1245741 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

言語学を超えて(ソシュール記号学の新解釈)

言語学を超えて(ソシュール記号学の新解釈)

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Free Space

《自己紹介》
佐藤直幹(さとうなおみき)と申します。令和二年で満54歳になります。丙午です。現在、フランスのパリ近郊在住で、翻訳を中心に仕事をしています。
nsato75@yahoo.fr

記憶による自己同一性進化論という、テーマに取り組んでいます。言語の本質を追い求めているうちに、人間とは何か、認知とは何か、生命とは何か、太陽系とは何か、時空間とは何か、物質とは何かという問いが生まれ、これらの根底に流れているが「記憶」という概念だと気がつきました。

ただ。ここでいう「記憶」の概念は、端的に言うと私の造語で、我々の知っている「記憶」をカバーしてますが、全く新しい概念で「すべての存在を生み出し、支え、進化させる」ものです。

記憶による自己同一性進化論は、今の科学の枠組みとは全く違うものになりますが、今の人類の知識を、新しい枠組みで捉え直すというプロセスと考えれば、矛盾は無いと思います。一言で言うと「科学のパラダイムシフト」を起こしたい訳です。

今は、ソシュールの記号学を「記憶による自己同一性進化論」という枠の中で再構築することを課題としています。ソシュールの「一般言語学講義」を再読しながら、記号学を新たなレベルに引き上げることを目標としています。


日本の大学では経済学を専攻しました。卒業後、金属素材メーカーに就職しましたが4年後の1995年に退職、直後にフランスに渡航し、言語学の勉強を始め今に至ります。一応フランスで修士と同等の免状(DEA)を取得していますが、博士論文は途中で断念しました。

高校三年のときにアメリカのイリノイ州に1年間のホームステイ留学、大学3年に上がる前に韓国に一年間、語学留学していました。最近は大分忘れましたが、フランス手話もフランスで勉強し、私の言語理論の重要な支えになっています。

始めはフランス語で発信しようと思いましたが、フランス語の語彙の概念を借用しながら、日本語で書く事にしました。あまりネガティブなコメントにはおつきあい出来ないと思いますが、興味があれば読者の方々と色々とディスカッション出来ればと思います。

「日本人の為のフランス語自習室」というブログもあります。最近は更新していませんが、フランス語に興味の有る方は是非どうぞ。
http://francais75.exblog.jp/

趣味は折紙ですが,最近は半分プロとしてやっています。
折紙のバラが専門です。ここに作品を発表しています。ミクシーでは、もっと多くの作品を公開しています。ハンドルネームは「Mikki」
http://pliagedepapier.com/gallery/index.php?cat=11645

2015年8月に、「バラの折り紙 ROSE」という本が出版されました。
http://www.amazon.co.jp/バラの折り紙-1枚の紙から作る-佐藤直幹/dp/452905466

2018年1月27日に「美しいバラの折り紙」という本が出版されます。
https://www.amazon.co.jp/%E7%BE%8E%E3%81%97%E3%81%84%E3%83%90%E3%83%A9%E3%81%AE%E6%8A%98%E3%82%8A%E7%B4%99-%E4%BD%90%E8%97%A4%E7%9B%B4%E5%B9%B9/dp/4529057674/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1516427564&sr=1-1&keywords=%E4%BD%90%E8%97%A4%E7%9B%B4%E5%B9%B9

2019年9月24日にアメリカのTuttle社から「美しいバラの折り紙」の英語版「Naomiki Sato's Origami Roses, create lifelike roses and other blossoms」が出版されます。
https://www.tuttlepublishing.com/other/naomiki-satos-origami-roses


Copyright (C) 2009-2023 Naomiki Sato All Rights Reserved

Profile

CLG2009

CLG2009

Category

Calendar

Keyword Search

▼キーワード検索

Rakuten Card

Favorite Blog

まだ登録されていません

Comments

CLG2009@ Re[1]:無関心。。。(03/24) ななみさんへ コメントありがとうござい…
ななみ@ Re:無関心。。。(03/24) 3月6日のコメントのご返事ありがとうござ…
ななみ@ Re:西洋とインドの「consiousness」の研究の永遠の限界。。。(03/06) 2月28日のコメントのご返事ありがとうござ…
CLG2009@ Re:意識について考えるのに有利な言語はあると思います(02/28) ななみさんへ コメントありがとうござい…

Freepage List

Headline News

2016.03.16
XML

一般的には、コミュニケーションが言語の目的であるとされている。私も、言語とコミュニケーションの深いつながりを否定するわけではない。しかし、コミュニケーションというのは、言語が誕生する前から存在していたのであるし、言語の登場によって、その質が変わり、人間の個人と集団のアイデンティティーの確立のために使われているとしたほうが自然だ。

ソシュールは、「ランガージュ(言語活動)」を「パロール」と「ラング」に分けたが、「個人のアイデンティティー」と「パロール」、そして「集団のアイデンティティー」が「ラング」になるかどうかは、今後検証してみる必要がある。

どちらにしろ、私が考える「個人と集団のアイデンティティー」は、言語活動だけに限らない。歴史や文化というものも含むが、必ず言語によって伝えられ、発展していく性質のものである。

