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カテゴリ:記憶言語学
昔、哲学の学生に「哲学は思想史だよ」と言われた事がある。
当時は、まだ哲学という学問に対して社会的な価値を見ていたので、この一言は衝撃だった。 哲学をする場合、古代ギリシャの哲学者アリストテレスとかプラトンから始める事になるが、そうすると「哲学は思想史」というのは十分理解可能だと思う。 さっきの哲学の学生はフランス人だったが、フランスでは面白いことに「Philosophe(哲学者)」というのは、一つの職業である。 ネットで、哲学のこんな定義を見つけた。 「反省すること、哲学の原理に従って推論すること、物事の深い理由を追求すること、人間存在の意味を考えること。」 多分、フランスでは、最後の「人間存在の意味を考えること」に大きな重要性が与えられていて、フランス社会において、誰かが代わりに考察をしてくれることが必要なのだろう。 フランスには、世界的に有名な哲学者が多く存在するし、フランスだけでなく世界でも、そういうニーズがあるのだと思う。 哲学の目的の一つの「人間存在の意味の考察」だが、言語の真のメカニズムである「離散分裂(再)融合更新循環サイクル」を理解する事で自ずと理解出来る。 これはスイスの言語学者ソシュールが、記号学で明らかにしようとしたテーマでもある。 人類の個体であるヒトは、言語によって「人間」になる。 しかし、言語学者が言語の意味の考察を放棄してから久しい。 言語学の考察が、意味抜きで成立して来たと言う事実は恐ろしいと思う。 言語学者は、今後、言語の意味の解明に再び挑戦するのだろうか。 それとも、それは「言語の哲学者」の仕事になるのだろうか。 今のままでは、どちらも無理だと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.04.16 21:43:10
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