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言語学を超えて(ソシュール記号学の新解釈)

言語学を超えて(ソシュール記号学の新解釈)

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《自己紹介》
佐藤直幹(さとうなおみき)と申します。令和二年で満54歳になります。丙午です。現在、フランスのパリ近郊在住で、翻訳を中心に仕事をしています。
nsato75@yahoo.fr

記憶による自己同一性進化論という、テーマに取り組んでいます。言語の本質を追い求めているうちに、人間とは何か、認知とは何か、生命とは何か、太陽系とは何か、時空間とは何か、物質とは何かという問いが生まれ、これらの根底に流れているが「記憶」という概念だと気がつきました。

ただ。ここでいう「記憶」の概念は、端的に言うと私の造語で、我々の知っている「記憶」をカバーしてますが、全く新しい概念で「すべての存在を生み出し、支え、進化させる」ものです。

記憶による自己同一性進化論は、今の科学の枠組みとは全く違うものになりますが、今の人類の知識を、新しい枠組みで捉え直すというプロセスと考えれば、矛盾は無いと思います。一言で言うと「科学のパラダイムシフト」を起こしたい訳です。

今は、ソシュールの記号学を「記憶による自己同一性進化論」という枠の中で再構築することを課題としています。ソシュールの「一般言語学講義」を再読しながら、記号学を新たなレベルに引き上げることを目標としています。


日本の大学では経済学を専攻しました。卒業後、金属素材メーカーに就職しましたが4年後の1995年に退職、直後にフランスに渡航し、言語学の勉強を始め今に至ります。一応フランスで修士と同等の免状(DEA)を取得していますが、博士論文は途中で断念しました。

高校三年のときにアメリカのイリノイ州に1年間のホームステイ留学、大学3年に上がる前に韓国に一年間、語学留学していました。最近は大分忘れましたが、フランス手話もフランスで勉強し、私の言語理論の重要な支えになっています。

始めはフランス語で発信しようと思いましたが、フランス語の語彙の概念を借用しながら、日本語で書く事にしました。あまりネガティブなコメントにはおつきあい出来ないと思いますが、興味があれば読者の方々と色々とディスカッション出来ればと思います。

「日本人の為のフランス語自習室」というブログもあります。最近は更新していませんが、フランス語に興味の有る方は是非どうぞ。
http://francais75.exblog.jp/

趣味は折紙ですが,最近は半分プロとしてやっています。
折紙のバラが専門です。ここに作品を発表しています。ミクシーでは、もっと多くの作品を公開しています。ハンドルネームは「Mikki」
http://pliagedepapier.com/gallery/index.php?cat=11645

2015年8月に、「バラの折り紙 ROSE」という本が出版されました。
http://www.amazon.co.jp/バラの折り紙-1枚の紙から作る-佐藤直幹/dp/452905466

2018年1月27日に「美しいバラの折り紙」という本が出版されます。
https://www.amazon.co.jp/%E7%BE%8E%E3%81%97%E3%81%84%E3%83%90%E3%83%A9%E3%81%AE%E6%8A%98%E3%82%8A%E7%B4%99-%E4%BD%90%E8%97%A4%E7%9B%B4%E5%B9%B9/dp/4529057674/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1516427564&sr=1-1&keywords=%E4%BD%90%E8%97%A4%E7%9B%B4%E5%B9%B9

2019年9月24日にアメリカのTuttle社から「美しいバラの折り紙」の英語版「Naomiki Sato's Origami Roses, create lifelike roses and other blossoms」が出版されます。
https://www.tuttlepublishing.com/other/naomiki-satos-origami-roses


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2016.02.22
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カテゴリ:自己同一性
「自己同一性」という表現には、誤解を生む要素があることに気がついた。アイデンティティーの日本語訳であるのだが、結局のところ「全くの同一」にはならないからだ。人間の意識というのは、経験したことが直ぐに過去のこととなり、その新しい過去と、それ以前の古い過去とが融合し、記憶の更新がなされることによって意識の「ほぼ同一性」が保たれる。そして、さらに新しいことを経験し、それが即座に記憶となって意識の更新がなされるという循環がベースにある。そしてこれは、死ぬまで続く。

しかし、実際の生活上においては、自己同一性の少しの変化はあまり問題ではない。人間はそれを「成長」であると考えるからだ。しばらく会っていなかった人が全然違った人のように思えることもあるだろう。これは、その変化が「自己同一性の閾値」を越してしまったためである。こういうとき、日本語では「人が変わってしまった」と表現する。

