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ワルディーの京都案内

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2017/08/20
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テーマ:京都。(6066)
カテゴリ:常駐ガイド
2017年8月20日(日)】

 清水寺随求堂のガイド勤務第12日でした。順調にご案内できました。今日も、京都の最高気温は35.3度と暑い一日でした。


 無料拝観エリアの御案内の続きです。

 前回、近藤正慎顕彰碑を紹介しました。今日は、もう一人幕末期、清水寺に忠義を尽くした人物、大槻重助を紹介します。

 
●大槻重助

 天保9(1838)年~明治26(1893)年。江戸時代末期・明治期の僧月照の僕。

 安政の大獄が起こると月照に従い薩摩入りします。月照上人の入水後、その遺品を京都に持ち帰った重助は、京都に戻った後、捕えられ、六角牢獄につながれます。そこで同じく獄中にあった信海上人と再会。信海上人は後に江戸に送られ、伝馬町牢内で病死するのですが、このとき重助は、信海から後事を託されます。

 重助はやがて解放され、一旦は生まれ故郷に帰ったものの、再び清水寺に戻ります。生涯、月照・信海両上人のお墓を守り続け、清水寺で夫婦でささやかな茶店を開くことが許されました。 明治7年(1874)の、月照上人の17回忌の際には、薩摩で西郷隆盛から上人を悼む漢詩を託されます。以前紹介した、境内北総門の北にある「月照上人・信海上人慰霊碑」のうち、向かって右にある石碑に、西郷の詠んだ「相約して淵に投ず」の漢詩を見ることができます。

 顕彰碑がその「慰霊碑」の左側手前に立ち、西郷隆盛の弟、西郷従道による篆書が刻まれています。
 
 上記の茶店は、開店当初は名前もなくかなりみすぼらしい茶店だったようです。現在、音羽の滝を下ったところの茶店「忠僕茶屋」がそのお店です。



大槻重助の顕彰碑




(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)

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最終更新日  2019/08/24 02:42:00 PM
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