テーマ:京都。(6066)
カテゴリ:常駐ガイド
【2017年3月30日(木)】
今日は、「八木邸」の第17日。私の最終勤務日です。 春らしい暖かな一日でした。春休みに入って、ご家族連れや中高生が多く来られました。中高生や小学生は大人と違って、お抹茶なしの選択もできるので、受付でその説明もしなければなりません。修学旅行の場合は、生徒ということは分かるのですが、家族連れや友達同士であれば、ちょっと見では、なかなか判断できません。失礼になる場合もありますが、確認せざるを得ません。大学生だと思ったのに、「えっ、高校生?」ということもあれば、高校生と思ったのに、「えっ、大学生?」という場合もあります。 京都でボランティアガイドをしているという4、5人連れのお客様が来られました。新選組のこともよくご存知だと思いますが、ガイドが終わって、「とてもよく分かりました。金戒光明寺や壬生寺、角屋も訪問して、最後にここを訪れて説明を聞いて、それらの繋がりがよく分かりました。ありがとうございました。」とのお言葉をいただきました。一般のお客様に喜んでいただくのはもちろん嬉しいですが、プロの方に評価いただけるというのは、違った視点で嬉しいものがあります。 さて、ガイド内容の続きです、前回(こちら)、芹沢鴨暗殺のところを書きました。今日は、最終回で、芹沢暗殺後のことです。 毎回書いていますが、新選組については、史実が明確ではないことも多く、ここに書いているのも、諸説あるうちの一つに過ぎない場合もあるということをご承知おきください。 【近藤・土方中心の運営】 新見切腹、芹沢・平山暗殺、平間行方不明、そしてその後、野口切腹で水戸系(芹沢一派)は誰もいなくなります。その後は、近藤・土方のラインがきっちり出来、新選組の全盛時代を迎えます。 彼らが八木邸に寝泊まりして、出て行って活躍したのが、池田屋事件、蛤御門の変です。新選組が最も活躍した時期です。しかし、やがて隊士の数が200人を超え、もはや壬生村では収容しきれなくなり、収容能力のある大きなお寺・西本願寺に屯所を移します。元治2年(1865)3月10日のことです。ですので、新選組が壬生村を屯所にしたのは、2年間だけです。しかし、その2年間が新選組が最も活躍した時期です。西本願寺の後、慶応3年(1867)6月15日に不動堂村へ屯所を移します。 【江戸幕府消滅・戊辰戦争】 第一次長州征討くらいまでは、幕府側が優勢でしたが、坂本龍馬が仲介するなどして、それまで犬猿の仲だった薩摩と長州が薩長同盟を結び形勢は逆転します。やがて慶応3年(1867)10月14日、大政奉還を経て江戸幕府は消滅します。 しかし、戦いはそこで終わらず、慶応5年(1869)に京都の南で鳥羽・伏見の戦いが起こり、戊辰戦争に突入します。 鳥羽伏見の戦いでは、井上源三郎が40歳で戦死しています。戦いは東に移り、江戸城は無血開城されましたが、上野戦争では原田佐之助が負傷し、それがもとで29歳で亡くなっています。 近藤勇は、甲州勝沼の戦いで敗走し、捕縛され、処刑されます。35歳でした。さらに戦いは北に移り、白虎隊で有名な会津戦争があります。そして、最後は北海道函館の五稜郭の戦い(1869年5月)で幕府軍は壊滅します。土方歳三が、35歳で戦死します。 沖田総司は25歳で病死。藤堂平助は隊を離脱し、油小路事件(慶応3年(1867)12月13日)で暗殺されます。24歳でした。山南敬助も隊を離脱し、新選組の仲間により捕えられ、元治2年(1865年)2月23日切腹。32歳でした。山南敬助のお墓は、八木邸のすぐ北の通りを東に行ったところにある光縁寺という小さなお寺にあり、入ってお参りしていただくことができます。 永倉新八は会津戦争で会津藩が降伏したのを知り、松前藩士に帰参します。結成当初の新選組メンバーの中で唯一人長生きし、77歳まで生きます。明治時代は国賊扱いだった新選組の復権運動をし、東京板橋に近藤・土方のお墓を建てています。 【「無事楽太平」の額】 ガイドをする座敷に「無事楽太平」という額がかかっています。書いたのは明治から昭和にかけて活躍した著名な日本画家・橋本関雪です。「無事太平を楽しむ」と読みますが、いつどのような目的で掛けられたものかは伺っていません。私の勝手な想像を書いてみます。 橋本関雪は、明治16年生まれ、昭和20年没です。ということは、少なくとも、太平洋戦争が終わる以前に書かれたものです。恐らく、太平洋戦争が始まる前に書かれたのではないでしょうか。 この部屋は、芹沢鴨の暗殺事件を見ています。そして、八木家に寝泊まりしていた隊士の多くが、戊辰戦争や暗殺、切腹で若くして亡くなっています。二度とこのような悲惨なことが起こらないようにという願いを込めて、八木家の過去の代の方がこの額を掛けられたのではないかと推測します。 しかし、その願いは叶えられず、太平洋戦争では、多くの若い命が犠牲になっています。今度こそ、この額が願うことを、日本だけでなく、世界が実現できるときが来ることを祈願します。 (ガイド内容の説明は一旦終わりますが、書き漏らしたことを後日投稿予定です。) 1月10日に始まった計17日に及ぶ八木邸のガイドが終了しました。寒い中での気候的には厳しいガイドでしたが、実に楽しくやりがいのあるガイドでした。養徳院でのガイドも含め、スキルを向上させることができましたし、度胸もつきました。新選組や幕末史の知識を深めることもできました。 いっしょにペアを組んでいただいた仲間の皆さん、総括責任者の方に感謝です。4月から担当の皆さんにも、私が使った「紙芝居」や注意事項、気付き事項をまとめたものを配信でき、区切りもつけました。 季節は移ろい、受付前の桜はまだですが、蕾だった馬酔木(あせび)の花は可愛く咲いています。 (内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。) ------------------------------------------------------------------- よろしかったらぽちっとお願いします。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019/05/27 04:30:05 PM
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