ただ、ここで「集団のアイデンティティー」というのが「国のアイデンティティー」になるかどうかは、甚だ怪しい。「国への帰属感」を持っている「個人」は、世界中を見ても私は少数派だと見ている。でなければ、世界中なあんな数の難民や不法滞在者が出てくるわけはないからだ。

自分たちの住んでいる地域にある「国家や政府」が悪かったら自分で直せばいいのであるが、それをせずに他国に寄生するかたちで生きようとする。そして間違いなく、何らかの形でその「国家や政府」が倒れたとしても、後から続くものは、その前のものと同じ性質のものをもっている。直接選挙をして選んだとしてもあまり効果はない。賄賂や選挙妨害が横行するのは目に見えているからだ。

言語の目的を「アイデンティティーの確立」とすることで、今まで文法云々でお茶を濁していた言語学者たちが、社会の現実に直ぐに目を向けるとは思えないが、一つ一つ始めなくてはいけない。

今世紀のパラダイムシフトは、言語学から起きる。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2016.03.16 22:04:12
コメント(15) | コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
別の画像を表示
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、こちらをご確認ください。


祖母の思い出   ともちゃん さん
佐藤さん

『秋祭りの法被を着て、独りで立っている私の写真を、
誰も説明してくれなかった。(2016.03.16 07:40:17)』

佐藤さんは、小さいころ親元を離れていたのですか。
3・4歳と言えば、大人になってからの記憶に、
残るのか残らないのか、ギリギリの所です。

私の母は、もらい子でした。
私は母と違い、祖母の家で生まれました。
祖母は私を、自分の子供のように育てました。

今の私の家は堺市ですが、遠くに生駒山が見えます。
その山の下が祖母の家です。
休みには、よく一人で、祖母の家へ行きました。

私は堺から、その山を見て暮らしました。
私は、その山が自分の故郷(ふるさと)だと、
今でも思っています。

佐藤さんの体験と似ていますね。
今度、『生徒諸君』を読んでみます。
佐藤さんの、投稿文とシンクロせずにすみません。
(2016.03.17 03:43:17)

確率と統計   ともちゃん さん
faractalemodeさん

解説、ありがとうございました。
私が中学生の頃、1クラスに50人いました。
今は、1クラスが30人ほどだと聞きます。
30人もいたら、一人一人に教える事は不可能です。

最終的には、うちの中学は○○高校へ、これだけ入学させた。
このような「確率」でしか、その中学の価値は計れません。
父兄がそんな考えです。
学校側がいくら「理想」を語っても仕方がありません。

デパートも同じです。毎朝、朝礼があります。
その時、顧客サービスの重要性が説かれます。
デパートマンにとって、お客様は神様です。

しかしそれは、接客の瞬間だけです。
閉店後は、入店客数・売上を調べます。
この時点では、お客様は単なる「数字」です。

これは政治家も同じです。
選挙の時には、一人一人に握手を求めます。
しかし最終的に、有権者は「数」にすぎません。
これは、政治家が悪いのではありません。
「物理的」に、仕方がないのです。

芸能人やプロ・野球選手も同じです。
一人のファンにサインをするのは10秒で済みます。
しかし200人のファンに捕まったら、
30分の時間がかかります。
ひとり一人のファンを、
一人の人間と見ることなど絶対に不可能なのです。

友人との付き合いが、楽しい時もあります。
また、顔も見たくない事もあります。
「統計的」に見て、それが楽しければ、
その友人との付き合いは、続いて行きます。

世の中は、「統計」から出来ています。
他人は「大数」で「波」としか、とらえる事ができません。
この事に反論する人はいません。

問題は、人間が「物理的」な意味だけで
「統計的」に行動せざるを得ないのか?
こう言う事だと思います。

いや、そうではなくって、この世界そのものが、
「統計的」にしか存在していないのではないか?
こういう事も考えられます。

量子力学はこの世界が、
本質的に「統計」から出来ているという事を
証明しているのではないかと思います。

それに対して、神はサイコロを振らないと言うのが、
S科学の立場です。

この世界は、統計から出来ているのか?
あるいは、未来は決定しているのか?
ここが問題です。 (2016.03.17 04:16:26)

Re:祖母の思い出(03/16)   CLG2009 さん
ともちゃんさん


>『秋祭りの法被を着て、独りで立っている私の写真を、
>誰も説明してくれなかった。(2016.03.16 07:40:17)』

>佐藤さんは、小さいころ親元を離れていたのですか。
>3・4歳と言えば、大人になってからの記憶に、
>残るのか残らないのか、ギリギリの所です。

どのくらい離れていたかどうかはわかりません。多分数カ月だと思います。
自分の兄弟に会いたいという私を祖父が親元に返したと聞いています。
詳しいことはわかりませんが、それ以上知っても何も変わらないのでそのままにしてます。


>私の母は、もらい子でした。
>私は母と違い、祖母の家で生まれました。
>祖母は私を、自分の子供のように育てました。

>今の私の家は堺市ですが、遠くに生駒山が見えます。
>その山の下が祖母の家です。
>休みには、よく一人で、祖母の家へ行きました。

>私は堺から、その山を見て暮らしました。
>私は、その山が自分の故郷(ふるさと)だと、
>今でも思っています。

>佐藤さんの体験と似ていますね。
>今度、『生徒諸君』を読んでみます。
>佐藤さんの、投稿文とシンクロせずにすみません。

「生徒諸君」は、長編漫画なので覚悟しておいてください。全部で三部構成で、第一部は24巻あります。
でも、後悔はしないと思います。私は、この漫画で人生を勉強しました。
独りの人間が悩む姿を目の当たりにすることで、自分と向き合うことができたのかも知れません。


