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HIRO.F's Scrawl

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Apr 8, 2016
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カテゴリ:カテゴリ未分類
当時、野球部で仲が良かったやつが、岡田有希子のことが、ものすごく好きで
私は、南野陽子と本田美奈子が好きでした。。。


本田美奈子さん、菊地 陽子さんの事を思うと。。。自らの命を絶ってはいけません。。。。

生きたい!強く願っても生きられなかった人たちのことを思うと。。。

生きなければいけません。。。

Jul 6, 2010 同窓会 (2)


岡田有希子、没後30年 南野陽子が「“ゴミ箱”が私だった」と思い出語る〈週刊朝日〉
dot. 4月8日(金)7時8分配信

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岡田有希子が眠るお墓(撮影/柳川悠二)
 伝説のアイドル・岡田有希子が旅立ってから、4月8日でちょうど30年となる。少しウェーブのかかった髪と笑顔からのぞく白い歯、そしてキラキラ輝く大きな目──。アイドル史に瑞々しい記憶を残し、語り継がれるユッコ。彼女はなぜ、今なお愛され続けるのか。(文中敬称略)

 ポニーキャニオンの名プロデューサーだった故・渡辺有三の指示のもと、著名なアレンジャーも交えて進んだ岡田のプロジェクトは、作詞家・作曲家としては駆けだしに近かった竹内まりやにとっても貴重な体験だった。

「後年、有三さんとお会いするたびに、有希子ちゃんとのレコーディングの思い出話をしていました。私が彼女のデビュー3部作をセルフカバーする日を楽しみにしてくださっていた。いつか実現させたいと思っている今日この頃です」

 岡田は84年のレコード大賞で、最優秀新人賞を受賞した。同賞を争ったひとりに、岡田と同じ4月にソロデビューした1歳下の荻野目洋子がいる。彼女が眠っている成満寺(愛知県愛西市)の住職は、成満寺でたびたび荻野目の姿を目撃し、ある時、彼女がアメリカのお土産として一冊のノートと鉛筆を納骨堂に残していったことを覚えていた。一見、どこにでもあるノートだったが、目立たないように後ろから数枚目に荻野目自作の詩と、サインが書かれていた。そのエピソードを荻野目にぶつけた。

「当時、私自身も彼女の死を受け止めきれてはいなかった。心にぽっかり穴が開いたような……。詩については覚えていません。たぶん、その時の私にはそういう形でしか感情をうまく表現できなかったんだと思います。今ならブログやツイッターにその気持ちを書いたんでしょうが。強い精神力と少女の魅力を併せ持った歌手でした」

 岡田と同年齢のアイドルで、堀越でもクラスメートだったのが南野陽子だ。南野は、デビュー直前の高校2年生の3学期に堀越に転校した。岡田は、既にヒット曲を飛ばしていた大先輩だった。

「学校で顔を合わせる機会というのは、実は少なかったんだけど、お互いに忙しかった卒業の年(86年)の2月、二人して出席日数が足りず、学校で机を並べて自習していたことがありました。その時に『ナンノちゃんはこれからどうしたいの?』とか、『ドラマの撮影っていうのはね……』とか、そんな話をいっぱいしてくれました。それはね、彼女が姉さん肌だったとか、世話焼きだったとかいうのではなく、彼女が抱え込んでいたものをはき出すための、“ゴミ箱”が私だったんだと思う。仕事現場に行けばたくさんの方に囲まれるけれども、年配の方も多く、本音で会話できる仲間って少ないんです」

 死の直後、岡田が死を選ぶにいたった真相を巡り、様々な臆測報道が流れた。

「堀越の同級生とは今でも集まるし、ユッコの話もしますが、自殺の真相みたいな話はしません。みんなそれぞれに何度も振り返って、分析したはずだけど、どれが本当の理由かわからないし。ただ、世の中で言われているようなこととは違うなって思ったりします」

