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カテゴリ:新ソシュール記号学
私はスピリチュアルな人間ではない。
オカルトには子供の頃から興味があって、今でも好きだが、だからといって全てを信じている訳ではない。 そんな私でも一つだけ信じていることがある。 それは、この宇宙を生んだのは「自分を知りたい」と誰か/何かが望んだからという事である。 しかし、私の「スピリチュアル」は、ここで終わり、そこからは全て科学で説明できると私は考えている。 「自分を知りたいという意識」を説明する事は、私にはできないが、それが全ての出発点である。 ただ、私は意識を研究対象とはしない。 私が研究するのは、意識と表裏一体の記憶である。 この記憶というのが、なかなか持って厄介である。 「時間の流れに抗って自己同一性を維持するもの」が、今の精一杯の定義であるが、私の考える記憶というのは、それ自体が主体であるという所が、一番わかりにくいところだと思う。 また、意識と記憶は循環サイクルによって進化している。 何かが「自分を知りたい」と思ったことが、どうして宇宙の誕生に繋がったのかだが、これは先ず、その何かが、そう思った理由を考える必要がある。 それは、その何かが、唯一で全てのものであったから。 そして自分を知るためには、他者が必要になる。 ではどうやって「他者」を作ったのか。 いや、その前に「自分を知りたいと思った唯一で全ての何か」について考察してみたい。 私は、これは「混沌」で、混沌の反意語は「離散」であると私は考えている。 混沌は「無」ではない。 それは単に自己同一性が維持できない状態であって、そこには動きさえあると私は考えている。 混沌というのは、互いにアナログに相似してはいるが、其々がデジタルに自分の存在を確認できない状態の事。 この場合、デジタル、つまり離散的というのは連続的とは必ずしも対義関係には無い。 アナログというのは、相似しているから互いに共通部分はある筈なのだが、それはデジタルではない。 々がアナログという場合、そのベースには例えば時間軸といった次元が存在する。 針を使って示す時計も、時計版という空間があるからこそ時間軸を空間軸に置き換えている事になる。 だから宇宙という時空間が存在しない状態で、アナログの関係にあるもの蓄積が混沌を作るというのが説明できない。 似たようなものが蓄積しても、そこからデジタルなものが生まれ無ければ、そこには、何も存在出来ない。 混沌から離散化によって、自己同一性を維持できる循環サイクルが誕生する事で、そこに存在を支える記憶と言う時空間が生まれることになる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.02.07 22:35:45
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