また、あることがトラウマになってしまい、アイデンティティーの更新に支障をきたす場合、意識が分裂してしまうことがある。多重人格というのは、自分が経験したことを受け入れることが出来なくなって、自分のアイデンティティーの保護のために、別の人格を作り出すプロセスだ。

また「自己同一性」に代わる表現として、「相違相似的」という表現も考えている。違うのに似ている、これがアイデンティティーを生む記憶の更新循環を作り出す原動力になる。この循環の振動数が、物理学で扱っている振動数であれば、物理との接点も出るかも知れない。

自然界で観察されるフラクタルの場合、前の構造は物理的に残る。これが美しい模様を生み出す元となるのだが、意識の更新の場合、前の構造が上書きされてしまうことで、前の意識の構造が残らない。このため、我々は「同じ」であると錯覚してしまうのだが、意識は記憶の更新によって、その持続性を保っているのであり、常に自分は変化していることを知っている必要がある。

この変化が、人類の記憶の進化をもたらす。つまり、一人一人の意識の更新の総数が人類の意識の進化につながる。そして、この意識の更新のために使われるのが言語による記憶の「刻印」である。我々は個人個人、「刻印」された記憶の中に「意味」を見出すことによって、社会的な活動を行っている。しかし、意識の中の記憶の進化自体は人間の意志によってどうなるものではない。人間の意志があることは必要であるが、それだけでは十分であるとはいえない。

我々人類は、意識の中に「一種、勝手に進化・成長する記憶の種」をもって生まれてくるといっていいのかも知れない。





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Last updated  2016.02.22 20:22:16
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DNAの増殖   ともちゃん さん
佐藤さん

『人類は意識の中に、
「勝手に進化・成長する記憶の種」を持って生まれて来る』
この発想が面白いです。私は以下の様に解釈します。

この「記憶」は、「意識」とは独立しています。
なぜならば、「勝手に進化・成長」するからです。

譬えて言えばDNAです。
DNAは、私の意識からは独立しています。
私とは勝手に成長して行きます。
そして、私の意識を「操作」しています。

私をセックスの好きな人間にしました。
そして、仲間のDNAを蒔き散らそうとします。
これは宿主の脳を乗っ取る、寄生生物やり方とそっくりです。

私のイメージと、佐藤さんのイメージの違いを
教えて頂けないでしょうか?
(2016.02.23 09:56:02)

三人称世界   ともちゃん さん
fractalemode さん

三人称世界(客観世界)に「色」は存在しません。
「音」も存在しません。
三人称世界は、実に味気ない世界です。

太陽からやって来るのは電磁波です。
光ではありません。
電磁波は真空の振動です。
私の脳がそれを、光と感じているだけです。

物体も振動します。
その振動を、私の脳が感知した時、
私はそれを音と聞くのです。

味は、水に溶けた食い物の分子を、
味蕾が捕捉しているだけです。
それが電気信号となって脳へ送られて来た時、
私は「うまい」と感じます。

死体からの揮発性の分子を 
私の嗅細胞が捉えます。
これが匂いです。
三人称世界(客観世界)は、
こんな味気ない死の世界です。

鉄は固くはありません。
私の肉体が、柔らかすぎるだけです。
太陽は、熱くはありません。
私の身体が、熱に弱いだけです。
地球は、大きくはありません。
私の身体が、小さ過ぎるのです。

月や地球も、内部は真空です。
甲子園球場を思い描いて下さい。
水素の原子の核は、1円玉の大きさです。
核の2000分の1ぐらいの電子が、
球場の回りを回っています。
原子はほとんど真空で出来です。

原子を潰して核の塊にします。
すると地球は、
1立法kmほどの球体になってしまいます。
いわゆるブラック・ホールです。

私は、何を言いたいのか?
いわゆる「物質」と言うイメージを
捨てて欲しいのです。
物質は、単なるエネルギーの塊です。
そもそも、エネルギーとは何か?
それは波動です。

我々の一人称世界(主観世界)は豊かです。
しかし、三人称世界(客観世界)は死の世界です。
手塚治虫の『火の鳥』に、
その事をうまくあらわしているシーンがあります。

恋人の姿が、ロボットにしか見えないのです。
ロボットと言うより、石か砂の塊です。
砂の様なものが、話しかけて来るのです。
主人公は、外界を豊かに見せる、
脳の機能を失ってしまったのです。

