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早朝、ラフィータフィー「目覚まし時計は歌う(選挙ソング) 」の動画をYouTubeで。
選挙といえば、どうしてもこの歌を思い浮かべるのだ。忌野清志郎の作るプロテストソングを無邪気すぎると思った時期もあったが、シンプルな表現だからこそ響く強さもある。 目覚ましの歌で目覚めず、午前中は睡眠。 梱包作業。 ラジオ。 「日曜サンデー」の珍プレー好プレー大賞を聴きながら。 外出。 外に出て気がついたけど、今日は少し暖かいのだな。 クロネコメール便、10点。 吉野家、炭火焼鳥丼。 スーパーで買い物。 小学校に寄って、衆院選の投票を。 下調べがまるでできなかったので忸怩たるものはあるが、政党で選ぶのがいいだろう。 投票する作業自体はじつにあっさりしたものだ。 急いで帰宅。 17時半からテレビを観ようとすると、ほかのことがなんにもできない。 テレビ。 「THE MANZAI 2012」。 急いで帰ってきて、落ち着くまでちょっとかかったので冒頭1分ほどを観逃してしまった。 選挙と重なったせいで、こんな17時半からというひどい時間に放送。でも、しかたがない。選挙のほうが重要には違いないので、それでも中止にしなかったフジテレビに拍手を贈ろう。 司会、ナインティナイン、高島彩、佐野瑞樹アナ。 審査員、西川きよし、秋元康、テリー伊藤、オール巨人、ラサール石井、大竹まこと、木村祐一、天野ひろゆき、鈴木おさむ。 最高顧問にビートたけし。 テンダラー ウーマンラッシュアワー ハマカーン オジンオズボーン トレンディエンジェル NON STYLE 磁石 千鳥 スーパーマラドーナ アルコ&ピース 笑い飯 エルシャラカーニ ハマカーン 千鳥 アルコ&ピース
テレビをつけたままにしていたら、選挙特番になった。 さっそくの速報、自民圧勝という結果に呆然とする。自民が勝ったことではなく、「圧勝」ということに。 なにがどうなってるのか理解ができない。 ツイッターを見ていると、テレビ東京の池上彰の番組の評判が良いが、テレビはほどほどで切り上げる。 タイムラインの流れがいつもより早くて、追い続けていてもきりがない。 少し眠る。 ラジオを聴きながらツイッター。 3時間程度しか眠ってないのに、眠ってるあいだのツイートをさかのぼるのに1時間以上かかった。 明け方近くなって、ようやく流れは治まる。 選挙のせいで、「THE MANZAI」の余韻はあっさり吹き飛んでしまった。 「THE MANZAI」の結果の気持ちよさに比べて、選挙結果の理解の及ばなさはなんなのか。まるで、自分がいきなりものすごく馬鹿になってしまったかのような錯覚を覚える。 とにかく、いろいろなことが国民に届いていない。リベラルなひとたちの話がいくら正しくて素晴らしいとしても、多くの国民にとっては一生触れることのない話なんじゃないか。届けるための「芸」がそこには欠如している。 小沢昭一「日本の放浪芸」のディレクターであった市川捷護の著書「回想 日本の放浪芸」を読むと、当初の構想のなかには「選挙」「国会」「軍隊」といったものも含まれていたことがわかるのだが、そう考えると、投票というのは「政策」に対する評価ではなく、「芸」に対する投げ銭と似たものということになる。 2009年の政権交代のときには、「太田総理」が国を動かすことになったんじゃないかと僕はけっこう本気で思ってるんですが、山本太郎の愚直さも好きだけれども、芸能人は立候補するよりも、「芸能」のなかでできることがおそらくいろいろあるはずなのだ。「政治」のフレームに入ることで、とたんに国民に声が届かなくなるというケースもある。あるいは、「芸能」のフレームのままで「政治」に入っていくか。 たとえば、内田裕也が政見放送で歌ってみせれば、苦笑、失笑の標的となり、面白がられるだけになってしまうのだが、では、あの映像のもつちからをどう理解すれば良いのか。あの内田裕也の芸能人としての稀有な存在感が、優れた政策と噛みあっていたらはたしてどうだったか。 ◇12月16日のツイログ (あとで加筆修正します。) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012年12月19日 08時01分12秒
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