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普通「記憶」を図式化しようとすると、
・記憶し、それを喚起する主体 ・記憶され、喚起される客体 ・記憶された瞬間と喚起される瞬間の間に生じる時間差、を挙げる事が出来る。 これは、我々、人間の視点であるが、人間の存在が無くても、記憶と言うメカニズムは存在すると、私は考えている。 記憶と言うのは何らかの存在を記録し、時間の経過後に、その記録を喚起し、その何かの存在を今、再現する操作である。 これは時間差で再現される何かの存在の、過去と現在の間の同一性を前提にしているが、時間が経過しても変わらない同一性を保証するメカニズムに関しては殆ど全く問題にされない。 私は逆に、時間は最初から存在せず、一旦記録された存在を、呼び出して再生する記憶喚起と言う操作が、過去と現在を貫く時間軸を生み出していると考える。 記録された存在は、記録された元の存在のコピーであり、記録されてから喚起され再生された存在も、同様に元の存在のコピーでしかない。 この「存在を複写し、保存し、喚起し、再生する為のメカニズム」とは一体、何なんだろうか。 人間の視点から記憶を見ると、これを可能にしているのは知覚。 知覚は、元々は外界から来る物理化学的な刺激を受ける事で実現されるが、記憶され喚起されるのは刺激ではなく実現された知覚自体である。 今現在、知覚したものと記憶喚起したものを同一視出来ると言う事は、知覚自体が記憶のメカニズムの一部であると言う見方も可能である。 知覚と言うのは、生物的な主体の認知行動と言う枠組みで考えた場合で出てくる行為である。 しかし、元々記憶自体が自らの主体であるとすると話が変わって来る。 私は、記憶と言うのは、存在と同義であると考えている。 存在とは、一般的に時間の流れに抗って自己同一性が維持されるものであるが、記憶と言うのは、自己のコピーを作り、それを喚起して融合して、再び一つの自己として更新されたものを再生する操作であり、この操作が時間軸を生み出している。 この時間軸にはニ極性があるが、どちらが過去で、どちらが未来と言うのは決まってはいない。 しかし、記憶自体が自己を更新した時に、前と後と言う前後関係が必然的に生じ、それが過去から未来へと時間が流れる時間軸になるのである。 そして、記憶が自己更新しながら蓄積して行く場が空間になる。 記憶と言うのは自らを分裂して主体と客体を作って、それを再融合させる事で自らを更新し続ける事で、存在の維持、更に進化を図る。 記憶が自己を分裂させる時、それは意識になる。 自己が更新される循環サイクルに乗る事で自己意識が維持される。 意識が時間を紡ぎ、記憶が刻む空間が生まれる。 主体/客体と言う構図は、意識/記憶によって作られる。 私は以前から「人間の視点を捨てて、記憶の視点に立つ事で、この宇宙の摂理を理解できる」と主張しているが、今は、記憶だけでなく意識もその一部であると理解した。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.04.15 02:16:24
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