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カテゴリ:愉快なサラリーマン時代(20代)
思いで次いでにもう一つ印象に残っている話を。建築金物建材メーカーの営業マンだった30年近く前は、まだホームセンターという小売業態が新しく、右肩上がりの業界だった頃、従来のルートでは「金物問屋」を通して、ホームセンターに商品を供給していました。
会社としては総売り上げを伸ばすために、従来の金物ルート以外の販路も探れという事で、「新規開拓」に躍起なっていました。 その先鋒として何も知らない新人の私に過大なプレッシャーが掛けられていましたので、新規開拓の一つとして、金物業界とは違った上場企業の「工具商社」を選び、毎日「夜討ち朝駆け」のセールスを仕掛けていました。 工具商社の方も、従来の工具問屋売りだけでは頭打ちで、ホームセンターという新しい小売り業態への直販を、新たに別の販売部隊を作ってまでして模索している所で、正に双方のニーズがドンピシャだった事も後に幸いしました。 朝一番に行くために、自社の朝礼も辞し(査定がダウンしますが)、夜も裏口から入って熱心にしていたのですが、半年経っても取引に結び付きませんでした。思い悩んだ末「戦法」を変えることにして、自社の社長が書いた書物を持参し、商社の社長にこの本を自ら手渡す事を思いつき、直談判する事にしました。 幸い案外スムーズに社長に会う事が出来、必死にセールストークした結果(上場企業の社長に営業という事で、口から心臓が飛び出しそうでしたが、、、苦笑)、その場で営業部長に指示し、直ぐに取引出来るようになり、工具ルートという新たな販路を開拓する事が出来ました。(自社の社長をダシにしたのが、功を奏した?) この一件で、物品販売の「売る側の見方を変える」重要性を強く感じましたし、業界が違うとここまで違うのかと思うほど、一流工具商社の営業マンの「販売力」には舌を巻きました。 また、一流会社との取引がこれ程大変とは思いませんでしたし、親父の小さな織物工場が一流総合商社と4,50年も100%取引している事実に、驚きと改めて尊敬をしたものでした。 また、その頃東急ハンズの江坂店が関西初出店という事で、自社商品が問屋経由で納入される一方、直接の取引口座を開設して頂き、新商品の開発を共同でする事にしました。これは売る側一辺倒の考え方だけではなく、エンドユーザー(消費者側)のニーズをメーカー側に出来るだけ早く「フィードバック」を目的としたものでした。(今で言うSPA製造小売りの考え方に近い) こうなると毎日の仕事が楽しくて仕方がなかったのを思い出します。毎晩帰宅が10時、11時でしたし、早朝5時には起きて家業の織物業の手伝いをしてから出勤していましたが、何の苦も感じませんでした(家に殆ど居ませんでしたので、唯一子供が全くなつかなかったのが辛かったですが)。まだ20代だったからできたのでしょうね、今はトテモトテモ出来ません(笑)。 ※日本最安値!(年平均2回の利用で、近くにある必要はない) トランクルーム貝塚 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.02.10 17:43:49
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