テーマ:聖地巡礼(25)
カテゴリ:読書
免罪符、贖宥状(しょくゆうじょう)は、16世紀、カトリック教会が発行した罪の償いを軽減する証明書。 贖宥状は、イスラームから聖地を回復するための十字軍に従軍したものに対して贖宥を行ったことがその始まり。 従軍できない者は寄進を行うことでこれに代えた。 ボニファティウス8世の時代、聖年が行われるようになり、ローマに巡礼することで贖宥がされると説かれた。 ボニファティウス9世当時、教会大分裂という時代にあって、ローマまで巡礼のできない者に、同等の効果を与えるとして贖宥状が出された。 これはフランスなどの妨害で巡礼者が難儀することを考えての措置だった。 小国が乱立するイタリアを巡って、フランスと神聖ローマ帝国(ドイツ)とは対立していた。 教皇レオ10世はサン・ピエトロ大聖堂の建築のための全贖宥を公示し、贖宥状購入者に全免償を与えることを布告した。 中世において公益工事の推進のために贖宥状が販売されることはよく行われることであったが、この贖宥状問題が宗教改革を引き起こすことになる。 芸術、建設に力を入れた浪費家のレオ10世の時代、教皇庁に未曾有の財政破綻が起こった。 「レオ10世は3代の教皇の収入を1人で食いつぶした。先代ユリウス2世の蓄えた財産と、レオ10世自身の収入と、次の教皇の分の3人分を」とも言われた。 1517年にサン・ピエトロ大聖堂建設資金の為にドイツでの贖宥状の販売を認めたことが、ルターによる宗教改革の直接のきっかけとなった。 ドイツでは最も大々的に贖宥状の販売が行われた。 罪の許しに必要な秘跡の授与や悔い改めなしに贖宥状の購入のみによって煉獄の霊魂の償いが軽減される、という考え方を、ルターは贖宥行為の濫用であるとした。 ローマカトリック教会はヨーロッパ諸国に広がった宗教改革の動きに対し対抗宗教改革を行い、綱紀粛正をはかった。
トレント公会議の決議により、金銭による贖宥の売買は禁止されることになった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019年06月17日 06時00分13秒
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