カテゴリ:ユダヤ教
週末は日本人のお友達と朝まで熱いチャットコースでした。 終戦と言うことも兼ねて、紹介します。 国際情報サピオ:5月13日号『ゴーマニズム宣言:天皇論 (小林よしのり) 』 皇居・御所がある吹上御苑の森の東南に「宮中三殿」と総称される三つの祭殿がある。 それぞれ回廊で結ばれ、真ん中の一段高く一回り大きいのが天照大神を祭る「賢所 (かしこどころ) 」 左側が歴代天皇・皇后・皇族の御霊を祭る「皇霊殿」。 右側が八百万の神々を祭る「神殿」である。 三殿とその周辺を「賢所 (けんしょ) 」と総称することもある。 その原形は明治5年にできたが、翌年の火災で赤坂離宮に仮遷。その後、明治22(1889)年に造営、空襲の被害を免れ、今日に至っている。 宮中三殿では多くの祭祀が行われている。皇室祭祀は、古代以来の伝統を踏まえて整備し、明治41 (1908) 年に「皇室祭祀令」として成文化された。 伝統破壊希望を持つ左翼学者は、「宮中祭祀は明治に制定された創られた伝統」とデマを飛ばす、その典型が原武史著の『昭和天皇』だが、憶測だらけで書かれたこんな本が評価を受けるのはどういうわけか? そもそも伝統とは、昔のある時点の「形式」を形どおりになぞることではない。それは因習になりかねない。左翼学者は「伝統」とは何かが全然わかっていないのだ。 「伝統」とは、歴史の積み重ねの中から醸成される「国民の安寧のための智慧・バランス感覚」のことであり、時代と共に柔軟に表現を変えながらも受け継がれていく「魂・エートス」こそが肝要なのだ。 新嘗祭 (にいなめさい) や大嘗祭 (だいじょうさい) は、古代から行われてきた祭祀であり、戦国時代以来、中断していたが、江戸時代、それぞれ復興し18世紀松の光格(こうかく)天皇が本格的に復興させた。その皇室祭祀の伝統を「明治に創られた」と言うのは完全に誤りであり、デマである。 皇室祭祀は天皇自らが祭祀を行う「大祭」と、男性神職の掌典長(しょうてんちょう)が祭祀を行い、天皇が礼拝する「小祭」に大別される。 一年で最も重要な大祭は11月23日の「新嘗祭」で、これは神嘉殿 (しんかでん) という専用の祭殿で行われる。 天皇陛下は大祭・小祭合わせて年間30前後の祭祀にお出ましになってきた。 天皇陛下とは「祭祀王」であり、祭祀を行うことこそが天皇の本質である。ところが天皇の祭祀を破壊、空洞化しようと目論む者がいる。それもよりによって、天皇を支える立場の宮内庁に。 斎藤吉久著『天皇の祈りはなぜ簡略化されたか』によると、その元区は長年、昭和天皇の侍従を務めた入江相政(いりえすけまさ)氏である。昭和9年に侍従、昭和44年に侍従長になり、昭和60年に死去するまで務めた入江氏は膨大な日記を残したが、そこには祭祀の神聖さが全く書かれていないどころか、 祭祀に出なくて済むと「こんな嬉しいことはない」と記すほど露骨に司祭を嫌い、祭祀に熱心な女官を「魔女」呼ばわりまでしていた。 入江氏は侍従長に就任するや、まだ昭和天皇がお元気なうちから「ご高齢」を口実に、祭祀の簡略化、という破壊に着手した。天皇の祭祀は誰も見ていないところで行われ、国民は何が行われているかをしらない。それをいいいことに、誰も知らないところで伝統の破壊は行われていた。 昭和天皇はただ一人で、出来る限りの抵抗をなさり、今上天皇も皇位を継いだ際にある程度、司祭を元に戻された。 しかし、昨今、天皇陛下が体調を壊されたのを機に、宮内庁は再び祭祀の「簡略化」を打ち出した。その内容は、入江氏が行った祭祀破壊をそっくり「前例踏襲」するものになっている。 宮内庁職員は戦前の宮内省とは異なり、他省から幹部職員が入ってくる。中には皇室の伝統に対して全く無知で、単なる官僚の保身主義から「政教分離」の批判におもねる者がいる。これにより祭祀軽視が宮内庁に蔓延してしまったと斎藤氏は指摘している。 ご高齢の天皇陛下の負担軽減が必要なのは確かである!だが優先順位を誤ってはならない。祭祀を第一にしなくなったら天皇は天皇でなくなってしまうのだ。 宮内祭祀が行われている宮中三殿は皇室で最も重要な場所であり、まさに聖域である。宮中三殿の祭祀に携わる、神職にあたる男性を「掌典 (しょうてん) 」、女性を「内掌典 (ないしょうてん) 」という。