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カテゴリ:Car/Bike/Tool
97歳ですか。。。
日本の車業界を、ここまでにした方ですね。。。 名古屋大学工学部機械工学科在学中は自動車同好会を設立し、仲間とともにダッジ・ブラザーズの中古車で知多半島などのドライブを楽しんだ。 根っからの自動車好きであり、家には外国車を含む様々な車を乗って帰ってきて、時々息子の豊田章男を乗せてドライブやサーキットに連れて行った。また父の従弟の英二同様、開発テストにもちょくちょく顔を出してテストドライブをしており、ドライバーとしての腕と感性は成瀬弘も高く評価していたとされる。 このエピソードが、最近の社長まで引き継がれた車好きという歴史で良いですね 御冥福を、お祈りいたします。 生い立ち 愛知県名古屋市白壁町生まれ。ソニー創業者の盛田昭夫が近所に住んでいた。愛知県第一師範学校附属小学校(現愛知教育大学附属名古屋小学校)を経て、1936年、父について東京市本郷区曙町(現本駒込)に転居し、本郷区立誠之小学校6年に編入。翌年旧制東京府立第一中学校(東京都立日比谷高等学校の前身)入学。父・喜一郎は多忙でほとんど家におらず、府立一中の入学式には、当時喜一郎宅に下宿していた豊田英二が、父兄代行として出席した。1938年に赤坂に転居[1]。 1942年(昭和17年)旧制中学を卒業して、旧制第一高等学校(東京大学教養学部の前身)理科甲類に進学するが、勤労奉仕のため三菱重工業工場や埼玉県での芋掘りに従事。徴兵検査で甲種合格となったものの、理系だったため徴兵延期され、1944年10月旧制名古屋帝国大学工学部機械科に入学。自動車工学が専門の小林明教授に師事し、1947年(昭和22年)9月に名古屋大学工学部機械工学科を卒業した。在学中は自動車同好会を設立し、仲間とともにダッジ・ブラザーズの中古車で知多半島などのドライブを楽しんだ。2002年に設立された名古屋大学全学同窓会では初代会長を務めた。 名古屋大学在学中は第二次世界大戦による混乱であまり勉強ができなかったため、父の勧めで、父の高校・大学の友人であった機械工学者抜山四郎が教授を務める東北大学工学部大学院に1947年、入学。仙台市北一番町の下宿から大学に通い、棚沢泰教授の研究室で高速液流微粒化の研究にあたった[2]。並行し、食料不足に対応するため親戚が始めた稚内の水産加工会社のちくわ・かまぼこ工場での作業に従事。1950年に名古屋に戻り、田辺平学・東京工業大学教授の特許を用いる住宅事業を、トヨタ自動車工業営繕課から独立させ、ユタカプレコン株式会社を設立。同年6月ユタカプレコンから改称した豊田コンクリート株式会社取締役、1956年10月から同社監査役[2]。 東北大学での研究をもとに、1955年に名古屋大学で「燃料噴射に関する研究」で工学博士の学位を取得[3]。なお、2006年4月チェコ工科大学名誉博士、2006年11月名古屋工業大学名誉博士、2007年4月早稲田大学名誉博士(Doctor of Laws)[4]。 豊田章一郎氏が死去、97歳…トヨタ自動車社長・経団連会長を歴任 2023/02/14 18:26 トヨタ自動車名誉会長で、元経団連会長の豊田章一郎(とよだ・しょういちろう)氏が14日、心不全で死去した。97歳だった。告別式は近親者のみで行う。後日、お別れの会を開く。喪主は長男で社長の章男氏。 トヨタ自動車の豊田章一郎名誉会長 豊田氏は愛知県出身。トヨタの創業者、豊田喜一郎氏の長男で、1952年にトヨタ自動車工業に取締役として入社した。82年にトヨタ自動車工業とトヨタ自動車販売が合併して現在のトヨタ自動車が誕生すると同時に社長に就任し、北米の現地生産を拡充するなど海外展開を進めた。トヨタが日本を代表する自動車メーカーに成長する基礎を固めた。 トヨタ社長として新型マーク2を発表する豊田章一郎氏(1988年8月24日) 92年に会長に就任してからは財界活動にも精力的に取り組み、94年5月から4年間経団連の会長を務めた。05年の愛知万博の誘致と開催にも尽力した。 02年に勲一等旭日大綬章、07年に桐花大綬章などを受章した。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Feb 15, 2023 05:35:27 PM
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