(2016.03.17 07:22:17)

Re:確率と統計(03/16)未来は決定できるか?   fractalemode さん
ともちゃんさん

>30人もいたら、一人一人に教える事は不可能です。

先生にしたらそうでしょね。ヒューノイドの先生がほしいですね。

>学校側がいくら「理想」を語っても仕方がありません。

人間先生の限界ですね。

>デパートマンにとって、お客様は神様です。

接客サービスは皆そうですね。個人商店ならまだしも、大型店舗となると人間の限界がきます。過度な競争は人間疎外をもたらすのですね。

>この時点では、お客様は単なる「数字」です。

客単価・粗利・付加価値だけの数字、B/S,P/Lの世界です。
この世界に心は入ってきません。

>これは政治家も同じです。
中略
>「物理的」に、仕方がないのです。

だから民主主義はその精神に反して味気ない数の世界なのですね。

>ひとり一人のファンを、
>一人の人間と見ることなど絶対に不可能なのです。

それはうれしい反面、嫌になってくるでしょうね。

>友人との付き合いが、楽しい時もあります。
>また、顔も見たくない事もあります。
>「統計的」に見て、それが楽しければ、
>その友人との付き合いは、続いて行きます。

こういう場面で統計というのはどうでしょうか。学習しているのではないでしょうか。
経験(楽しい、不愉快)が記憶されるのですね。それが漸化的に持続するのですね。
現在の私=ある係数*過去のいやな思いをした私*(1-過去のいやな思いをした私)
これを統計的に表現すると過去のいやな思いをした私=aとすると
(a1+a2+a3,,,,an)/n=A
なります。こんな単純ではないかもしれませんが、過去の記憶をすべて並べて加重平均するというようなことをともちゃんさんはやっているのでしょうか。過去の経験が生かされていませんよね。

その時その時に感情処理がなされて持続するというのが実際に近いのではないでしょうか。先生とともちゃんさんでは一人称の三人称の違いがありますね。先生は子供を駒としてしかみていないのですね。ともちゃんさんは自分を見ているのですからそんな三人称(客観視)としては見ていないですよね。

ともやんさんが自分を客観視するときはどういうときでしょうか。例えば日記をつけているとします。その記録の感情を数値化(5段階でもいいです)して統計処理することはできるかもしれません。でもそんなことするでしょうか。しないですよね。日記も参照するでしょうが基本は内観して自覚するのですよね。
続く (2016.03.17 08:40:58)

Re[1]:未来は決定できるか?視点を変えると答えが見つかる。   fractalemode さん
ともちゃんさん
>世の中は、「統計」から出来ています。
>他人は「大数」で「波」としか、とらえる事ができません。
>この事に反論する人はいません。

いやいやそんなことをする人はいません。それは人でななく、器械です。ですから管理者(器械)は顧客をそのように見るです。世の中が統計からできているとみるのは、そのようなパースペクティブによって頭が占領されているからです。それはすべて管理、システムの視点です。


>問題は、人間が「物理的」な意味だけで
>「統計的」に行動せざるを得ないのか?
>こう言う事だと思います。

人間が非人間(機械)になるのは、対象を物(属性を無視する)として扱うときですね。それは決まって大量の対象を相手にするときです。生活者がそんなことをすることはないと思います。個人的な差はあるでしょうが。

いずれにしても大量の対象を客観的に科学するにはこれまでは統計的手法しかなかったわけですね。

今、クールジャパンの売りは「おもてなし」ですね。これは明らかに統計的ではないですね。「おもてなし」のルーツは京都文化にありますね。しかしこれも対象が大きくなると機械化されるのではいでしょうか。京都の一番よくないところは裏と表があるというところです。表の顔はニコニコ、裏ではベロを出しているというあれです。昔は嫌いな人が来て長いをしたときは、箒を逆さにしましたよね。これがおもてなしの本質だとするとクールジャパンもいつか馬脚を現しますね。


>いや、そうではなくって、この世界そのものが、
>「統計的」にしか存在していないのではないか?
>こういう事も考えられます。

そういうふうに考えるから非人間化・機械化が進んできたのですね。しかもそれを支える科学が確率統計しかないという有様ですからね。仕方がないと言えば仕方がありません。

ただ、それを打破しようというのがITですね。まだまだ不十分ですが。ウイルス感染で大事な大事に育ててきた鶏や豚を大量に始末しなければならない時は生産者はがっかりどころか死ぬ思いでしょうね。こんなときは統計は全く役に立ちませんね。今は全品検査の時代ですね。


>量子力学はこの世界が、
>本質的に「統計」から出来ているという事を
>証明しているのではないかと思います。

証明なんかしていません。そう解釈しているだけです。統計モデルを作って実験して答えが出たからこの世界は統計だというのは本末転倒です。

競馬(ギャンブル)の世界を見てこの世界はすべて統計の世界だというようなものです。競馬は期待値(的中率*オッズ)を実現するゲームですね。これはギャンブラーの視点のゲームであり、馬の視点で見ると全く違うが様相になりますね。


