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日本人が上位独占!!!
3位も日本人の母親を持つ宮崎県生まれで育ちのスカイ・ブラウン すごい!!!おめでとう!!! スケボー四十住さくら金メダル!女子パーク「満開の桜咲かせる」有言実行 [2021年8月4日14時14分] ![]() スケートボード女子パーク決勝 金メダルの四十住は笑顔でピース(撮影・鈴木みどり) <東京オリンピック(五輪):スケートボード>◇4日◇パーク女子◇有明アーバンスポーツパーク 日本勢がワンツーフィニッシュした。予選4位の四十住(よそずみ)さくら(19=ベンヌ)が、決勝で60・09の最高スコアをマークして金メダルを獲得した。予選3位で開心那(12=ここな、=WHYDAH GROUP)が59・04で銀メダル。12歳11か月でのメダル獲得で、今大会のストリート女子金メダリストの西矢椛(13歳10か月)を抜き、日本人史上最年少メダリストになった。予選1位の岡本碧優(みすぐ、15=MKグループ)は53・58で4位となり、惜しくも日本勢の表彰台独占を逃した。日本人の母親と英国人の父親を持ち、宮崎県で生まれ育った13歳のスカイ・ブラウン(13=英国)が56・47で銅メダルを獲得した。 ◇ ◇ ◇ 予選4位通過の四十住が金メダルに輝いた。大会前には「東京で満開の桜を咲かせます」と宣言。言葉通りの華麗な滑りで、表彰台に立った。 「スケボーのイメージはヤンキーとか、悪いイメージが多いけれど、真剣に世界を目指してやっているというのと『楽しい』っていうのを見せたいです」 四十住は心からスケートボードを楽しんでいる。競技との出会いは今から8年前、小6の時だった。地元和歌山・岩出市の自宅前で、13歳上の兄麗以八(れいや)さんにボードを譲ってもらった。きょうだいで年齢差があり、最初は一緒に遊んでほしい一心だった。ほどなくすると「自分がスケボーの楽しさをわかり、今度はお兄ちゃんなしでスケボーをやりたくなった」とのめりこんでいった。 中学生になると毎朝6時半に起き、7時から30分間、自宅前で滑った。誰に言われた訳でもない。「お兄ちゃんが『うるさいからやめろ』っているんですけれどね」。夕方に学校から戻ると、塾に行き、夜は遠方のパークで滑った。 「スケボーを嫌いになったことはないです。楽しさしかない。楽しくなかったら、多分ここまで続いていないと思います」 中学3年の夏に東京五輪追加種目入りが決定。競技会が増え、日本代表として遠征も始まった。それでも変わらないのは「楽しい」「好き」という気持ちだ。 普段は1日7時間かけて、スケートボードに向き合う。20年秋には自宅から5分の場所に専用練習場「サクラパーク」が誕生。1915年(大4)に創業した、地元岩出市にある老舗酒造会社「吉村秀雄商店」が、精米機を設置していた倉庫を無償提供してくれた。 「1人では無理なんです。家族だけでも無理だし、やっぱりみんなの協力があったから、ここまで来られました。『これ以上滑れない』というぐらい滑ってきた。結果だけを見ていたら、絶対に(成功に)つながらないと思う。だから練習。やったら後悔もないし、結果もついてくると思う」 何度も体を打ち付け、それでも「嫌いになったことはない」と断言したスケートボード。大好きな人たちに支えられ、大好きな競技で、真夏の東京に桜を咲かせた。 スケボー開心那12歳銀メダル「すごく楽しかった」西矢椛抜き日本人最年少 [2021年8月4日13時17分] ![]() スケートボード・女子パークで金メダルの四十住(右)と銀メダルの開は、日の丸を手に笑顔を見せる スケートボード・女子パークで1本目の演技をする開スケートボード女子パーク予選 1本目を滑る開(撮影・鈴木みどり)スケートボード・女子パーク決勝で演技をする開スケートボード女子パーク予選 1本目の滑りを終え笑顔の開(撮影・鈴木みどり)スケートボード 女子パーク決勝 金メダルの四十住(右)と銀メダルの開は日の丸を背負う(撮影・鈴木みどり)スケートボード女子パーク決勝 金メダルを手に笑顔の四十住(中央)。左は銀メダルの開、右は銅メダルのブラウン(撮影・鈴木みどり)スケートボード・女子パークで金メダルの四十住(右)と銀メダルの開は、笑顔を見せる東京五輪 日本のメダル一覧スケートボード・女子パーク 開心那銀メダル女子パーク予選 演技する開心那(共同)女子パーク予選 演技する開心那(共同)練習する女子パークの開心那(共同) <東京オリンピック(五輪):スケートボード>◇4日◇パーク女子決勝◇有明アーバンスポーツパーク 日本勢がワンツーフィニッシュした。予選4位の四十住(よそずみ)さくら(19=ベンヌ)が、決勝で60・09の最高スコアをマークして金メダルを獲得した。予選3位で開心那(12=ここな、=WHYDAH GROUP)が59・04で銀メダル。12歳11カ月でのメダル獲得で、今大会のストリート女子金メダリストの西矢椛(13歳10カ月)を抜き、日本人史上最年少メダリストになった。予選1位の岡本碧優(みすぐ、15=MKグループ)は53・58で4位となり、惜しくも日本勢の表彰台独占を逃した。日本人の母親と英国人の父親を持ち、宮崎県で生まれ育った13歳のスカイ・ブラウン(13=英国)が56・47で銅メダルを獲得した。 ◇ ◇ ◇ 12歳の開心那が、銀メダルを獲得した。12歳11カ月のメダル獲得はストリート女子の西矢椛(13歳10カ月)を抜き、日本人史上最年少記録を更新。日本勢の夏季オリンピック(五輪)最年少出場記録を塗り替える快挙とともに、偉業を成し遂げた。 