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カテゴリ:離散融合更新循環
記憶科学は、言語活動の解析から「離散融合更新循環」という原理を導き出し、それを宇宙(あるいは太陽系)の誕生に適用することまで来た。しかし、記憶が進化するのであれば、その中間にあたる、生命活動と認知活動にも適用ができるはずなのだが、今のところブラックボックスとなっている。
生命活動においては、遺伝子の組み合わせだけでなく、その読み取り方に「離散融合更新循環」が関わっていると推測しているが、今の段階ではそれ以上はわからない。 認知活動は、ダイレクトに言語活動へとつながるという点で、言語活動を生んだ「離散融合更新循環」の無かった状態を逆算するという手法を取っている。 認知活動というのは、まず第一に、記憶を利用した活動であるが、我々が知覚として分類している活動も記憶であるということから理解する必要がある。 知覚というのは外界からの物理的かつ化学的な刺激を認識することであるが、光、音、温度、化学物質から受ける刺激をまず「記憶」する必要がある。そして記憶され内在化された物理的化学的刺激と同じ刺激があったときに、知覚されることになる。 知覚は、運動系と直結している。知覚は、運動を促すからである。認知活動の無い物質同士の接触の場合、物質自体が持つ物理的かつ化学的な属性が、物質同士の「コミュニケーション」の展開を決めるが、認知主体は、自分が記憶している対象を認識して、それに対して選択的な行動をとることができる。基本的な行動としては、光や酸素から「逃避」する行動をとることが挙げられる。 ここでいう「選択的」というのを「離散的」と表現することを考えている。まず最初は、「動かない/動く」という二者択一であるが、実際は選択肢は一つだけである。記憶した物理的刺激の量をあるレベルを超える超えないかが行動を起こすための基準である。つまり「オール・オア・ナッシング」であり、離散的であると表現が可能である。 認知活動というのは、単なる「知覚をうけての反射」ではない。行動を起こした後の結果がフィードバックされ、知覚と一緒に記憶されるのである。これが「離散化の結果として生じた行動が、再び融合され知覚記憶が更新」されることだと考える。 これにより、それ以降に、同じ量の物理的刺激が認識された場合、前に取った行動が、自分に快い結果をもたらしたのであれば、当初プログラムされた行動を積極的に取ることになり、不快な結果をもたらした場合、その行動を取ることを躊躇することになる。 行動による結果の知覚により「融合更新」された知覚記憶は、同じ知覚を受けて行動を起こす度に更新され、次に同じ知覚をした場合に、離散化としての行動をとる際の基準として使われる。この知覚記憶も、一つの知覚情報だけでなく、複数の知覚を統合することにより、様々なパターンの知覚記憶が可能になるはずである。従って「同じ知覚」でも、別の知覚情報による「差」が認められる場合、どの行動を取るかの判断基準として機能する。 これを相互すると、認知主体の意識の中では、過去の記憶と現在の知覚記憶との差を利用して、離散化反射としての行動を取るために「思考」していることになる。そして、行動がもたらした結果は知覚記憶を更新し、同時に蓄積することで、その主体の生存のための「意味ある行動」が洗練されていくようになる。これが人間の考える「知性」あるいは「知能」である。 ただし、この段階では、知覚記憶は更新され蓄積されていくが、それは行動(離散的反射)をとるための基準として利用されるだけである。認知主体における「思考」というのは、次にどういう行動を起こすかの判断をしているだけであるが、言語主体も、この認知活動を基本としているということをきちんと押さえておく必要がある。 人間の意識の中で次に何が起きるかについては、後程。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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