量子論もまったく同様であって、科学者の視点で見たときの世界観であって、量子達はそんなこととは関係なく遊んでいるのですね。

>それに対して、神はサイコロを振らないと言うのが、
>S科学の立場です。

そうですね。

>この世界は、統計から出来ているのか?
>あるいは、未来は決定しているのか?
>ここが問題です。

統計では現在は確定できず、未来は決定できません。ただ、可能性を示すだけです。カオスフラクタルでは未来は確定できませんが、決定されています。現在は確定できます。

是非、世界は統計からできているという視点から反論してみてください。
----- (2016.03.17 08:43:09)

認識論・確率論   ともちゃん さん
fractalemodeさん

私が、こんな事を考えるようになったのは、
そもそも、世の中に「決定」なるものが
存在しないのではないかと思ったからです。

未来は決定していない。
これは、普通の人でも考えます。
しかし、私は、過去も決定してないのではないか?
このように、考えるようになりました。

例えば「慰安婦問題」です。
あるいは、「南京大虐殺」です。
以前、私たちは、あれは、絶対的な
歴史的事実だと思い込んでいました。
しかし、今ではだいぶ怪しくなってきました。

佐藤さんなら、あんなものは、
中国・朝鮮の陰謀だと言います。
しかし、佐藤さんが言われる根拠も薄弱なのです。
なぜなら佐藤さんは、当時まだ生まれていません。
だから、慰安婦たちの現場を知りません。
ただ、他人の書いたものを信じ込んでいるにすぎないのです。

古代史をやっていると、このようなことはよくあります。
私たちは、聖徳太子の実在を疑いませんでした。
しかし現在の教科書では、聖徳太子の名前は削られました。

私の友人は、中大兄皇子や、藤原鎌足は、
白村江の戦いの後、百済(くだら)から亡命してきた
朝鮮の貴族だと言う説を立てています。

徳川家康は実在したのか?
そんなことは、まったく判りません。
現在、家康の物であると言う書簡がたくさん残されています。
聖徳太子の時代と違い、
各大名も家康に関する資料を残しています。

それらの資料を検討したとき、
家康が実在したと考える方が、
実在しないと考えるより矛盾点が少ない。
これが、歴史的実在の証明なのです。

聖徳太子や徳川家康に比べ、
「南京大虐殺」や「慰安婦問題」は、
つい最近の出来事です。
カメラも録音機もできていました。
それでも、こんな状態です。
過去は、まったく判りません。
これが、私の実感です。

過去はすでに確定している。
しかし人間は、それを認識できないだけなのだ。
普通の人はこのように言います。

しかし私は、「認識が先で存在が後」と言う
哲学をもっています。
認識できないと言うことは、存在しないと言う事なのです。

fractalemodeさんや佐藤さん。
こう言う人物が、本当に存在しているのか?
それが、私には疑問なのです。
しかし、それは、まったく存在していない
というわけではありません。

「存在している」と「存在していない」が、
霧のように重なり合っています。
まさにシュレディンガーの猫なのです。
もし、いつかお二人にお会いするような事があれば、
その時、

(1)「実在するfractalemodeさん」が私の前に現れる。
(2)実はfractalemodeとは、佐藤さんのペンネームであった。

重なって存在していた二つの霧が晴れて、
どちらかに決定するのです。
ただしこれは、普通の人の感覚です。

私は、目の前に現れたお二人を見ても、
これは果たして本当に存在しているのか?
あるいは、私の意識が作り出した
幻なのかと言う事を考えると思います。

たぶん50パーセントは存在しているのだろう。
しかし、後の50パーセントは、
自分の意識が作り上げた幻なのだろうと感じると思います。

一寸先は闇と申します。
女房が町へ買い物に出て、交通事故で生還できない確率は、
100万分の1ぐらいかも知れません。
しかし100パーセントの確率では生還できないのです。

私には、子供が3人います。
しかし、彼らが交通事故で
死なないとは限らないのです。
そう言う、確率の中でしか私たちは
生きる事ができないのです。

つまりそれは、「交通事故で死んだ」と
「まだ生きている」が、霧のように
まじりあった状態で存在しているのです。

普通の人は、これを
「認識の問題」に過ぎないと言います。
しかし私にとっては、
認識したものしか存在できないのです。

こういう理由で、この宇宙は、
確率的にしか存在しないと、私は考えます。 (2016.03.17 10:22:35)

Re:認識論・確率論(03/16)   CLG2009 さん
ともちゃんさん
fractalemodeさん

過去のことに関しては、多分世界中でアマゾンのピダハン族が現実的でしょう。彼らは、自分が見聞きしたもの、自分の知っている人間が見聞きしたものしか信じません。となると祖父母が生きているとしたら、曽祖父母の存在までは信じても、それ以前は「何もない」事になります。

ピダハン族と一緒に過ごしたエヴェレットさんは元々宣教師でしたが、「お前はキリストに会ったことがあるのか、ないのにどうして実在した人間だとわかる」と問われ、答えられなくなりました。そして最終的に信仰を捨てました。それが信心深い家族との決別ともなりました。

