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カテゴリ:時事問題
おふたりの会見を、東京新聞の望月衣塑子記者が詳しく伝えています。 「その日の夜、ジャニー喜多川氏は5人を次々に襲った」…俳優服部吉次さんらが証言した70年前の性被害 ◆「楽しく優しいお兄さん」が一変した夜 50年のある日、ジャニー氏は、カーキ色の軍服姿で現れたことがあった。父良一氏は、彼を見ると「ヒー坊(ジャニー氏の愛称)!!」と喜んだという。ある時、トランプゲームで遅くなるとジャニー氏は「今日は泊まって行こうかな」と言ったら、母親が「よっちゃん(吉次さんの名)の部屋に泊まればいいわ」と言った。 ワシントンハイツからチョコレートやお菓子をたくさん持ってきてくれるジャニー氏は、吉次さんにとって「楽しく優しいお兄さん」だったのが、その夜、一変した。 パジャマに着替えるとジャニー氏は「肩をもんであげるよ」と言いはじめ、肩のマッサージから全身、手足と伸び、陰部を触ってきた。 その後も2年半ほどの間、週末に泊まりに来る度にジャニー氏は性加害を加えてきたといい、「100回程度は被害にあった」と語る。 53年の冬、ジャニー氏が作った少年野球団「東京ジャニーズ」のメンバー3人と、吉次さんの友達の松﨑基泰さん(79)ら3人の計6人で、スケートをするため服部家の軽井沢の別荘に泊まった。 その日の夜、ジャニー氏は、2段ベッドの野球チームのメンバーや松﨑さんら5人を次々に襲った。吉次さんは「あの時の異常な様子は忘れられない。彼は非常な合理主義者で使える特権を手にし、自由に処理したかった。(ジャニー氏を)ある種の星の下に産まれた天才という人もいるが、『才能があるから仕方ない』は大間違い。悪いことは悪い」。 吉次さんは「性加害が封印されてきたのは、日本の芸能界の体質。藤島ジュリー景子社長は『知らなかった』と言うが、少なくともメリー前社長は知っていたはずだ。日本の芸能、メディア、音楽業界全体の問題としてもっと深刻に皆が考えてほしい。報じないテレビは、共犯者にも見える。個人個人が『これでいいのか』と考えて欲しい。国がこの問題に、真正面から積極的に取り組まなければ、問題はかたづかない」と訴えた。
松崎さんは大学を卒業後、大手IT企業に勤務。大学院に進学した後、渡米してビジネスコンサルタントなどして40年間米国に滞在し、親族の介護のため3年半前に日本に帰国した。 告白にちゅうちょもあったが、国民栄誉賞を受賞した作曲家服部良一さんの次男で同級生の服部吉次さん(78)が、日刊ゲンダイに告白の記事を載せたのを機に声を挙げようと決意した。 松崎さんは、体が弱く小学校への入学が1年遅れた。一つ年下の服部さんと同級生で、小1から高校まで親しくしていたが、喜多川氏からの性加害を互いに話せたのは、20年前の同窓会の時だったという。 松崎さんは、小学校入学後から新宿区若松町の服部家に服部さんの母親から「遊びにおいで」と言われ、都電で遊びに行くようになった。ある日、服部家と食事をしながら、テレビでプロレスのシャープ兄弟の中継を見ていた。その時、服部家以外の人が松崎さんをじっーっと見つめていた。それがジャニー氏との最初の出会いだった。 2年生から親の許可を得て服部家に泊まりにいくと、必ずそこにジャニー氏もいた。帰る時になると、ジャニー氏から「車で送ってあげるよ」と言われ、服部家から世田谷区の松崎さん宅まで車で30分ほどだが、毎回送ってくれた。ジャニー氏は住んでいた進駐軍宿舎「ワシントンハイツ」にいつも寄り、チョコレートやジーンズなどを買い、手土産をたくさん持たせて自宅に送った。 ◆ズボンを脱がされ、手を入れられ、乗っかられ… しかし、送り届ける時は必ず自宅近くの人気の少ない路上に車を寄せ、ズボンを脱がし、松崎さんへの性加害を繰り返したという。 それが日常茶飯事で他にも「有島一郎氏の喜劇を観に行こう」「映画を観に行こう」「演劇を観に行こう」と、ジャニー氏が企画していろいろな所に連れて行ってくれたが、出かける度に映画館や舞台の観劇中にジャニー氏の手が服の上から入って来て、されるがままになっていたという。 松崎さんは「多い時は週に数回、計4、50回は被害を受けた。毎回、とても怖かったが、抵抗すると何をされるか分からない恐怖があり、逆らえなかった」と言う。
怒るお姉さんにジャニー氏は「何もやっていない」と否認を続け、結局、その後も別荘や服部家に出入りしていた。 出会った時は、ジャニー氏が野球少年団を立ち上げる直前で、ジャニー氏は「米極東司令部 ジャニーズ野球少年団 ジャニーH喜多川」と書かれた名刺を作っていた。チームは、彼が気に入った7歳ほどの少年を集め、ワシントンハイツのグラウンドで練習させていた。ジャニーズ事務所からデビューしたあおい輝彦さんもその後、参加した。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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