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カテゴリ:国家と文明(市場原理主義と社会主義)
さて、これまで長々と紹介してきた『国家と文明』が具体的な実践(よりよい社会の形成)にどのような示唆を与えてくれるのか、補足しながらまとめていきたいと思います。 このシリーズの第1・2回目に私は、「“市場原理主義”が貧困や環境問題などさまざまな矛盾を生み出すことが明らかになってきた現在、人類の未来を切り開いていく上でマルクス主義・社会主義思想は貴重な示唆をもたらしてくれる」として、「適切に理解・構成されたマルクス主義」について次のようにまとめました。 3、この変革の客観的な条件や展望は、現実に動きつつある社会や歴史を深く解明することによって見出すことが出来る。(そのための理論が史的唯物論) さて、上記1・2についてですが、特に「社会主義の立場」をとらない人々にとっても「人間が解放された民主的な社会(自由権と社会権が理想的に実現された社会)が望ましい」ということについては広範な合意が成り立つと考えています。 そして、このような歯止めが有効に機能しているかに見える北欧社会の「国づくり」についてもブログ記事で触れてきました。私は(さまざまな問題が存在するにしても)北欧社会の歩み・方向性は望ましいものだ、と考えています。 しかしながら、北欧社会は「一つのモデル」であるにしても、私たちが生活している「この社会」をよりよいものにしていくためには「客観的な条件」を考えていく必要があるでしょう。 そもそも、北欧と日本の客観的な条件の違いは何でしょうか。また、日本における「社会変革の客観的可能性」についてはどのように考えるべきでしょうか。『国家と文明』の理論的成果を踏まえ、この点について考察しておきたいと思います。これは「適切に理解・構成されたマルクス主義」の3(上記)に関連します。 竹内芳郎は、「史的唯物論の再構成」の作業を通して、人類史において「周辺革命の傾向的法則性」(例えば、「成熟した資本主義社会」よりも、その影響を受けた周辺の地域で「新しい社会」が形成されていくという傾向)が働いていることを見出しました。 これを踏まえれば、ロシアや中国、キューバ、ベトナム等だけでなく、北欧における「資本主義の矛盾を克服する社会づくり」についても理解しやすい、と私は述べましたが、そもそも典型的な社会の移行・変革が、ほとんど常に「周辺革命」だったのはなぜでしょうか? 竹内芳郎は次のように答えます。 ある社会が成熟しきった時には、その中にあって社会を変革すべき任を担った階級自体もその社会の成熟した「文化」に埋没してしまうことが多いため。(むしろ成熟した社会の「周辺でその影響を受けた地域」が比較的容易に次の社会への移行を果たす。) 上記の「文化」については大ざっぱに「社会・政治制度や人々が共有する価値観」ととらえておきましょう。そうすると、「資本主義経済」を基盤とする成熟した市民社会がその変革を容易に許さない「価値観」とは何でしょうか。 「自己責任論」がそれにあたると私は考えています。 『週刊東洋経済』 2010年4月24日特大号にも次のような文章がありました。 貧困問題解決に向けて「富裕層から低所得層に所得を再分配する方法」、これにはいつの時代でも困難が伴った。市民社会のルールである「生活自己責任原則」に基づく個人主義のモラルが、「貧困は怠惰、浪費などの個人の能力や性格に原因がある」との見方からの脱却を容易に許さないからだ。 (「反貧困ネットワーク」の事務局長で、「セーフティーネットの張りなおし」に取り組んでいる湯浅誠も数年前「“自己責任論”という名の強烈な向かい風が吹いている」という文章を書いていました。) 例えば日本や米国においては、この「自己責任論」が改革の大きなネックになっているように思われるのです。これは、克服できるのでしょうか。 克服に向けての客観的な条件は整いつつある(克服に向かいつつある)と私は考えています。
また、現在、著者の竹内芳郎が主宰して始めた「討論塾」の概略はこちらです。 可能な方は、ぜひご参加ください。
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いつも、ありがとうございます。
なかなか、理論的なことについて考える場面がないので、貴重なページだと拝読しています。 自己責任論については、言われ始めた時に、私も強い違和感を直感的に感じていました。 これを言い始めると、今という時代をすべて肯定してしまうことになってしまうと思います。 その行く先は、いのちを軽視する考え方ですね。 いのちを単なるモノとしかみない時代です。 だからこそ、違和感を感じたのだと思います。 無理やりな展開かもしれませんが、10年ほど前から、仕事以外の世界に触れ始めたことや、5・6年前から性根を入れて土に向い始めたことで、ものの感じ方・考え方が変ってきたのだと思います。 それと4月から職場で異動になり、人事担当となることで、いままで知らなかったことを知るようになっていることも、それに拍車をかけつつあるようです。 (2010.05.23 04:42:34)
けんとまん1007さん
>なかなか、理論的なことについて考える場面がないので、貴重なページだと拝読しています。 ありがとうございます。そのように言ってくださると大変励みになります。 >自己責任論については、言われ始めた時に、私も強い違和感を直感的に感じていました。 >これを言い始めると、今という時代をすべて肯定してしまうことになってしまうと思います。 そうなのです。にもかかわらずなかなか抜け出せない難しさもありますね。まちがいなく変わりつつあると考えるのですが・・・。 >その行く先は、いのちを軽視する考え方ですね。 >いのちを単なるモノとしかみない時代です。(・・・) >無理やりな展開かもしれませんが、10年ほど前から、仕事以外の世界に触れ始めたことや、5・6年前から性根を入れて土に向い始めたことで、ものの感じ方・考え方が変ってきたのだと思います。(・・・) 新しい体験を通して、見方考え方が変わるということはありますよね。貴重な体験をしておられるなぁとブログを拝見しています。 (2010.05.23 12:55:41) |