赤ん坊は、何も知らずに生まれてきます。そして言語によって、いろんな情報を与えられ、アイデンティティーを確立し「人間」になります。ですから、子供は教えられたことを「信じる」ことで大きくなります。教えられることが全てです。

人類はまだタイムマシンを発明していません。ですから、過去のことは、誰かが記した記録、文章、画、写真、遺跡などの資料によるしかありません。その資料が信じられるかどうかに関しては常に議論があります。誰かがフィクションとして書いたものが歴史書として残っている可能性だってあるからです。つまり、子どもたちに嘘を教えれば、嘘の歴史がまるで本当の事の様に語り継がれるわけです。

嘘の歴史を教えることには当然メリットがあります。自分たちが行った悪行を隠したり、何もしていない国に悪名を着せたり、つまり現在の政治関係を自分たちに有利に進めようという意図があります。事実がどうであるかどうかは問題ではないのです、皆がそう信じれば、それで全てが動いていくわけです。「世論」を作ったものが勝ちなのです。戦後のGHQの「心理戦」が「ウォーギルトインフォメーションプログラム」でした。

「慰安婦問題」や「南京大虐殺」に関しては、支那と朝鮮と日本が歴史とはどういうものかと考えているかを知ることから始まります。出典は怪しいのですが、非常に明快にこの3つの民族の歴史観を表しているものに、「中国にとって歴史はプロパガンダ、韓国にとって歴史はファンタジー、日本にとって歴史はヒストリー」というのがあります。

支那文明では、王朝の交替の際、前の王朝は完全否定され、天命を受けた新しい王朝の輝かしい歴史が「初期化」された状態でスタートします。しかし、当然新しい王朝も問題を抱えています。それを最初から覆い隠す形で始まっているのですから、いつかその「嘘」によって破綻する日がやってきます。でも支那人にとっては、それで構わないのです。それが彼らにとっての「現実世界」なのですから。いずれ倒れる王朝の下で権力闘争に加わって生きるもよし、負け組となって国外に逃げるもよしです。中国語を話し、漢字を使い、中華料理を食べ、春節を祝う。これで中国人としてのアイデンティティーは保たれているのですから安いもんです。

過去の情報、いわゆる歴史は、人間のアイデンティティーを確立する上では不可欠です。人間が人間として存在するのは、自分のアイデンティティーを知ることからスタートします。自分の名前を知ることが最初です。そして、それを自己同一的に更新していくことで生きていくわけです。

まずは、個人のアイデンティティーの確立から始まりますが、それは言語という共通媒体によって、集団へのアイデンティティーへと発展します。集団の記憶が、ピダハンの様に肉親や知人の範囲にとどまっている場合は対して重要ではありませんが、権力者が国や国家という単位で人を動かそうと思ったら、同じ国の人間であるという共通認識が必要になります。

その逆もあります。日本のサヨク、特に共産党の人達は、個人のアイデンティティー優先で、集団のアイデンティティー、つまり日本人としてのアイデンティティーを否定する人達です。集団のアイデンティティーというのは、自分たちを権力者が支配するために作ったいいわけだと思っています。そして彼らの究極の目的は日本を崩壊させることです。

共通認識が歴史教育になるか宗教教育になるかは現在社会では別れるところですが、どちらも似たようなものです。

続く



(2016.03.17 19:35:46)

Re:認識論・確率論(03/16)   CLG2009 さん
ともちゃんさん
fractalemodeさん


話が少しそれたので、本題に戻りましょう。

ともちゃんさんは「私にとっては、認識したものしか存在できないのです」とおっしゃいますが、その通りです。認識したもの、信じたものしか人間社会では存在しません。しかし、だからといって「嘘」を教えるとすると「記憶の進化」に反することになります。

人間は、自分が知らない人達、自分たちが生まれる前に生きていた人達に思いを馳せます。そして、そういう人との一体感を通して「集団のアイデンティティー」を確立していきます。この時に「嘘」が盛り込まれていると、「離散融合更新循環」が正常に機能しなくなります。つまり「過去の嘘」に引っ張られた「現在」も「嘘」になってしまうのです。そして当然、未来も嘘になります。こうなってしまうと、社会も科学も発展しなくなります。中国と韓国に科学分野のノーベル賞がないのは、その結果です。(中国は、この間医療分野で初めて一人受賞しました。科学分野では台湾の方は受賞しています。)

>未来は決定していない。
>これは、普通の人でも考えます。
>しかし、私は、過去も決定してないのではないか?
>このように、考えるようになりました。

確かにおっしゃるとおりですが、過去と未来が有るということは「現在」の場で、様々なことが起こっていて、過去と違う現在があり、現在と違う未来が有ることを我々は知っているということでもあります。

極論で、過去も未来も否定なさりたい気持ちも分かりますが、我々は生きています。その意味は確かにちっぽけなものかも知れません。結局は「記憶の進化」に使われているだけなのですから。しかし「記憶の進化」の主役であるのが我々人類であることも事実です。我々、個々人の意志がなかったら記憶は進化しないのですから。人類が未来に対して希望を捨ててしまったら、この太陽系は記憶の進化がストップしたと天体ということになるでしょう。