彼は、本当の三人称世界(客観世界)を見ているのです。
「独我」と言う「唯識の世界」に棲んでいる私は、
心の外に存在するかも知れない「物の世界」を
そのように認識しています。
これは、非常に単純な世界です。

電磁波は、真空を伝わる波です。
「E=MC^2」から、
「物質」もエネルギーの塊であることが解ります。
エネルギーとは何か。
それは波動です。

電磁波と言う波動が、ラーメン屋のイルミネーションの様に、真空中を進むのなら、実際は,物質も動いていません。
ラーメン屋のイルミネーションの様に、固定された真空が、
オンになったりオフになったりしているだけではないのか?
独我論的に三人称世界を見る私には、そのように見えるのです。 (2016.02.23 19:12:10)

Re:三人称世界(02/22)   farctalemode さん
ともちゃんさん

>三人称世界(客観世界)に「色」は存在しません。
>「音」も存在しません。
>三人称世界は、実に味気ない世界です。

色即是空ですね。


>太陽からやって来るのは電磁波です。
>光ではありません。
>電磁波は真空の振動です。
>私の脳がそれを、光と感じているだけです。

この段階で私達は既に騙されているのですね。葉っぱが青いというのは青い光が吸収されないで反射して網膜に届くから青いと感じるのですね。葉っぱが青いわけではない。これは独我論にとってまずいのではないでしょうか。見たから存在するのですよね。しかし、それは光です。そして騙されているのです。

>物体も振動します。
>その振動を、私の脳が感知した時、
>私はそれを音と聞くのです。
音の場合は騙しがないですね。

>味は、水に溶けた食い物の分子を、
>味蕾が捕捉しているだけです。
>それが電気信号となって脳へ送られて来た時、
>私は「うまい」と感じます。
うまいうまくないというのは不思議な感覚ですね。
何故そう感じるのでしょうね。ここにもだましはないですね。

>死体からの揮発性の分子を 
>私の嗅細胞が捉えます。
>これが匂いです。
>三人称世界(客観世界)は、
>こんな味気ない死の世界です。

それはそうですね。

>私は、何を言いたいのか?
>いわゆる「物質」と言うイメージを
>捨てて欲しいのです。
>物質は、単なるエネルギーの塊です。
>そもそも、エネルギーとは何か?
>それは波動です。

物質とは固有の属性を持っているのではなく、波動なのだということを言いたいのでしょうか。

>独我論的に三人称世界を見る私には、そのように見えるのです。

何を言いたいのかよくわかりませんでしたが、要するに、物質現象を波動的にとらえよということを言いたいのでしょうか。
もしそうなら、全ての物質は物質波(ドブロイ波)を発しています。もし、観測する前は波であり、観測した直後に粒子になるというなら、それは嘘です。それは解釈にすぎません。

三人称は味気がなく一人称は味があるというのは、物理は味気がなく、芸術は感性があるというようなものです。誰も反論はできません。何を言いたいのでしょうか。もっと感情を移入せよと言いたいのでしょうか。

----- (2016.02.23 23:22:00)

Re:DNAの増殖(02/22)   CLG2009 さん
ともちゃんさん


>『人類は意識の中に、
>「勝手に進化・成長する記憶の種」を持って生まれて来る』
>この発想が面白いです。私は以下の様に解釈します。

苦し紛れに出した例えですので、補足説明が必要だと思います。


>この「記憶」は、「意識」とは独立しています。
>なぜならば、「勝手に進化・成長」するからです。

>譬えて言えばDNAです。
>DNAは、私の意識からは独立しています。
>私とは勝手に成長して行きます。
>そして、私の意識を「操作」しています。

>私をセックスの好きな人間にしました。
>そして、仲間のDNAを蒔き散らそうとします。
>これは宿主の脳を乗っ取る、寄生生物やり方とそっくりです。

>私のイメージと、佐藤さんのイメージの違いを
>教えて頂けないでしょうか?