 同時代を生きたアイドルとして、死後30年が経っても岡田がファンに愛される理由を、南野は次のように考察する。

「アイドルとしての彼女が裏切ることがないからじゃないかな。劣化したなって思われることもないし、誰かのお嫁さんになったわけでもないし……彼女が変わらないでいてくれるからこそ、愛され続けるのだと思います」

 3年という短い時を駆け抜けた岡田は、自ら死を選ぶことで永久のアイドルとなった。

※週刊朝日 2016年4月15日号より抜粋


竹内まりやも「希有な存在」と評す 没後30年、岡田有希子とは何だったのか

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今なおファンが大切に保管するグッズの数々(撮影/写真部・長谷川唯)



 1984年のデビューからわずか3年の活動期間で絶大な人気を誇り、そして突然に自死したアイドル・岡田有希子(没年齢18、本名・佐藤佳代)──。3月のある週末、彼女が眠っている成満寺(愛知県愛西市)を訪ねると、彼女の墓石だけたくさんの供花に囲まれていた。同寺の住職は言う。(文中敬称略)

「この30年間、彼女のお墓だけは一度も花を枯らしたことがありません。毎日のようにファンがいらっしゃいますし、今日も彼女に宛てた手紙を送ってきた方がいました」

 86年4月8日の正午過ぎ、彼女は所属していたサンミュージックが入居していたビルの屋上から飛び降りた。後追い自殺する熱狂的ファンが相次ぎ、それは「ユッコシンドローム」と呼ばれた。

「うちのお寺にお参りに来たファンの方の遺体が、数日後に木曽川で発見されたこともありました。のちに遺族がみえて、『どうしてひとりのアイドルのために死ななあかんの?』と泣きつかれました。お気の毒で、悲しい出来事でした」

 ファンの間で佳桜忌と呼ばれる毎年の命日には自殺の現場となった東京・四谷のビルの前で献花と黙祷をし、当日のうちに有志が花をまとめ、新幹線に乗って成満寺まで運ぶ。彼らの到着を待って、住職がお経をあげ、法話をするのが佳桜忌の慣例となっている。


愛知県に生まれた岡田は、絵を描くことが大好きな少女だった。いつしかアイドルを夢見るようになり、83年のテレビ番組「スター誕生!」決戦大会に合格。その後、入学間もない名古屋市立向陽高校から東京の堀越高校に転校し、アイドルとしての活動を開始する。

 サンミュージックの相澤秀禎社長(当時、故人)宅に寄宿し、念願の歌手デビューを果たしたのは84年4月。デビュー曲「ファースト・デイト」の作詞・作曲は、82年の山下達郎との結婚後、楽曲提供に力を注ぐようになっていた竹内まりやであった。竹内にとって、「アイドルらしいアイドル」が岡田に対する第一印象だった。

「スタジオでお会いした時に、お礼が書かれた直筆イラスト入りカードをもらって、すごく嬉しかった。アイドルを夢見て頑張ってきたという真っ直ぐさを内に秘めていて、こちらのディレクションに従ってしっかり歌おうとする姿が印象に残っています」

 キラキラするような、瑞々しい存在感に加え、哀愁を帯びたメロディーにも似合う声質だったために、岡田への楽曲提供は作りがいがあったという。

「あの時代、単純にヒット曲の数や売上枚数でいったら、彼女を上回っていたアイドルはいたと思います。しかし爽やかに登場したあと、活躍の場を広げようとしている最中、たったの3年で姿を消した歌手は日本の歌謡史上でもいません。ファンに夢を運び、純粋にアイドルを応援する喜びもファンに与えましたが、同時にアイドルがアイドルでいることの難しさや孤独を投げかけた。いなくなってさらに存在が大きくなった希有な存在だと思います」

※週刊朝日  2016年4月15日号より抜粋





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Last updated  Apr 8, 2016 05:16:33 PM
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