未来を決定するのは、我々なのです。その中に当然ともちゃんさんも入ります。しかし、自分で未来を決定できなくする方法があります。それは過去に固執することです。過去の栄光だけを強調していても、時間はどんどん過ぎていくわけですから、その時間を使って、未来を志向している人と過去にこだわって何もしない人との差は広がる一方です。

私やfractalemodeさんが存在するかどうかは極論、問題ではないのです。最後は、ともちゃんさん自身が、どのように自分のアイデンティティーを「離散融合更新循環」できたかにかかっています。

人間は、悟りの域に達したらそれで終わりではないのです。天国なんてありません。常に我々は自己との戦いをして生きていかざるを得ないのです。

多分、ともちゃんさんの疑問には直接的に答えていないと思いますが、記憶科学に関連してリプライさせていただきました。
(2016.03.17 19:37:57)

疑う心   ともちゃん さん
佐藤さん

コメントありがとうございました。
佐藤さんは、朝鮮や中国の陰謀を暴きます。
この立場は、ものすごく理解できます。
実は、これを、私たちは古代史研究会でやっております。

『日本書紀』(AD720年)は、日本最古の歴史書です。
ここに書かれた「日本神話」は、太平洋戦争の
国威高揚(こくい・こうよう)に利用されました。
戦後、その反動がやって来ました。

「日本神話」の元になっている『日本書紀の嘘』が
徹底的に暴かれました。
佐藤さんが『言語学の嘘』を暴くのと同じ思いです。

『日本書紀』では、歴史が改竄(かいざん)されています。
当時の最高権力者の藤原氏が、自分たちに都合のいいように
歴史を改竄(かいざん)したのです。

そのやり方は、朝鮮や中国のやり方とまったく同じです。
改竄(かいざん)された『日本書紀』が、
今回の戦争に利用されました。

だから私は、朝鮮・中国が特別だとは思いません。
人間のやることは皆同じ。
これが、私の率直な感想です。

それはそうと、私と佐藤さんでは、
どっちが疑い深いのでしょうか?
どっちが、人を信用しやすいのでしょうか。

疑い深いのは、間違いなく私です。
私は、徹底的に「学問」を疑います。
そこは、佐藤さんと同じです。

しかし、ひとたび「思想」となったら、
佐藤さんは、あきれるぐらいに他人様を信用してしまいます。
私は、他人様の書いたものなど、絶対に信用しません。

佐藤さんの学問に対する、あの「疑い」は、
一体なんだったのだろうか?
それが、私には不思議なのです。
ひょつとして、あれは「偽の疑い」ではないのか?
そんな事も考えました。

私は佐藤さんの事を、アンドロイドと思っています。
アンドロイドのイメージは、
その辺の感覚からも来ているのではないかと思います。

佐藤さんの「心」の中はどうなっているのか。
私の生きる参考のために、
少しでも教えていただければ幸甚に思います。 (2016.03.17 23:53:55)

疑いの心   ともちゃん さん
佐藤さん

少し、言い忘れました。
佐藤さんは、信用していた朝鮮人が信用できなくなりました。

たぶんそれは、日本と言う国家の正当性を信じさせた
「日本神話」が、戦後まったく信用できなくなった。
こういう日本人の心情と同じものだと思います。

この場合、佐藤さんは
すべてが信じられなくなると思うのです。
シンシアリーさんや、呉善花さんの言うことも、
絶対に信用できないはずなのです。

歴史などすべて嘘ではないのか?
ひょっとしたら、過去など存在しないのではないのか?
私が佐藤さんなら、そのような思考の流れになると思います。

嫌韓思想を全面に押し出す佐藤さんと私の、
「頭の構造の違い」がその辺にあるのかも知れません。
今、思いつきました。
参考にしていただければ幸甚です。 (2016.03.18 00:12:43)

Re:疑う心(03/16)   CLG2009 さん
ともちゃんさん


>『日本書紀』では、歴史が改竄(かいざん)されています。
>当時の最高権力者の藤原氏が、自分たちに都合のいいように
>歴史を改竄(かいざん)したのです。

>そのやり方は、朝鮮や中国のやり方とまったく同じです。
>改竄(かいざん)された『日本書紀』が、
>今回の戦争に利用されました。

>だから私は、朝鮮・中国が特別だとは思いません。
>人間のやることは皆同じ。
>これが、私の率直な感想です。

本当にそう思っていますか。
中国と韓国との歴史認識問題の根の深さは「離間」です。つまり、彼らは、あること無いこと第三者に吹聴して、当事者の評判を落とすという姑息な手段を使っているのです。

戦争当時の日本が戦意高揚に日本書紀を使ったことは確かに姑息だったでしょう。しかし、日本は外国まで(あと国連)まで出かけて行って、中国と韓国の悪口を言うようなメンタリティーは持ちあわせていません。しかし、彼らにとって「離間」を図ることは、自分たちが日本より優位に立つ上で必要な政策なのです。それを、民間団体という隠れ蓑を着て、政府主導でやっているわけです。これでも、日本と中国と韓国が同じだと思いますか。

私が嫌韓・嫌中とおっしゃいますが、知韓・知中であると思っています。つまり、日本人は隣人である支那と朝鮮民族都の精神性の違いに関して知らなさすぎました。あの2つの民族の気質を十分に理解することが、この情報戦に対して少しでも反撃するためには必要です。