私がここで「種」というものは、元を正せば、太陽系を生んだ「リトルバン」のときに生まれたものです。つまりは「記憶の進化の種」です。

記憶の進化には階層があります。まずは物質的記憶の進化です。これが地球を含めた惑星を生み、次の認知的記憶の進化にバトンを渡したところで生命が生まれます。生命を生むDNAは、実はその前の物質的記憶の進化のレベルのものです。物質的記憶をコントロールすることが出来るのがDNAといえます。

第二レベルの認知的記憶の進化では、生命という物質の塊が自己と他己という新しいアイデンティティーの境界線を手に入れることで、物質レベルでは「知る」ことの出来なかった環境を内部に構築していきます。我々が知覚と呼んでいるものは、外部の世界をそのまま写しているのではなく、外部には無いものを自分の中で創造しているのです。この点では「三人称世界(客観世界)に「色」は存在しません。」とおっしゃるともちゃんさんの話と同調します。

認知的記憶がどんどん進化すると、個体の判断で外界に作用できるようになって行きます。そしてさらに、過去を想起することにより、その判断の精度が上がっていきます。サルのレベルではかなりのことが出来るようになります。しかしサルは人間ではありません。

ここで第三レベルの人間的記憶の進化が始まります。それまでは、個体ごとに分散されていたアイデンティティーが言語を通して一つになります(全く同じではないので一つというのは語弊がありますが、とりあえずはそうしておきます)。

記憶というのはアイデンティティーです。私が言う種とはアイデンティティーの進化の種です。これを我々は成長させては行きますが、きっと絶対にアイデンティティーの進化の最終形態を知ることはないでしょう。もしかしたら死んだときに、手塚治虫のコスモゾーンと一体になるイメージのように、その一部となるのかも知れません。

我々は、与えられた種を育てるミッションを持っています。枯らしてしまうことも可能です。人類を滅亡させればいいし、滅亡までいかなくても記憶の進化を止めればいいからです。

クメールルージュの行ったことは正にこれです。カンボジアの記憶を抹殺しようとしました。中華思想は記憶の進化と相容れません。なぜなら支那が地球の最後の楽園であることが始めから決まっているからです。そう思っている人たちに人類の進化は任せられません。だから日本人が、この種を大事に育てることを託されているのです。

問題はアイデンティティーの進化の目的ですね。いや、目的など無くてもいいのかもしれない。アイデンティティーの進化は宇宙が動くためにの原動力で、我々はそのサイクルの一部であるだけかも知れません。しかし、我々が「はたらく」ことでこの世界が宇宙が動いているとすると、我々の存在も不可欠になります。

もし天変地異がおきて、地球上の生命が全て死滅したらこの太陽系における記憶の進化は終わりです。そうしたら太陽系は死ぬのかも知れません。死んだ星の末路はブラックホールです。妄想はつきません。

いろいろと飛びましたが、イメージとしてはこんな感じです。




(2016.02.24 01:13:36)

生命活動とは?   ともちゃん さん
佐藤さん

「鉄さび」は、どんどん「繁殖」して行きます。
これは「酸化」と言う「繁殖」です。
「火」もどんどん「繁殖」して行きます。
これも「酸化」と言う「繁殖」です。
彼らは、「酸化」と言う方法で「繁殖」することを
「運命づけられて」います。

私の「繁殖」と言う言い方にケチをつける友人がいます。
お前、それは「繁殖」では無くて「増殖」だろう。
彼は高校の生物教師です。

そこで、私が言い返します。
それじゃあ、DNAの「増殖」はどうなるのだ!

そこで、生物教師は答えます。
あれは、「増殖」ではなくて「繁殖」だろう。

つまり、この生物教師は、「鉄さび」や「火」の拡大を、
対象が無生物であるがゆえに「増殖」と呼べと言うのです。
そしてDNAの拡大する姿を、「繁殖」と呼べと言うのです。

生物と無生物の間に、「増殖」と「繁殖」の
「差別」を置かなければならない。
これが、彼の主張です。

そんな、「差別」は存在しない。
これが、私の主張です。

「増殖・繁殖論争」以来、彼にはあっておりません。
さて,佐藤さんは、どのような裁定を下されますか?
(2016.02.24 06:45:58)

最高の快楽   ともちゃん さん
fractalemode さん

マックス・シュティルナーを紹介して頂き
ありがとうございます。
ひょっとしたら、自分とよく似た人間なのかも知れません。
本を、探して見ようと思います。

『独我状態=気分ですね。そう言われると分かります。
夢中になるときは独我気分ですね。
そういえば酒が入ると独我気分になりますね。』
(2016.02.23 17:21:20)

これは、まったく逆です。
セックスをすると、相手と一体になれます。
カラオケで、拍手を頂くと最高の気分です。
拍手を頂いた相手を、抱きしめたくなります。
パチンコでフィーバーをしますと、世界中のゼニは、
すべて、おれのモノだと言う気分になれます。
私は、タイガースの選手と一体になっています。
だからタイガースが優勝すると、私が天下を取るのです。
私は日本一のスーパースターです。

