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2010.11.28
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カテゴリ:歴史・
「17・18世紀の朝鮮は北東アジア経済のハブだった」

【新刊】崔光植ほか著『韓国の貿易の歴史』(チョンア出版社)

 襄陽・鰲山里や公州・下鳳里、洪川、議政府などでは黒曜石の遺物が相次いで発見された。

黒曜石は、ハンドアックスをはじめ各種石器を作りやすく、旧石器時代から人類が好んで使っていた素材だ。興味深いのは、かなり離れた4カ所で発見された黒曜石が、どれも同じ産地のものだったということだ。

当時、人類は同じ場所で採取した黒曜石を持って移動したのか。そうでなければ、どのようなルートでその黒曜石を手に入れたのか。

 本書では、崔光植(チェ・グァンシク)国立中央博物館館長をはじめとする韓国史の研究者が、韓国の歴史を「貿易」という観点から通史的に観察している。

先史時代から日本による植民地時代までに焦点を当て、分量はかなり多いが、「貿易」というキーワードを通じ韓国の歴史を振り返ることで、新たな面白みを見出せる一冊だ。

 教科書にも記されているように、衛満朝鮮、扶余、三韓など初期国家時代の主な交易品は、「鉄」と「馬」だった。

特に韓半島(朝鮮半島)南岸部では、三韓の鉄を中国や倭に輸出する交易ルートの中間拠点だった咸安・高城などから、貿易港として利用されていたことを示す証拠品が発見されている。

 三国時代を貿易という観点から見ると、何とも興味深い。漢四郡が撤収したことで、それまで楽浪郡と帯方郡が担ってきた国際貿易の中継を、漢江流域の百済が受け継ぐことになった。

海洋大国として浮上した百済は、中国-百済-伽耶-倭へとつながる海洋貿易網を構築した。

ところが、公開土王と長寿王の南下政策に押され、百済が錦江流域の熊津に遷都すると、国際貿易網も崩壊した。

中国の先進文物輸入ルートを失った倭は、対中直接貿易を試みた。3世紀以降、中国の史書に登場していなかった倭王の名前が、5世紀になって再び登場するようになった背景には、こうした事情がある。

「高句麗による漢城占領は、韓半島沿岸航路の交通阻害をあおり、北東アジアの国際貿易はさらに萎縮(いしゅく)した。これにより、一部の国家は莫大(ばくだい)な経済的損失を甘受せざるを得なくなり、反高句麗の世論が拡大していった」と本書は記している。

 新羅と渤海の対唐貿易競争で、まず優位に立ったのは渤海だった。渤海は長安に100回以上にわたって使節を派遣すると共に、馬や羊、人参、クマの皮などを輸出し、唐からは絹織物や金製品・銀製品などを持ち込んだ。

このように渤海の手中にあった対唐貿易の主導権を奪ったのは、張保皐(チャン・ボゴ)だった。張保皐は828年に清海鎮を設置した後、在唐新羅人社会-清海鎮-在日新羅人社会をつなぐ強力なネットワークを構築し、東アジア貿易の主導権を手にした。

 張保皐が殺害された後、韓民族の海上進出は一時低迷したが、高麗時代に再び復活した。

遼や金など韓半島北部を掌握した勢力により陸上ルートが妨げられたことを受け、高麗は中国大陸南部の宋との海上貿易を通じ、仏教の経典や儒教の書物など、貴重な文物を輸入した。

アラビア商人らも、中国と結ばれた海上ルートを経由して高麗にやって来た。しかし、元の干渉が始まったことで、高麗は朝貢国家となった。

元は高麗に多くの貢物を要求したが、これに対する回賜品は少なかったため、外交関係を利用して貿易するより、王室が直接貿易に介入して輸入を手掛けることも多かった。

 朝鮮は建国当初、「重農抑商」の方針を掲げていたが、海外との貿易はある程度維持した。特に、17世紀半ばから18世紀半ばにかけて、朝鮮人参や日本産の銀・中国産の絹の流通を中継する「北東アジア経済のハブ」だった、というのが本書の主張だ。

17世紀後半になると、清が日本と国交を樹立し、直接貿易に乗り出したため、朝鮮は打撃を受けた。

だが朝鮮の商人は、18世紀に「紅参」という新たな商品で、低迷していた国際貿易の突破口を開くという底力を見せた。

それでも朝鮮の政府は、開城商人を成長させることよりも、通訳官やソウルの商人といった既得権層の保護に力点を置いたため、貿易による収益は国富に転換されず、経済変動を引き出すことができなかった、と本書は指摘する。

 崔光植教授は、序論で「三方を海に囲まれている韓国は、昔から積極的な海上活動を行ってきた。このような海洋文化の伝統が、儒教や農耕文化、西欧近代文明の導入と共に記憶の果てに消えつつある。

かつて韓民族によって行われた貿易の歴史は、海洋文化の伝統と海外進出の座標を提示している」と記した。608ページ、2万8000ウォン(約2000円)。

金翰秀(キム・ハンス)記者

朝鮮日報/101128





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最終更新日  2010.11.29 19:18:45



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