>しかし、ひとたび「思想」となったら、
>佐藤さんは、あきれるぐらいに他人様を信用してしまいます。
>私は、他人様の書いたものなど、絶対に信用しません。

ともちゃんさんは、歴史の専門家として高みの見物をするのですか。自分はどちらにも着くことができない。どちらにしろ誰の言うことも信用できないんだから、自分は何も言うことができないと考えてらっしゃるのですか。それならそれで構わないと思います。実際、そういう人達が大多数ですから。


>佐藤さんの学問に対する、あの「疑い」は、
>一体なんだったのだろうか?
>それが、私には不思議なのです。
>ひょつとして、あれは「偽の疑い」ではないのか?
>そんな事も考えました。

疑いの気持ちは、何処かにひっかかっています。しかし、自分の頭で考え、判断をし、実行に移すことに決めました。これは戦争なのです。そして武器となるのは情報です。

しかも今までの日本は、情報の発信をせずに受け身でした。中国と韓国の垂れ流す情報をそのままにしていたです。これに加えて、反日日本人という一番厄介な人達がいます。彼らが発信する情報を、再発信するのが中国と韓国という図式が出来上がっています。






(2016.03.18 01:03:06)

Re:疑う心(03/16)   CLG2009 さん
ともちゃんさん

>私は佐藤さんの事を、アンドロイドと思っています。
>アンドロイドのイメージは、
>その辺の感覚からも来ているのではないかと思います。

>佐藤さんの「心」の中はどうなっているのか。
>私の生きる参考のために、
>少しでも教えていただければ幸甚に思います。


中韓の本当の目的は、華夷秩序の復活です。このためには、日本が世界から認められることは彼らにとっては耐え難いことなのです。中華思想と小中華思想では、支那が父で朝鮮が兄です。そして弟が日本になります。今、序列でいうと3番目の弟がのさばっているのです。

ともちゃんさんの主張を聞いていると、過去が信じられないのなら、何も信じられない、だから何もする気がおきないと言っているような気がします。それに、世界中の人は全ていいひとなんだという暗黙の了解があるようにも思えます。

ともちゃんさんは、きっと自分だけしかこの世界に存在しないと思っているのでしょうが、私には、自分が日本人であるという意識があります。このアイデンティティーがある限り、支那人と朝鮮人の横暴に目をつぶってはいられません。

今の日本の嫌韓・嫌中は、多分この先、何らかの結末を招くことになります。既に中国・韓国に親近感を持っていない人達が過半数を超えていますし、この傾向はどんどん加速するでしょう。この「結末」によって人が死ぬようなことがあったら悲しいことだとは思いますが、韓国は既に靖国神社で無差別爆弾テロを決行しています。怪我人、死人が出なかったのは幸いだったのです。

日本には、中国・韓国におもねく政治勢力があります。民主党の政治家の中国旅行には呆れました。まるで朝貢です。自分の国の国力をつけることを怠り、日本からお金と技術をぶんどって発展してきた中国と韓国の経済は今後崩壊の一途をたどるでしょう。そのとき、日本がまたつけ船を出すのか。私は日本に「ノー」と言わせたい。そのときのための準備を、個人の立場でしているだけです。 (2016.03.18 01:04:10)

Re:疑いの心(03/16)   CLG2009 さん
ともちゃんさん


>少し、言い忘れました。
>佐藤さんは、信用していた朝鮮人が信用できなくなりました。

>たぶんそれは、日本と言う国家の正当性を信じさせた
>「日本神話」が、戦後まったく信用できなくなった。
>こういう日本人の心情と同じものだと思います。

少し違います。韓国人に関しては、私の中でひっかるものがありました。

違和感があったのです。それをシンシアリーさんや呉善花さんの本を読んでようやく理解出来たのです。そして、日本人とは似ても似つかない精神性の持ち主だということがようやく分かりました。


>この場合、佐藤さんは
>すべてが信じられなくなると思うのです。
>シンシアリーさんや、呉善花さんの言うことも、
>絶対に信用できないはずなのです。

お二人の著書の私の理解は、自分の経験に裏打ちされています。単に、鵜呑みにしているのではありません。


>歴史などすべて嘘ではないのか?
>ひょっとしたら、過去など存在しないのではないのか?
>私が佐藤さんなら、そのような思考の流れになると思います。

こうなるとアナーキストですね。無政府主義者です。

アナーキストは何も生み出しません。人間は、集団のアイデンティティーを有効に活用することでしか進化できません。全ての人間が、個人アイデンティティーを優先したら、この世はおしまいです。


>嫌韓思想を全面に押し出す佐藤さんと私の、
>「頭の構造の違い」がその辺にあるのかも知れません。
>今、思いつきました。
>参考にしていただければ幸甚です。

ともちゃんさんは、特定の民族を嫌いになることは道徳的に間違っていると思ってはいませんか。その場合、既に韓国で若い世代に十分浸透し、現在も更新されつつある反日教育のことをどう思いますか。それでも韓国人はいい人であると言い切れますか。

(2016.03.18 01:18:38)