普段の私は陰気です。
しかし、酒をのんだら陽気になります。
つまり、「我」と「世界」が溶け合うのです。
この時は、「宇宙即我」と言う気分です。
これを私は、「神我一体」と表現しています。
これは、ニーチェの言うディオニュソス的な気分だと思います。

それとは反対に、普段は陰気な私です。
これは、アポロン的です。
ものすごく理性的です。
いわゆる「パラノ的な気分」だと思います。

「アポロン的・パラノ的」な気分の時に、
私は「独我的」になっています。
世界と自分が分裂しています。
「今」が楽しい訳ではありません。
「未来」の為に、仕方なく「今」を働いています。

修行者の顔を見ますと、「今」が苦しそうです。
しかし、仏教で言う「悟り」とは、
「今」が楽しく無ければなりません。

セックスの快楽やギャンブルの快楽、
あるいは麻薬で得られる快楽。
こう言う快楽は、反宗教的なものだと考えられています。
しかし、すべての「良きもの」は、すべて神から来ています。
サタンは、そのような快楽は持っておりません。
ただサタンは、神の快楽を捻じ曲げた形で、
人間に注入出来るだけなのです。

だからサタン的な「快楽」は瞬間で終わります。
すぐに、覚めてしまうのです。
なぜならば、その快楽は、
サタンが神からちょろまかして来ただけのモノだからです。
サタンは、快楽の補給が出来ないのです。

その時、私は覚めてしまうのです。
つまり、世界と切り離されてしまいます。
真実の自分が、見えてしまうのです。
これが「独我論的な気分」あるいは
「哲学的な気分」と私が呼んでいるものです。

私が求めているのは、永遠に続く快楽です。
瞬間的に終わらない快楽です。
そんな快楽であるならば、
酒でもタバコでも麻薬でも、何でもいいのです。

私が、fractalemode さんに教えて頂きたいのは、
そう言う快楽の味わい方なのです。
どうかヒントを下さい。
(2016.02.24 08:22:48)

量子力学の難問   ともちゃん さん
fractalemode さん

(2016.02.24 09:52:08) では、
独我論を数学的に解説して頂きありがとうございました。
シュレディンガーの猫の解答は、独我論の中にあります。
つまり、量子力学は唯心論でしか解決できないのです。

fractalemode さんは以下の様に書いておられます。
『そしてついに軌道を確定できたという実験が
飛び込んでいました。しかし、世界はこれを無視しています。それはあまりにも大きな事件だからです。
それを声高に取り上げているのがS科学の佐野博士です』
(2016.02.21 22:21:46)

軌道を確定されたのは、
どこの研究所のどなたか教えて下さい。
これが本当なら、量子力学の難問がすべて解決します。
宜しく、お願いいたします。 (2016.02.24 17:16:54)

Re:生命活動とは?(02/22)   CLG2009 さん
ともちゃんさん


>つまり、この生物教師は、「鉄さび」や「火」の拡大を、
>対象が無生物であるがゆえに「増殖」と呼べと言うのです。
>そしてDNAの拡大する姿を、「繁殖」と呼べと言うのです。

>生物と無生物の間に、「増殖」と「繁殖」の
>「差別」を置かなければならない。
>これが、彼の主張です。

>そんな、「差別」は存在しない。
>これが、私の主張です。

>「増殖・繁殖論争」以来、彼にはあっておりません。
>さて,佐藤さんは、どのような裁定を下されますか?

私は、元々原子も分子も「太郎」や「花子」のように個性を持った存在であると考えています。ところが、これを友人の理科の先生に言ったら思いっきり否定されました。ひどい剣幕でしたから何かまずいことでも言ったのかと考えてしまったほどでした。

この生物教師の肩を持つわけではありませんが、彼(彼女?)が言うのは、同じ仲間を増やすことを繁殖としているのでしょう。鉄さびの場合は、鉄さびは増えますが、元の鉄は増えません。そうなると増殖ということばも変ですね。侵食とでも言った方がいいかも知れません。

鉄原子も自分の周りの世界に対して作用・反作用をしています。ただし、鉄原子自体が自分で判断するのではなく、既に決定している要素(鉄の原子番号による電子の数とか)で、その「行動」の可能性は決められてしまいます。

しかし、鉄原子も自分の持つアイデンティティーに応じて外界との接触をしているのです。このアイデンティティーは生命誕生の前から存在しています。鉄原子がコミュニケーションをとっているというとまた語弊があるので、ここでは避けますが、インタラクションは鉄原子独特なものです。

