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カテゴリ:新ソシュール記号学
昨日、テレビを見ていいたらフェースブックで人工知能(AI)について研究をしているフランス人研究者が出演していた。
テレビ側の人間のもっぱらの関心は、映画「ターミネーター」のように、機械がいつか人間のようになるのかということ。研究者の男性は、今はそこまで行ってはいないが、将来はそうなるだろうと言っていた。 しかし私は懐疑的である。かつては動物の一種であった人間の祖先に起きたことを再現することは非常に難しいし、その前の動物の段階の認知に関しても同様だろう。もし「記憶の進化」を遡って再現するとなれば、宇宙の誕生まで戻らなくてはならない。 この点、大友克洋氏の映画「アキラ」の終盤のシーンの科学者の台詞「これはまるで、宇宙が誕生したというのか?!」は、かなり説得力がある。ただ、その直後、残念なことに、その科学者はどうやら死んでしまうのだが。 人工知能の研究は、人間にはできないタスクを機械に代わりさせようという発想であるから、我々がどのように情報を入手して、それに対して反応しているかという発想に立っている。これは言ってみれば「意味の言語学」であるが、私が今考えている、ソシュール記号学を修正・発展させた「価値の言語学」とは一線を画す。 科学者たちが、人間のみが獲得した「価値」というのがどういうもので、その「価値」がどのように形成され、そのように進化していくのかを理解した時に初めて、人工知能の研究の本当の限界を知ることになるだろう。しかし、その限界の中で、新しい地平が見えてくる可能性が大いになる。 きっと、それまでの間も、人工知能の機能自体はどんどん向上していくだろう。そして人間の行動に「似せる」カモフラージュもより巧妙になっていくだろう。しかし、このままでは人間を生み出すことはできない。全てはSF小説や映画のお話しから抜け出すことが無い。 ただ一つ私が心配しているのは、人工知能の暴走である。 テレビに出演していた研究者は、人工知能も将来「人間のような感情」を持つようになるだろうと言っているが、感情の下になる一種の気質は機械の中に既に存在している。例えば、十分な処理が終わっていないのに、行動に移すようにプログラムしたら、機械の「判断」でとんでもない行動に走ることが予想される。 これは、従順な犬と、凶暴な犬が犬種として存在するのと似ている。直ぐに「噛みつく」という行動に走るのか、そういう選択肢は、最後の最後まで取っておくのか。これを決めているのは、犬が持っている遺伝子によって決められるところが大きい。もちろん、その犬が子犬の時からの経験や受けた躾に負うところも大きいが。 人工知能の科学者たちが、人工知能もいつかは人間と同じ様に感情を持つだろうと思っているようなら、彼らが人間に匹敵する人工知能を開発できる可能性は、ほぼないといっていいだろう。機械には疑似的ではあるが、既に感情は織り込み済みであるからであり、それを踏まえた上で、人間の本質の理解をすることができる。 ソシュールが「一般言語学講義」をスイスのジュネーブ大学でしたのが、20世紀初頭。そして、私がブログを始めたのが21世紀初頭。まだまだ先は長い気がする。 21世紀には未来世界が来ると多くの人が信じていたが、それはもしかしたら来世紀に持ち越しになるかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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