分かります。


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最終更新日  2021/06/05 01:07:11 AM
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