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カテゴリ:相似相違体
今、どうやって離散系を説明しようか考えあぐねているのだが、離散系の典型的な例であるシーニュ/記号について最近特に考えている。
シニフィアン(シニアン)とシニフィエ(シニエ)では、まずはシニフィアン(シニアン)の方が離散座標化しやすいだろう。これは、聴覚(音声)言語に関して、音韻体系として客観的な形で観察することができるからである。シニフィエ(シニエ)の場合、いわゆる「意味」が関わってくるので、具体的な座標化を行うことがより難しい。 聴覚言語のシニフィアンの離散座標化だが、音声を分割するという考え方から離れて、聴覚記憶を離散的に調律するというような感覚を使ったらどうかと思う。 まだイメージしかないのだが、イントネーション等で、まず大まかに聴覚記憶を分割し、その内部に離散的な境界を複数生じさせることで、音素と言われるレベルまで離散的な座標をつくっているのだと考えている。 こ子で言う「離散的境界」とは、子音/母音の境界が基本であるが、言語によっては、例えば母音/子音という境界を使っているはずである。ちなみに日本語には、この種の境界は無いと思われる。その代わり、モーラの追加という境界があるはずである。 実は数年以上前に既に、音韻体系を離散化で説明しなければいけないとは思っていたのだが、当時は全くイメージがわかなかった。今のイメージが正しいかどうかは分からないが、日本語という特殊な言葉を使って、まずこれが実現できたら、その他の言語にも適用できるかも知れない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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佐藤さん
ともちゃんさん 記憶言語では、人間の視点を消して、決して意味を語るな。差位を語れと言います。どうやって語ればよいのでしょうか。 そのもっとも適切な例を探してみました。それは無名戦士です。 無名戦士の墓と言います。 普通に考えるなら無名だから差位がありません。それは人間が自然言語に慣れているので、いつの間にか、無を取り込んでしまうからです。 無とは無限であり、無差位とすること、つまり、記憶を連続化させる効能を持っているのです。 しかし、名無しの戦士だからこそ、差位があるのです。そのためには記憶言語という分かり難い言語を学ぶ必要があります。 記憶言語を学べば、記憶を差位化する方法が分かります。 記憶を差位化する方法が分かれば、記憶言語が何であるかが分かると言った方がよいかもしれません。 名無しの戦士だからこそ、差位があるなどと、何故、そんなことが言えるのでしょうか。 無名とは人名がないということですから、もはや人としての資格がないということです。特定できないのです。根拠がないのです。 人として意味が確保できないのですから、それはすべての人の記憶です。 無差位(無名)だから差位があるとは逆説的ですね。そうです。記憶言語は逆算なのです。 自然言語:無名は差位の単位である。しかし、(相異)相似と思考するから相似=無限となり、差位がなくなる。その結果、連続となり、離散系は消滅する。 記憶言語:無名は差異の単位である。しかし、(相似)相異と思考するから相異=差位となる。その結果、離散系となる。 これをどう合理的に説明するかが今回のテーマです。 相似相異にその謎を解くカギがありました。 お楽しみに。 (2017.01.05 15:09:36) |