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カテゴリ:「ともちゃん」さんのコメントへの返事
難解な言葉 ともちゃん さん
佐藤さん >>>面白いのは、母音と子音が別々の表に収録されていると言う事。 今は、子音と母音の関係を調べています。 「別の表」と言う所が、参考になりました。 >>>子音と母音と言う音素の二大カテゴリーも >>>所与が前提と言う事になる。 「所与」とは、「他人から与えられた」と言う意味ですね。 「所与」と言う文字を、パソコンで調べましたが、 もっと分かり易い単語で書いてもらえれば、ありがたいですね。 大前提になっているという意味でと考えていただければ大丈夫だと思います。 >>>ミニマルペアによる音素の弁別が全く反映されていない。 ミニマルペアも、分かり難いですね。 頭では何となく理解できるのですが、 自分が実際にミニマルペアを使っていないだけに、 今、頭をひねっています。 ミニマルペアは、その言語を母語としている人であれば、だれでも見つけることができます。 例えば、「さば」と「さび」、「とさ」と「ほさ」とか、音素を一つ変えるだけで意味が変わってしまう単語のペアです。 >>>私は、ソシュールの「言語には差異しか無い」と言う命題と >>>「音素は言語の最小単位である」と言う命題は >>>矛盾していると考えた。 ここをもう少し、詳しく話してもらえませんか? 私には「言語には差しかない」と言う意味が、 良く判らないんです。 「ゆる言語学ラジオ」では、狼とか犬とか猫や猿の例をつかって、 「言語は差異」と言う事を説明しています。 しかし、「固有名詞」はどうなるんでしょうか? その辺まで考えると、判らなくなってきたんです。 ミニマルペアというのは、音素を弁別、つまり、この音素とこの音素は違うということを示すだけで、その音素を識別する事はできません。 ところが、その際に、ミニマルペアの対の単語を国際音声記号を使って記述してしまいます。これでは、視覚情報が入ってきてしまうので、聴覚のみで行うミニマルペアが台無しです。 固有名詞に関してですが、これは人間一人一人が違うアイデンティティーを持っているという前提はありますが、命名という行為は、社会の中で普通に行われるもので、同じ名前になることで、逆に連帯感が生まれたりもします。 これに対して、完全に固有名詞になっているものもあります。それがメールアドレスやIPアドレスです。 これは完全に「固有」なもので、二つとして同じものがありません。 >>>ミニマルペアと言う音素を弁別出来る操作は私に、 >>>音素は聴覚による差異で出来ていると言う確信を与えてくれた。 この場合「聴覚による差」と言う言葉が曖昧だと思います。 眼は、ただのカメラです。 同じく、耳もタダの機械です。 アメリカ人の眼も、我々の眼も同じ構造です。 同じく、耳も同じ構造でしょう。 従って「聴覚による差」は全くありません。 違いがあるとすれば、それは脳内にしかありません。 この辺の説明を、もう少し丁寧にして頂けたら、ありがたいです。 聴覚による差、視覚による差も、同じですが、知覚というものは流れてきては直ぐに消えてしまいます。こういう儚いものを、我々は記憶して利用する事で生きていますが、知覚されたものは連続的ですので、それを離散化する必要があります。 最近、何度かこれに関する投稿をまとめたものを出していますが、読んでいただけましたか。 >>>私が拘ったのは、ミニマルペアと言う操作は >>>聴覚を通して実践されるという事。 これは「聴覚」ではなく、「腦」を通して実践されるだと思いますが、 いかがでしょうか? 言語の形を決めるのは聴覚、あるいは視覚のどちらかです。どうして、脳が直ぐに出てくるのか私には理解できません。 >>>文字表記に影響されてはいけない。 音は時間の中にあります。 時間は空間の中には書けません。 普通は時間を一本の線として、二次元の紙面に書きます。 ここに大きな間違いがあるんでしょうね。 はい。全くその通りです。ただ、私は記述の為には必要だとは思っています。その弊害を排除しようとしている訳です。 普通人間は、時間を直線としてしか認識できません。 恐らく佐藤さんは、時間を時間のままで、認識しようとされている。 私の関心は、その一点だけです。 時間を視覚化しようとすると、一点に集約されます。動画であれば、そこに変化が生じ、時間の流れを感じます。 時間を方向性を持った直線で表現するのは人間の発明です。 映画やアニメーションは、再生すれば動画になりますが、フィルム上では静止画を一列に並べたものになります。 こういう事実を一つずつ積み重ねていかないと時間の表現は理解できません。 >>>二つの単語を比較する為には、其々単語の聴覚の記憶を >>>順番に喚起することになるが、どうやったら >>>二つを意識の上で平行に並べる事が出来るかを >>>考えなくてはいけないと私は思った。 >>>意識の上で、二つの単語の聴覚的な記憶を順番に喚起して、 >>>それらを平行に並べて比較する為には、 >>>其々の単語に時間軸上で前後に展開する >>>二極性がある為であると私は考えた。 この辺が、佐藤さんの独自な所でしょうね。 私を含め、普通の人間には、かなり難しいと思います。 >>>日本語の仮名は基本的に子音+母音と言う >>>二つの音素で構成されているが、 >>>日本語話者にとっては一つの単位として認識される。 この辺は疑問です。 「か」はあくまでも「K」+「A」でしょう。 「か~」と叫べば、最後は「あ」になっています。 「K」は、声ではなく、自然に出て来る母音を、 どこかでせき止めてる「作用」だと思います。 「S」「T」「N」「H」「M」「Y」「G」「D」「Z」「P」 いずれも、自然な母音を、口の中で変形させているんだと思います。 >>>日本語の仮名には前後への二極性がある事になる。 仮名の二極性をもう少し詳しく解説して頂けませんか。 「か」「き」「く」「け」「こ」と書いたら、この5つの文字に共通点はありません。 しかし、 「ka」「ki」「ku」「ke」「ko」と書けば、アルファベットを知らない人でも、左の塊は同じで、右の塊は違うという事に気が付きます。 日本人も、無意識に「ka」という認識をしていますが、日本語を使う上では「か」という一つの単位を認識しています。 >>>また、手話の標準サインを記述すると方法にも >>>同様の時間軸の二極性が確認できる。 手話は、難しくて全く理解できません。 ただ、オノマトペに近いのではないかと思っています。 つまり「自然」あるいは「外界」を、 そのまま写し取っているのです。 あえて言えば、絵文字のイメージですね。 (続く) (2023.12.28 09:55:12) 手話は絵文字という認識はあっていると思います。 日本には空文字というのがあります。指で空間に文字を書くのです。それが発展したものが、手のひらに文字を書くものです。その動きの軌跡が文字になりますが、それを再構成しているのは我々の脳内です。 文字を空文字で書く場合、初めと終わりがあります。その間を、時間軸に沿って動く指先の軌跡があり、我々はそれを追いながら文字を頭の中で再構築します。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.12.29 09:36:34
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