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2011.04.01
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カテゴリ:歴史・
やはり中華の一部にはなれないウイグル人DNAに記録された蛮行の歴史

~中国株式会社の研究(104)

2011.04.01(Fri)  宮家 邦彦 JBプレス

前々回(「中国とモンゴル:中国を毛嫌いするモンゴル人」)のモンゴル人に続き、今回はウイグル人を取り上げる。

現在の中華人民共和国において彼らは「中華56民族」の1つである「ウイグル族」に分類されている(「中華民族」の歴史的経緯については、既に書いたので繰り返さない)。

 これに対し、世界ウイグル会議のラビア・カーディル議長は「私たちはウイグル人です。中国人ではありません。中国政府は私たちの母国を1949年に占領し、そのあと中国政府は私たちの母国の名を東トルキスタンから新疆に変えました」と述べている。

 また同議長は、「今日、もし東トルキスタンに行けば持てる者が漢族であり、持たざる者がウイグル人であることが昼と夜のごとく明確に分かります」とも述べている。中国政府と世界ウイグル会議の一体どちらが正しいのだろうか。これが今回のテーマである。

中国公式説明の嘘

 中国系の日本語ウェブサイトによれば、中国における「ウイグル族」の公式説明は一般に次のようなものらしい。ちょっと細かい歴史の話になるが、一生懸命勉強したので、暫くお付き合い願いたい。

(公式説明)

● ウイグル族は中国北西部の長い歴史を持つ民族の1つである。「ウイグル」とは「団結、連合」を意味する。人口は約721万人、大多数がイスラム教を信仰する。

● 主に新疆ウイグル自治区に分布し、天山以南の各オアシスに住んでいる人が多い。ウイグル語はアルタイ語系突厥語派に属し、アラビア文字を表音文字として使う。

● 祖先は紀元前3世紀以降中国北部に住んだ遊牧民族「丁零」、その後の「鉄勒」に遡る。「鉄勒」は西テュルク汗国の一部であり、7世紀には回?汗国を建国し、唐朝と友好を旨とした従属関係を結ぶ。

● 「回?」は後に「回鶻」と改称され、9世紀に新疆に移住して地元の各民族の住民と互いに融合し合い、次第にウイグル族に発展した。

(筆者解説)

 回?(ウイグル)が唐と「従属関係」を結んだとあるが、歴史書によれば、8世紀のモンゴル高原では東突厥を滅ぼした回?が回鶻可汗国を建て、唐朝とも友好関係を保ちながら、独自のシルクロード交易で大いに栄えたという。

 当時のウイグルが唐と「朝貢関係」にあったとしても、それはあくまで形式的なものだったに違いない。少なくとも、唐代に「ウイグル」が「唐」の支配下に置かれたことはないはずだ。

 また、公式説明では、回?が9世紀に「新疆に移住し、各民族と融合して、ウイグル族に発展した」とあるが、それも正確ではない。確かに、839年回鶻可汗国が滅びた頃、タリム盆地一帯が一時的、限定的に唐の領土であったことは事実のようだ。

 しかし、10世紀の「唐」滅亡後も、ウイグル人は甘州ウイグル王国、天山ウイグル王国を建てるなど独自性を保持した。

その後タリム盆地を中心に定住を始め、「中国化」ではなく、「テュルク化」を進めた人々(古代ウイグル人)が「現代ウイグル人」の祖である可能性が高いという。

 ちなみに、10世紀当時の彼らの宗教は仏教・マニ教だった。現在のようにイスラム教が広まったのは14世紀以降のことだ。ちょっと長くなったので、「ウイグル族」の公式説明に戻ろう。

(公式説明)

● 1955年10月1日に新疆ウイグル自治区が設置された。ウイグル族の人たちは主に農業に従事し、綿花、ブドウの栽培や園芸に長じ、経済の発展が速い。

● 国の力強いバックアップと援助の下で、ウイグル族と各民族の人たちは勤勉に働き、自治区の工業や農業および各分野は大発展を遂げた。

(筆者解説)

 天山ウイグル王国は12世紀に滅亡した。タリム盆地一帯はモンゴルの支配下に置かれ、「ウイグル」独立国家は消滅する。しかし、モンゴル時代に帝国の拡大を支えたのはウイグル人だったと言われる。

 様々な民族が交錯したタリム盆地一帯で、ウイグル人たちは多様な情報、文化、言語、知識を駆使し、小さいながらも独自のオアシス通商国家を維持していた。その豊富な経験がモンゴル人のユーラシア大陸全域への拡大を可能にしたのだそうだ。

 13世紀以降長くモンゴル系領主の支配を受けたタリム盆地一帯は、1759年に清朝の支配下に入った。この頃からウイグル人は、西の「ロシア」と東の「清朝」という2つの大帝国の狭間で数奇な運命に弄ばれるようになる。

 19世紀後半、タリム盆地一帯は一時清朝から離脱するが、まもなく清朝がこれを奪い返す。1884年には清朝が新疆省を設置し、この地域に対する支配を強化する。1912年の辛亥革命で清朝が倒れたが、タリム盆地一帯の支配権は中華民国に引き継がれた。

 その後の状況はよく知られている。1931年にタリム盆地一帯(この頃から「東トルキスタン」と呼ばれ始める)のイスラム教諸民族が中国の支配に抵抗して蜂起し、1933~34年には「第1次」東トルキスタン共和国が樹立された。古代ウイグルに肖ろうと、民族呼称も「ウイグル」に決まった。

 ところが、この動きにはソ連が介入し、第1次共和国は脆くも崩壊した。さらに、1944年には逆にソ連の後押しを得て「第2次」東トルキスタン共和国建国が宣言されたが、今度は建国直後の中華人民共和国によって粉砕された。大国とは実に身勝手なものである。

 当然のことながら、中国側の公式説明にこうした経緯は一切書かれていない。新疆ウイグル自治区での格差問題については既に書いた(「イスラムを敵に回してしまった中国」「衝突するイスラムと中国」)ので、ここでは繰り返さない。

なぜウイグル人が中華民族なのか

 こうしてみると、少なくとも古代ウイグル人は単なる遊牧民ではなく、様々な文化、言語、知識を自由自在に駆使できる極めて多彩で有能な集団であったことが分かる。このような人々が中国の漢民族を中心とする「中華民族」の一部に甘んじるとは到底思えない。

 古代ウイグル人と現代ウイグル人の間に文化的、言語的断絶があるとする説もないではないが、少なくとも現代ウイグル人が、18世紀に清朝がタリム盆地一帯を支配下に置くまでの数百年間、同地で独自の生活を維持してきたことだけは間違いなかろう。

 彼らは文化的にも、言語的にも、宗教的にも、中国文明とは全く異質の集団のようにも思える。だからこそ、中国政府はウイグル人が中華民族の一部である理由をもう少し丁寧に説明する必要があると思う。いずれにせよ、最終的な判断は読者各位にお任せしたい。





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最終更新日  2011.04.01 20:11:40



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