鉄原子には鉄原子のアイデンティティーがある。つまり鉄原子の存在を支えている記憶です。視点をここから始めると、生命現象は、単にその次元がアップして複雑になっただけということになります。生命現象をデフォルトと私は見ていません。

記憶とは、自分だけでは成立しません。回りがあることが必須です。他者を認識することが記憶を生みました。それから進化した生命も同じように他者を認識していきます。人間は細菌やウイルスによって死にいたることもありますが、彼らには人間の姿は見えていません。人間を殺そうと思って活動しているわけではありません。認識のレベルは、その個体の持つ記憶のレベルによります。

人間は、言語によって記憶のレベルを進化させることが出来ますから、認識の範囲がどんどんと広がっていきます。物理で言う無限大無限小どちらもですし、文学などもっと人間的な世界も広がっていきます。

私の原点は、記憶という存在の核です。ここを出発点にすることで全てを理解しようと考えています。




(2016.02.24 19:47:02)

Re:量子力学の難問(02/22)   fraktalemode さん
ともちゃんさん

>軌道を確定されたのは、
>どこの研究所のどなたか教えて下さい。
>これが本当なら、量子力学の難問がすべて解決します。
>宜しく、お願いいたします。
小澤教授
https://www.kek.jp/ja/NewsRoom/Highlights/20120223180000/
小澤教授に対する佐野博士の批判
http://ameblo.jp/allahakbar231/entry-11138037459.html
ボーアモデル
http://www7b.biglobe.ne.jp/~kcy05t/nichemi.html

-----
(2016.02.24 21:14:09)

Re:最高の快楽(02/22)探求・求道・研究・冒険   fractalemode さん
ともちゃんさん

>私が、fractalemode さんに教えて頂きたいのは、
>そう言う快楽の味わい方なのです。
>どうかヒントを下さい。

私が教えられる立場ではないですが、私なりの考えを披露してみます。禅の修行というのはもともとが出家が前提でしたよね。インドでは瞑想的な人間は尊敬されますが、日本では白昼夢などをしているとな何を遊んでいるのだということで批判されますね。一時パソコンが企業に導入されたとき、パソコンに向かっていると遊んでいると思われました。今ではそいうことはないですが。いずれにしても、インドとの違いは歴然です。

一時の快楽を求めても、それは精神を満足してはくれないでしょう。私が考える満足とは持続することです。時間を忘れられることです。サラリーマンでは無理でしょうが。

だから禅ではしがらみを捨てるところからスタートしたわけですね。しかし、勤めながら悟るなんて土台無理なのですね。明日の約束を気にしながら、ノルマを達成を気にしながら悟るなんてことは無理なのですね。

古代インドでは人生を4つの時期に区切るといいます。学生期・家住期・林住期・遊行期ですね。ともちゃんさんは林住期だと思いますが、この時期は探求的に過ごされることをお勧めします。もうすでに求道的に生きているようですからそれでよいのではないでしょうか。ただ、多くの求道は悟りという対象が曖昧であり、目指す目標が存在しないのですね。しかも皆苦しそうですよね。つまり、投資詐欺商法なのですね。弁証法と同じなのですね。

一方で研究はまあいってみれば、予算がついての話であり、自分勝手というわけにはいきませんからしがらみが付いてきますね。誰でも簡単にというわけにはいきません。成果が問われますから結構苦しいものです。

冒険は体力との関係ががり、三浦雄一郎さんのような意気込みがないといけないでしょうね。それに比べて探求は誰でもできることです。言語を科学する、精神を科学するとかいうテーマを自分で勝手の立て、それに向けて邁進すればよいのですからね。悟りをテーマにしてもよいわけですね。求道者になってしまうと修行が中心ですので変な方向になってしましますね。知的冒険、知的探求、知的求道が一番ですね。これこそが永遠の快楽追及の道ではですかね。

昔の人はそういう環境(林住期)がなかったのですね。今時、林の中に住んで仙人みたいに住めますか。とても住めませんよね。現代の林とはインターネットです。こうしてブログでやり取りすることこそ醍醐味なのではないでしょうか。

ともちゃんさんの質問に答えることには時間を忘れます。
佐藤さんの言語科学に一定の道筋が見えるということに希望がありますね。それが私自身のテーマのへのフィードバックにもなりますしね。これが楽しいと感じられるのはビジネスではないからですね。私が勝手に邪魔してやっていることであり、だれにも束縛されないのですからね。これが私にとっての最大の快楽ですね。これで一日の大半が終わってしまいます。他のことをやっているときでもあの質問にどう答えるかとか考え事はしていますからね。休む暇がありません。好きでやっているからですね。