現在、掌典が7名、内掌典が4名いるが、聖域に勤める者であるだけに活動は非公開で、宮内庁職員でさえ、その姿を見ることは稀だという。 特に、「内掌典」は未婚の女性に限られ、皇居内に住み込んでめったに外出もせず、神に仕える。現在は新道系の学校の卒業生などが4年交代で務めているが、かつては生涯をほとんど皇居に暮らし、奉公する者がいた。 その最後の存在で、57年勤めて平成13年に退職した、高谷朝子氏の回想録を読むとその規律の厳しさに驚かされる。 「清 (きよ) 」と「次 (つぎ )」の区別の厳格さについては第5章で触れたが、他にも鳥以外の肉系や乳製品を食べてはいけないなど、あらゆるものから穢(けが)れを避けなければならない。整理は「まけ」といって最も穢れであり、ご用は遠慮して1週間、着物や箸まで「まけ」専用のものを使う。 日常すべて着物で凄し、髪は「おすべらかし」に似た「おさえ」という髪型。これはなれないうちは夕のに12時間もかかる。寝る時も髪が乱れないように箱枕を使い、洗髪は月に一度「まけ」のお清めの時だけという。 人知れず、ここまで厳しく伝統を守り、髪に支える人々がいるからこそ、聖域は守られるのであり、戦前は国家公務員の扱いとされていた。ところが、戦後は天皇の「私的」な雇用人となっている。これも「政教分離」を原理主義的に適用しようとする世にも愚かな左翼イデオロギーのためである。 この聖域の中心にある賢所のご神体は「三種の神器」の一つ、八咫鏡(やたのかがみ)である。「三種の神器」とは八咫鏡 (やたのかがみ) と、草薙剣 (くさなぎのつる) =天叢雲剣 (あめのむらくものつるぎ)、八尺瓊勾玉 (やさかにのまがたま) をいう。 中でも天皇の祖先である、天照大神の魂を宿した鏡が別格に重要なものとされ、剣と玉が天皇のお住まいである御所の寝室の隣の「剣璽 (けんじ) の間」にあるのに対し、鏡は賢所の奥深くに安置され、滅多に動かされない。 皇居の神器のうち鏡と剣は「分身」で、八咫鏡 (やたのかがみ) の本体は伊勢神宮に、草薙剣 (くさなぎのつる) の本体は熱田神宮にある。 分身と言うのは「レプリカ」とか「複製」と説明されることが多いが、「模造品」ということではない。振動における「分祀」が、ろうそくの火を分けるように、神様の分身を殖やすのと同様、分身も本体に準ずる神器なのである。 スサノオノミコトの乱暴狼藉に恐れをなした天照大神は・・・ 「天の岩戸」に引きこもり、世界は闇に包まれてしまった。そこで神々は一計を案じ、「鏡」と「曲玉(まがたま)」を作って、天の香具山(かぐやま)から掘り起してきた榊(さかき)に懸け、祝詞(のりと)を唱えて祝福した。 そしてアメノウズメノミコトが神がかりして踊ると、高天原が鳴りとどろくばかりに八百万の神々が、どっと一斉に笑った。 天照大神はそれを不思議に思われて・・・ 私がここに、こもってすべてが闇夜になっているのに、どういうわけでアメノウズメノミコトは舞楽をし、神々はみな笑っているのか? 「貴方様にもまさる貴い神様がおいでになりますので、喜び笑って歌舞しております。」、そういう間に鏡を差し出し、天照大神にお見せすると・・・ 大神はますます不思議に思って鏡の中を覗こうとする。 その瞬間、戸のそばに隠れていたアメノタヂカラオが天照大神の手をとって外に引き出し、フトダマノミコトが注連縄(しめなわ)を張った。 そうして太陽が戻り、世界は明るくなった。 一方、高天原を追放されたスサノオノミコトは出雲の国に降り、クシナダヒメを救うためにヤマタノオロチの退治を引き受ける。 酒に酔いつぶれたヤマタノオロチをスサノオはズタズタに切る。そしてオロチの中ほどの尾を切った時に剣の刃がこぼれた。 不審に思って尾を裂いてみると、素晴らしい「剣」が出てきた。スサノオノミコトはこの剣を天照大神に献上した。 この神話に登場する神鏡、曲玉、宝剣が「三種の神器」である。 神道とユダヤ教 2に次く。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年08月17日 10時28分45秒
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