テーマ:世界経済(43)
カテゴリ:訃報、消息
9月3日、長谷川慶太郎氏死去。 1927年11月29日、京都府に生まれる。 エコノミストと一口で表せないほど多様な分野について専門的な論評を行っていた。 主な評論の対象は、時事の経済評論、国内政治、国際政治、国際経済、軍事関係。 日本個人投資家協会理事長。 大阪大学工学部冶金学科に入学、1953年卒業。 日本共産党に入党し、志賀義雄衆議院議員秘書を務める。 1955年から1963年まで、産経新聞記者。 1963年、経済評論家として独立。 証券アナリスト業、評論家業を営み、著述や朝の情報番組へのテレビ出演なども行った。 国際エコノミスト、 2019年9月4日 産経ニュース 国際エコノミストの第一人者、長谷川慶太郎(はせがわ・けいたろう)さんが3日、心不全のため死去した。 91歳だった。 葬儀・告別式は親族で行う。 喪主は長男、徹(とおる)さん。 昭和2年、京都府生まれ。 28年に大阪大学工学部を卒業し、新聞記者などを経て、経営評論家として独立。 その後、国際的視点に立ったユニークな分析で国際エコノミストとして活躍した。 最先端の技術情報や、軍事知識に裏打ちされた独特の分析に定評があり、政治、経済、国際問題を大胆に予測する手法で、多くの会社経営者や投資家に影響を与えた。 一貫して日本経済の実力を高く評価し、世界経済の中でも、日本が重要な役割を果たすと主張してきた。 58年に「世界が日本を見倣う日」で石橋湛山賞を受賞。 「デフレに勝つ経営学」「アジアが日本に屈する日」など、著書多数。 ― 引用終わり ― 砂川事件の後、共産党の方針について行けず離党。 1968年、ブルガリアの共産党から招かれ、3ヶ月にわたり生産設備に対する指導・助言を行った。 自衛隊幹部学校、防衛省防衛研究所一般課程の非常勤講師を30年以上にわたって務めた。 国際関係、国際経済の分析に軍事の分析は欠かせない。 約50年にわたって日本経済の分析を続けた。 1981年「世界が日本を見倣う日」で文藝春秋読者賞。 1983年に同著で第3回石橋湛山賞(東洋経済新報社後援)受賞。 東西冷戦終了後のブロック経済の進展。 デフレの継続。 21世紀をデフレの世紀とみたことなど、大局観は適切だった。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019年09月04日 21時45分25秒
コメント(0) | コメントを書く
[訃報、消息] カテゴリの最新記事
|
|