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先日本棚を整理していたら、昔のウインドサーフィンのマスコミ等に掲載された記事等のファイルが出てきました
当時の学連加盟のクラブを創った事、特許問題で業界がゴタゴタした事、志向の問題でクラブ分裂しかけた事、レースのスポンサー探しに奔走した事、ヨットレースの戦術集を貪り読んだ事、初めて目の前でジャンプしたボードを見て腰を抜かした事、顧問の教授にゴマをすった事、日本は1社独占の特許があった為情報不足で紀伊国屋の洋書コーナーでヨーロッパの雑誌を貪り読んだ事、オリンピック艇種問題で業界に激震が走った事、そして遭難で何回も死にかけた事(笑)、、、、など懐かしく、今思えば楽しかったイロンナ思い出が頭の中を駆け巡ります ↑1981年全日本のスタート直後、右端に写っています この頃レースは「体重別」で、ライトクラスでした。(今だったらミディアムクラスか?) ↑クウオーターで、ダガーボードを抜いて肩に引っ掛けている・・・・・これがたまに落とすのです・・・泳いで取りに行って、みんなに抜かれる・・・・・ ↑まるで船底のような「ラウインドボトム艇(死語?)」、その昔この様な「ディビジョン2」というカテゴリーがありました。 ↑木のブーム、木を曲げてインとアウトを紐で結んでいました・・・・とにかく重たかった・・・・たまにポキッと折れるし・・・・ ↑特許の関係で80年代前半までは日本では1艇種しか選べなかったが、ヨーロッパ(特にフランス)では特許そのものが存在しなかったので、200種類以上から自由に選べた・・・・・この恐ろしい差は・・・ ↑特許で、愛好者も業界も振り回されました・・・・ゴタゴタしている間に、ウインドサーフィンブームも去ってしまいました・・・・残念無念・・ ↑大学クラブの、Tシャツのロゴのデザイン ※日本最安値!(年平均2回の利用で、近くにある必要はない) トランクルーム貝塚 ※貝塚市の不動産情報の総合サイト 貝塚不動産.com にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.01.14 12:01:51
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