これは趣味とは違いますね。
----- (2016.02.24 22:11:20)

声に出して読む   ともちゃん さん
佐藤さん

錆は増殖するけど、鉄は増殖しない。
したがって、それは「繁殖」では無いと言う答えですね。
参考になります。ありがとうございました。

その教師は男性です。古代史研究会の仲間です。
彼は、古代史においては、斬新なアイデアをだします。
思いっきりハメを外すんです。

しかし、本職の生物となったら、全然違います。
佐藤さんの友人が、怒りだしたと言うのも想像ができます。
要するに自分はプロなんだと言う意識が、
どこかにあるんだと思います。

自分の職業がバカにされた。
プロはそんな印象を、もつのかも知れません。
「いつもペコペコと、客に頭をさげやがって」
「まるで、米つきバッタみたい」
私も友人から、こう言われたら怒るかも知れません。

プロの学者を相手にする時は、
よっぽど気をつけなければなりません。
相手と対等に議論しようなんて意識があったら、
絶対に相手にしてくれませんね。
彼らには、彼らのプライドがあるんだと思います。

fractalemode さんは、
どのようなご職業かはまったく解りません。
しかし、アマチュア同志として,話し会えるのは、
とてもありがたいです。

もう一つ、教えて頂けませんか?
先日、佐藤さんが東京に来ておられた時に質問したのですが、忙しくてそのままになっていたようです。

『日本人は無音が普通かも知れませんが、
フランス人には小声で読む人がいます。
日本人は漢字を視覚情報として受け取り、
音に変換しなくても大丈夫ですが、
フランス語の場合はそれがないので、
声にすることで意味をとっているのだと思います。
(2016.01.27 09:01:23)』

フランス人が声に出して読むのだったら、
アメリカ人も同じことでしょうか?
つまりどちらの人種も、
表音文字を使用していると言う意味です。

だから、フランス人が、声を出して読むのだったら、
アメリカ人も声を出して読むだろう。
私は、この様に想像しています。
(2016.02.25 07:09:50)

「心」 と 量子世界   ともちゃん さん
fractalemode さん

解答ありがとうございました。
学生期・家住期・林住期・遊行期の発想が面白いですね。
サラリーマンやりながら「禅」は無理。
これは、実感こもってます。

日本に棲んでいたら、実感はありません。
しかし、人類の永い歴史の中でも、
現在の日本は世界有数の金持ち国です。
贅沢さえしなければ、年金でも食って行けます。

インドで言う、「林住期」を楽しんでいる人は、
結構多いのではないかと思います。
私は趣味で、日本の古代史を研究しています。
サークルへ来る仲間は皆、仕事はしていないみたいです。

「シュレディンガーの猫」は、
量子力学を実感する為の解りやすい譬え話しです。
まず「確率」を出す為の数式と解釈された
シュレデインガーが怒ります。

「シュレディンガーの猫」は、
論敵をギャフンと言わせる為に作りだした思考実験です。
ところが論敵は、ギャフンと言うどころか、
猫物語に新しい解釈をつくり初めました。

科学の議論は、現実世界が、
そこに存在すると言う事を前提に、展開します。
密室には、あなたと被害者しか存在しなかった。
普通の裁判では、これで犯人が決定します。

犯人が決定しないのが推理小説です。
シュレディンガーの論敵は、別の犯人を探し始めたのです。
まさに、推理小説の世界です。

これがまた、量子世界の不思議を、素人に説明するのに、
都合のよい教材になっています。
私は「猫物語」と「二重スリット」だけで、
量子力学を考えています。

認識した後に存在する。
認識が先で、存在が後。
これはどう考えても、唯識世界です。

我々の前に広がる、堅固に見える「存在世界」も、
量子段階は「心」で出来ています。
プランクが発見した、これ以上は分断出来ないと言う
「エネルギーの量子」は、心で出来ているのだと思います。

だから量子世界では、「認識」と言う原因が起こるまで、
「存在」と言う「結果」は「存在」出来ないのです。

前の「存在」と後の「存在」は意味が違います。
前の「存在」は、物理的な存在です。
後の「存在」は、「精神世界」も、共に含めた「存在」です。
実に、シンプルな考え方だと思います。
(2016.02.25 09:11:06)

