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カテゴリ:記憶言語学
いのほた言語学チャンネル:ゆる言語学ラジオ水野太貴さんがいま考えていること/テクノロジーが変える?言語学/意味を扱うのはレア【いのほた言語学チャンネル<言語学バル>(旧井上逸兵・堀田隆一英語学言語学チャンネル)第216回】
ゆる言語学ラジオの水野太貴さんの、彼の今後の言語学の探究の方向性が面白いが、チョムスキーの生成文法を参考にするのであれば、直ぐに行き詰まるのは、火を見るよりも明らかで明らかである。 私が一つ、水野さんに勧められるのは、ツリー構造による分析からの脱却である。 水野さんは今後の課題として、他人の発話を聴いた時に、どうやって理解しているのかを記述してみたいと言う事らしいが、実は私は、これをずっと考えて研究して来た。 水野さんとの大きな違いは、私の場合、聴覚で聴き取る音声を、どうやって音素に分節する事が出来るのかが、最初のテーマである事。 私の場合、研究対象は音声言語だけではなく手話も同時に扱っているので、手話の場合、視覚的に連続して流れる映像を見ながら、例えば、どうやって個々の手話サインを認識するのかと言うと問いを投げかけている。 動画の話を聞く限り、水野さんは音素や手話サインの識別には全く関心が無い様である。 しかし発話を解釈する際に何が行われているかの議論の中で「言語の本質」の著者の今井むつみさんの「抽象的なジャンプ」と言うのが引っ掛かった。 これは、私が考える「離散分裂(再)融合更新循環サイクル」に於ける「融合更新の過程」に該当するかも知れない。 この本はまた読んでみようと思う。 動画の後半は言語学者が如何に意味を扱わないで来たのかで盛り上がる。 意味に関して、ソシュールの記号があるが、私は彼とは違って記号のシニフィエ(意味する所)だけでなくシニフィアン(意味するもの)も価値体系であると考えていて二つの価値体系の座標が一致する所に記号が生まれると考える。 言語の意味と言うのは、言語意味的な時空間、つまり「私の独自の解釈による記号」によって我々が自分自身の自己同一性を確立した事が出発点だと私は考える。 自分の自己同一性を使って理解した事が記号のシニフィエ、つまり概念になり、記号同士が融合する事で新しい文脈や意味が生まれるのである。 同じ言語の二つの記号が融合して新しい意味を生み出す場合、音声言語の場合、そのメカニズムは音韻体系にあると私は考える。 そこには勿論、異なる概念を持った記号を一つのパターン化した文法的な時空間に展開する事で機械的に意味を構築する場合もあるが、真に意味の創生は音韻体系にあると思う。 今の所は粗いイメージだけだが、言語の形と意味と言う二層の価値体系である記号同士が出会って融合し、新しい自己同一性、つまり新しい意味を持ったシンタグマが生まれる時、離散分裂(再)融合更新循環サイクルが発動し、同時に、個々人の自己意識の進化が促進される。 本題は、実はこっちなのだ。 音韻体系が、意味の構築に関わっている事を証明する為に、私が考えているのが、ツリー構造と言う文単位の意味の解析ではなく、単語が連続しながら生成される小さなシンタグマの連続によって為される全体の文脈を構築するパターンの理解である。 これを、外国語学習に応用出来たらと考えている。 ある言語で、自然な発話を実現する際、同時に音韻的にも調和が取れている。 実際には、意味の構築と言うよりは、発想に関して、音韻体系が我々に大きく影響を与えていると考えている。 単に文化的な違いとして、片付けられない何かがあると私は睨んでいる。 記号の二層の価値体系も関わって来る。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.04.01 22:19:54
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