テーマ:京都。(6076)
カテゴリ:常駐ガイド
【2017年4月19日(水)】
新選組屯所・八木邸は常時公開されており、我がガイド会が担当しています。3ヵ月ごとに担当が替わり、私はこの1月から3月まで担当しました。その担当中、八木邸についてのテレビ取材が2件あり、だいぶ前に放映されました。 その一つ、BS日テレ「ぶらぶら美術・博物館」の放映内容を、遅くなりましたが、紹介させていただきます。 私の勤務日ではなかったのですが取材があり、2月17日にテレビ放映がありました。 ナレーションやお話された内容の要約を映像クリップとともに紹介します。 京都2時間スペシャル 大政奉還150年ということで、幕末・新選組関係のところを巡る特集 案内はいつもの、山田五郎さん、おぎやはぎの2人と、高橋マリ子さん まず、二条城、壬生寺を回った後、八木邸でした。八木邸のあとは、霊山歴史館、聖護院と続きました。このうち壬生寺、聖護院は「京の冬の旅」で特別公開中で、我がガイド会がガイドを担当していましたので、同期の方からの「取材があるよ」との情報も流れてました。八木邸の取材にどれくらいかかたかは分かりませんが、放映時間は4~5分でした。 新選組が訓練し、芹沢鴨のお墓がある壬生寺の隣に新選組発祥の地となった八木邸がある 取材は高橋マリ子さんお一人。長屋門をくぐる。 主屋(「おもや」と読みます) 対応されたのは、八木邸次期当主(16代)八木勢一郎さん。 芹沢一派はこの主屋に寝泊まりし、近藤勇らは離れに寝泊まりしていた。 島原・角屋で宴会があって、芹沢らが酔っぱらって帰ってきて、この部屋で寝入ったところを、近藤たちに斬り込まれた。 表側の部屋では2人絶命し、芹沢は庭の方向に出て縁側伝いに逃げた。 奥の部屋に逃げ込んだが、暗がりの中、置いてあったこの文机に蹴躓いて倒れたところを止めの一撃を受けて亡くなった。 そのときについた刀傷。当代(15代)のお婆さまが八木家にお嫁に来たときには、天井に血しぶきが残っていた。 見学はガイドでの案内のみ 見学時、鶴屋鶴寿庵の名物「屯所餅」が付いていて楽しんでいただける 中に入っている小さな緑の刻みは京野菜の壬生菜 (番組の中で高橋マリ子さんも屯所餅食べておられました。) 上記のように、対応された八木勢一郎さんは、「表側の部屋で2人が絶命した」と言っておられます。我々のガイドでは、いっしょにいた芸者のお栄(吉栄)も、いっしょに殺されたとので「3人絶命」と説明することになっています。八木勢一郎さんのお父様の第15代・八木喜久男さんの書かれた「八木家と新選組」という本の中の、八木邸でのガイド内容では、「3人が絶命」となっていますので、それには合致しています。諸説ありむつかしいところです。 さて、今日は家内はテニスですが、私は在宅で、この投稿を終えたら明日の修学旅行ガイドの準備です。 (守秘義務再考版。原文は非公開日記に移動済み。) ------------------------------------------------------------------- よろしかったらぽちっとお願いします。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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