1回目の試技で全体2位に立ち、2回目でさらなる高得点を出した。持ち前の高いエアで難易度の高いトリックを繰り出し、ノーミスで演技を終了。59・04点でトップの四十住を猛追した。「予選よりも滑りのレベルを上げられた」と会心の出来だった。 12歳11カ月で出場した初めての五輪。68年メキシコの競泳に13歳6カ月で出場した竹本ゆかりの記録を抜き、日本人で最も若くに夏季五輪の舞台に立った選手として名を刻んだ。さらに日本人史上最年少で銀メダルを獲得。一度に2つの記録を塗り替えたが、本人は「すごく楽しかったです」。周囲の期待や重圧なぞ全く気にすることなく、普段通りのライディングを見せた。 競技に出会ったのは幼稚園児だった5歳。スケートボードを見るのが好きだった母が「家族で一緒にできるスポーツをさせたかった」のがきっかけで、苫小牧市内の練習場に通い始めると「新しい技ができるようになったとき、誰かと一緒に滑ると楽しい」(開)と夢中になった。指導者はいない。小さなスケーターは先輩ボーダーを手本に新技を覚え技術を磨いてきた。 かつて自分の目標について、「世界で活躍できるかっこいいスケートボーダーになりたい」。目を輝かせ無邪気に話していた天才少女は、真夏の東京で大きな偉業を成し遂げた。 ◆開心那(ひらき・ここな)2008年(平20)8月26日生まれ、北海道苫小牧市出身。5歳で競技を始めた。日本選手権は18年4位、19年優勝。21年5月の五輪予選最終戦デューツアーは5位。趣味は絵を描くこと。得意科目は図工で上海の大会に出場した経験から、授業では針金で上海タワーを作った。好物はカレーうどんとカレーラーメン。名前の由来は南国好きの母が「ココナッツ」から付けた。146センチ、34キロ。家族は両親と弟。血液型はO。 スケボー岡本碧優、涙の4位「とても悔しい」逆転狙うも最後に着地失敗 [2021年8月4日13時15分] ![]() 女子パーク決勝 演技する岡本碧優(共同) <東京オリンピック(五輪):スケートボード>◇4日◇パーク女子決勝◇有明アーバンスポーツパーク 日本勢がワンツーフィニッシュした。予選4位の四十住(よそずみ)さくら(19=ベンヌ)が、決勝で60・09の最高スコアをマークして金メダルを獲得した。予選3位で開心那(12=ここな、=WHYDAH GROUP)が59・04で銀メダル。12歳11か月でのメダル獲得で、今大会のストリート女子金メダリストの西矢椛(13歳10か月)を抜き、日本人史上最年少メダリストになった。予選1位の岡本碧優(みすぐ、15=MKグループ)は53・58で4位となり、惜しくも日本勢の表彰台独占を逃した。日本人の母親と英国人の父親を持ち、宮崎県で生まれ育った13歳のスカイ・ブラウン(13=英国)が56・47で銅メダルを獲得した。 ◇ ◇ ◇ 五輪予選ランキング1位の岡本碧優は53・58点で4位だった。逆転を狙った最後の試技では大技「540」を決めるも、空中でボードを1回転させる「フリップインディ」に挑戦し着地に失敗。演技終了後には涙を見せて悔しさを浮かべた。その姿に、他のスケーターたちが歩み寄り、健闘をたたえた。 「最後のフリップインディが乗れなくて、とても悔しいです」。他のスケーターたちから健闘をたたえられたことには「とてもうれしかったです」と感謝した。初めての五輪については「とても大きい舞台でしたが、他の世界大会と同じくらい緊張しました」。終始、泣きながら試合を振り返った。 大会が1年延期したことに影響を受けてしまったと明かした。「コロナで1年延期になった時、自分の気持ちに負けて、だらだらしてしまった部分がすごく大きくて。それが今回にもつながったんだと、コーチにも言われて。自分もそう思っています。そこを埋められるように、もっとちゃんと練習を頑張ろうと思いました」。 今後については「みんなにあこがれてもらったり、応援してもらったりとか、好かれる選手になりたいです」と前向きに話した。 遊びの中で育まれた自由さが売りのスケートボードにおいて、岡本の競技への取り組み方は異質だ。兄の影響で小2で始め、小6の冬に大きな決断をした。パーク男子の笹岡建介(22=MKグループ)の実家に下宿することを選んだ。 兼ねてスクールで教わっていた縁で、弟子入りを懇願。岡本は「世界で活躍できる選手になりたくて。私も親もあまりスケートボード知らないけど、笹岡家に行けばみんな知っていたから」と話す。笹岡家と交わした下宿の条件は、当時女性選手では誰も決めたことなかった「540」を小学校卒業までに成功すること。それを見事クリア。大技を持って国際大会に臨み、延期前の五輪選考を兼ねた大会では4連勝した。 波に乗っていた矢先、新型コロナウイルスの影響で大会が1年延期になった。岡本は「モチベーションが下がり、コーチの言うことを聞けなかった。怖い技や痛い思いをしたくないと思いました」。目標を失い練習の身が入らなかった。 五輪選考最終戦の「デューツアー」ではライバルの四十住や英国のスカイ・ブラウンに自分の代名詞だった「540」を決められた。差が縮まった。認めざるをない状況で、それまで抱いていた慢心は消えた。 この日の予選では3回の試技でいずれも「540」決め、全体トップ通過。ノーミスで決勝に進んだ。決勝でも世界女王は逆転を狙って、難易度の高いトリックを次々と成功させたが、表彰台には一歩届かなかった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Aug 9, 2021 01:11:58 PM
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