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カテゴリ:歴史・
2000年前の新羅建国勢力推定の墓地発掘
JUNE 19, 2010 08:11 東亜日報 韓国文化財保護財団は、「慶尚北道慶州市塔洞(キョンサンブクド・キョンジュシ・タプドン)の一戸建ての新築予定地で、1世紀頃の支配勢力の首長級の墓地と推定される木棺墓を確認した」と18日発表した。 ここでは漆塗りした木の鞘に挟んでおいた漆鞘銅剣(左側の点線)、漆鞘鉄剣(右側の点線)、鞘飾り(小さい写真)、青銅腕輪、遺体の顔を隠すための漆塗りの扇子、蛙文様の青銅ボタン、虎文様の腰紐などの遺物が出土した。 このため、この古墳の主が1世紀新羅の建国戦力である可能性が提起されている。 ※「2000年前の新羅建国勢力」・・・いくらなんでもひどい捏造。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85 「『『三国史記』の新羅本紀は「斯蘆国」の時代から含めて一貫した新羅の歴史としているが、史実性があるのは4世紀の第17代奈勿王以後であり、それ以前の個々の記事は伝説的なものであって史実性は低いとされる。 3世紀ごろ、半島南東部には辰韓十二国があり、その中に斯蘆国があった。辰韓の「辰」は斯蘆の頭音で、辰韓とは斯蘆国を中心とする韓の国々の意味と考えられている。新羅は、この斯蘆国が発展して基盤となって、周辺の小国を併せて発展していき、国家の態をなしたものと見られている。 『太平御覧』で引用する『秦書』には、377年に前秦に初めて新羅が朝貢したと記されており、382年には新羅王楼寒(ろうかん、ヌハン)の朝貢が行われ、その際に新羅の前身が辰韓の斯盧国であることを前秦に述べたとされる。この「楼寒」については王号の「麻立干」を表すものと見られ、該当する王が奈勿尼師今に比定されている。記述から奈勿尼師今の即位(356年)が新羅の実質上の建国年とも考えられている。 また、広開土王碑や中原高句麗碑により、時期によっては倭や高句麗によって一定の支配を受けていたことも明らかとなっている。 また、『梁書』新羅伝には「新羅者、其先本辰韓種也。其人雜有華夏、高麗、百濟之屬(新羅、その先祖は元の辰韓(秦の逃亡者)の苗裔である。そこの人々は華夏(漢族)、高句麗、百済に属す人々が雑居している)」という事から、雑多な系統の移民の聚落が散在する国家であったと考えられる。 中国政府のシンクタンクである中国社会科学院は、公式研究書で新羅に対して、「中国の秦の亡命者が樹立した政権」であり、「中国の藩属国として唐が管轄権を持っていた」と記述している[3] 。なお、『後漢書』辰韓伝[4]、『三国志』魏書辰韓伝[5]、『晋書』辰韓伝[6]によると、新羅は古くは辰韓=秦韓と呼ばれ、秦の始皇帝の労役から逃亡してきた秦人の国という(詳細は辰韓の項目を参照)。」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.06.20 15:24:40
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