Re:「心」 と 量子世界(02/22)フラーレンの実験は嘘か?   fractalemode さん
ともちゃんさん

これがまた、量子世界の不思議を、素人に説明するのに、
都合のよい教材になっています。
私は「猫物語」と「二重スリット」だけで、
量子力学を考えています。

二重スリットについての解釈をまともにしないでくださいね。
最近はこんな実験もあるのですから。
フラーレンの実験
http://www7b.biglobe.ne.jp/~kcy05t/nisummary.html

>認識した後に存在する。
>認識が先で、存在が後。
>これはどう考えても、唯識世界です。
ここだけの文脈を切り出すとそうなりますね。量子論では観測する前の世界が存在していますね。唯識では、それすら存在しないですね。しかし、それは論としてであって、その論者もまた現実に戻ると糞して屁をする実在を信じる人になってしまうのですね。量子論の場合、観測できないから何も存在していないと考えているわけですね。しかし、確率の波の状態で存在しているとは考えているのですね。ここは唯識とは微妙に違いますね。
しかし、似ているために唯識の説明に引用する人は多いですね。

>我々の前に広がる、堅固に見える「存在世界」も、
>量子段階は「心」で出来ています。
>プランクが発見した、これ以上は分断出来ないと言う
>「エネルギーの量子」は、心で出来ているのだと思います。
これには反論できません。すべてが心の産物ですからね。
そこで止まってしまうのは唯識で、科学はそこを突破していきますね。

>だから量子世界では、「認識」と言う原因が起こるまで、
>「存在」と言う「結果」は「存在」出来ないのです。
この例では、そのことを破っていますね。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~kcy05t/nisummary.html
フラーレンという大きな実在する分子で実験したのですが、これは正しければシュレ猫の問題は存在しません。

>前の「存在」と後の「存在」は意味が違います。
>前の「存在」は、物理的な存在です。
>後の「存在」は、「精神世界」も、共に含めた「存在」です。
>実に、シンプルな考え方だと思います。

フラーレンを使った実験の意味するところはそのような幻想を砕いてしまいます。

フラーレンからでるドブロイ波は実在する波です。これを認めてしまうと シュレディンガーの波は存在できなくなり、収縮理論さえまったく無意味な産物になってしまいます。その理由は量子は実在せずただ確率の波としているからです。実在のドブロイ波を認めることはボーアモデル(+ エーテル理論 )を認めることを意味します。量子論に賛成ならフラーレンの実験を否定しなければなりません。
----- (2016.02.25 10:47:46)

Re:声に出して読む(02/22)   CLG2009 さん
ともちゃんさん


>プロの学者を相手にする時は、
>よっぽど気をつけなければなりません。
>相手と対等に議論しようなんて意識があったら、
>絶対に相手にしてくれませんね。
>彼らには、彼らのプライドがあるんだと思います。


こちらで学生をしているとき、セミナーで私の質問を思いっきり無視された経験があります。私の質問がよほど邪魔だったのでしょう。

それに、ある講演会の後で、たまたまある先生を見つけたので話しをしに言ったら、目の前に私がいるのにまるで私が存在していないかのように振舞われたこともあります。

それからは質問するときは、必ず「言い逃れ」できる選択肢を最初から質問にいれるようにしました。こうすると彼らの面子が立ちます。

面白いのは、少々面倒な質問をしても女性の場合は、真摯に応えてくれる場合が多いということでした。それは今は分からないとか、はっきりといってくれるのです。実際、無視するとかに走る人たちは全て男性です。



>『日本人は無音が普通かも知れませんが、
>フランス人には小声で読む人がいます。
>日本人は漢字を視覚情報として受け取り、
>音に変換しなくても大丈夫ですが、
>フランス語の場合はそれがないので、
>声にすることで意味をとっているのだと思います。
>(2016.01.27 09:01:23)』

>フランス人が声に出して読むのだったら、
>アメリカ人も同じことでしょうか?
>つまりどちらの人種も、
>表音文字を使用していると言う意味です。

>だから、フランス人が、声を出して読むのだったら、
>アメリカ人も声を出して読むだろう。
>私は、この様に想像しています。

私はアメリカ人と長く接していた期間が無いので、経験からはお話が出来ません。フランスでは、小声で話すという人に会ったことがありますが、アメリカ人はどうなのかよく分かりません。

何か文献でもあればいいですが、今はなんともいえません。何か見つかったら投稿させていただきます。 (2016.02.25 12:32:26)


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