Re:確率統計人間とアイデンティティー   fractalemode さん
ともちゃんさん

>こういう理由で、この宇宙は、
>確率的にしか存在しないと、私は考えます。

ともちゃんさんがもし日本の首相になったら日本は間違いなく滅びるでしょね。確率統計的人間は自己に対する信頼度がない人ですので、アイデンティティーの崩壊した人です。それを国家レベルでやると国家のアイデンティティーも崩壊するということになりますね。ソ連の二の舞です。

アイデンティティーが確立されていなかった時代は、日本でも占いや呪術に頼っていました。その典型は戦国武将です。軍師は、合戦の日時や方角を占ったり、戦勝祈願の加持・祈祷を行いました。祈祷は陰陽道における式神です。これは人間の魂と人形を同一化させたいというのは原アイデンティティーなのです。その式神が確率統計の衣を着て現代に現れたとみて良いのではありませんか。ともちゃんさんはそのような霊によって自己同一化を図りたいのでしょうか。

アイデンティティーは人生を選択するために羅針盤なのです。航海に出てサイコロで進路を決める人はいません。もし、人生を占いに頼る人は羅針盤を持っていないために自信がないから占いにでも頼るしかないのですね。窮地に追い込まれて藁にもすがるというときに出てくるのが神頼みです。そこに確率統計という式神が現れるのです。

そこで確率・統計がいかに脆弱なものであるかを証明してみせます。

統計とは母集団の本質を求めることです。統計には先ずデータが必要です。ところでともちゃんさん自身の統計データはどうやって集めますか。物ならサンプル調査をすれば集められますが、自分のデータを自分でどうやって集めますか。ともちゃんさんは一人しかいないのですよね。まさか他人には頼めませんよね。頼りになるのはともちゃんさんの個人的な体験の記憶だけですよね。後は、先人たちの教訓(タオ・道教)とかですよね。時系列データは集められるでしょう。思い出アルバムとしてでも。しかし、データが集まったときは御臨終です。それでも一人の人生のデータなどたかが知れています。確率などの精度は出ませんし統計にもなりません。せいぜい自叙伝ぐらいですね。

結局、一人称の記憶はデータ化できないのですね。三人称のデータ(教訓も含めて)など糞の役にも立ちませんよね。マーケティングデータなら使い道はありそうですが。意識調査という手法がありますが、これによって示された数字を見てこの世界は確率統計的な世界なんだと確信が得られたことたことがありますか。そのようなデータを見て人生を選択することがあるでしょうか。せいぜい参考にするだけではないでしょうか。

以上の点からして、個人の人生を推定するにはあまりにも確率統計は根拠がないのですね。数学は定量化したものを扱います。個人の人生は定量化できないのです。科学的合理性に耐えうる根拠を持ち合わせていないのです。ですので確率統計的な世界観は簡単に崩れるのです。もっとも私はその定量化できない記憶(意識)に無謀にも挑戦しているのですが。しかし、確率統計に頼ろうとは思いません。

----- (2016.03.18 07:46:35)

Re[1]:確率統計人間とアイデンティティー(03/16)   CLG2009 さん
fractalemodeさん
ともちゃんさん

横槍失礼します。

>ともちゃんさんがもし日本の首相になったら日本は間違いなく滅びるでしょね。確率統計的人間は自己に対する信頼度がない人ですので、アイデンティティーの崩壊した人です。それを国家レベルでやると国家のアイデンティティーも崩壊するということになりますね。ソ連の二の舞です。

私は日本にいなかったので実感は無いですが、民主党政権の日本は大変だったそうですね。個人的には、今自民党になり、安倍総理になってよかったと思っています。


>アイデンティティーが確立されていなかった時代は、日本でも占いや呪術に頼っていました。その典型は戦国武将です。軍師は、合戦の日時や方角を占ったり、戦勝祈願の加持・祈祷を行いました。祈祷は陰陽道における式神です。これは人間の魂と人形を同一化させたいというのは原アイデンティティーなのです。その式神が確率統計の衣を着て現代に現れたとみて良いのではありませんか。ともちゃんさんはそのような霊によって自己同一化を図りたいのでしょうか。

フランスのミッテラン大統領は、占星術に頼っていました。まさか、国政に使ったとは思いませんが、有名な占い師に足繁く通っていたことが今はわかっています。


>アイデンティティーは人生を選択するために羅針盤なのです。航海に出てサイコロで進路を決める人はいません。もし、人生を占いに頼る人は羅針盤を持っていないために自信がないから占いにでも頼るしかないのですね。窮地に追い込まれて藁にもすがるというときに出てくるのが神頼みです。そこに確率統計という式神が現れるのです。

アイデンティティーは価値体系をもとにした行動指針であると私も結論づけています。この点では意見が一致しますね。


>以上の点からして、個人の人生を推定するにはあまりにも確率統計は根拠がないのですね。数学は定量化したものを扱います。個人の人生は定量化できないのです。科学的合理性に耐えうる根拠を持ち合わせていないのです。ですので確率統計的な世界観は簡単に崩れるのです。もっとも私はその定量化できない記憶(意識)に無謀にも挑戦しているのですが。しかし、確率統計に頼ろうとは思いません。

fractalemodeさんは、「定量化できない記憶(意識)に無謀にも挑戦している」のですね。その先に何を見ていらっしゃるのか、又の機会に教えていただければ幸いです。



(2016.03.18 08:36:23)


© Rakuten Group, Inc.