テーマ:ちょっと過激に世界平和(4)
カテゴリ:訃報、消息
塩見 孝也、元赤軍派議長は1941年5月22日、大阪府 大阪市の医師の家庭に生まれた。 組織での名(筆名)は 「一向健」。 2017年11月14日、東京都小平市の入院中の病院にて 心不全のため死去。 ああ、それにしても、本当に好き勝手に生きた人だった。 2017年11月30日 HUFFPOST 時代を経て、当時からややこしかった新左翼の党派名 は、いよいよ不明。 赤軍派、連合赤軍、日本赤軍も新左翼過激派程度の 認識があれば、「まだまし」な方。 日本の若者の大半は、右翼も左翼も区別がつかない 「平和」で「ゆたか」な社会になった!? 元連合赤軍兵士だから語れるその素顔 2017.11.24 週刊ダイヤモンド編集部 過激派の一つだった「赤軍派」の塩見孝也元議長が今月 14日に亡くなった。 享年76歳。 1970年代末に「赤軍派の総括」をテーマに論争し、 その後も付き合いがあった元連合赤軍兵士の植垣康博さん は「まさに反面教師。悪い人ではなかったが冗談が通じな いクソまじめな人だった」と話す。 塩見氏の自著『赤軍派始末記』などによると、塩見氏は 62年、京都大学文学部に入学した。 間もなく活動家となり、京大教養学部(当時)の闘争委 員長などを歴任。 69年に武装闘争を唱えて赤軍派を結成して議長に就任 した。 70年に逮捕。 「よど号」ハイジャック事件など一連の赤軍派事件に 関与したとして懲役18年の実刑判決を受けた。 89年に出所した後は、北朝鮮にいる「よど号」グルー プと接触を重ねた。 晩年は東京都内の駐車場に勤務。 2015年4月には東京都清瀬市議選に無所属で出馬して
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最終更新日
2018年09月14日 22時07分26秒
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