カテゴリ:航空事故
DHC-3をターボプロップ化および双発にしたもので、胴体はDHC-3と同等。 未整備の短い滑走路でも離着陸が可能なSTOL性の高い19人乗りコミューター機。 初飛行は1965年。 1988年までに総数844機が生産された。 オッターはカワウソ。 国内では、日本トランスオーシャン航空とエアーニッポンで計7機運航されていたが、エアー北海道で最後まで残っていた1機が2006年3月31日の運航を最後に引退。 日本の空からDHC-6が消えた。 DHC-6 全長:15.8m 全幅:19.8m 全高:5.7m 自重:2.86t エンジン:プラット・アンド・ホイットニー カナダ PT6A ターボプロップエンジン 652馬力 2基 航続距離:1,300km 離陸滑走距離:400m 1/100 日本エアコミューター DHC-8-Q400 エコ・ハッピーターン号[JALUX] ネパール山岳地帯で小型機墜落 22人全員が死亡 (2010年12月16日 ロイター) ネパールの首都カトマンズの空港当局は16日、同国東部の山岳地帯で小型機が墜落し、乗員乗客22人全員が死亡したと発表した。 墜落したのは地元の民間航空会社タラ航空が運航していた小型機。 東部ラミダンダの空港からカトマンズに向け15日に離陸した直後、消息を絶っていた。 機体は墜落でバラバラになり、生存者はいないという。 乗客にはネパール人のほか、ブータンからの難民数人と外国人1人も含まれていたとみられる。 外国人乗客の国籍は明らかになっていない。 サファリ社フィギュア262929 カナダカワウソ ネパールで墜落した飛行機の残骸を発見! (2010年12月16日 Time-AZ) BBC Newsは、2010年12月15日水曜日にカトマンズから162km東のラミダンダ空港(Lamidanda Airport)を離陸し、カトマンズ(Kathmandu)に向かっていたが、その途中で墜落した旅客機「Tara Air Twin Otter」の残骸をヒマラヤン山麓の丘の山腹で発見したとネパール職員が言ったと報告した。 救助活動のヘッドは、航空機が「衝撃で粉々になって、どんな生存者もいそうにはありません。」と言っている。 救出職員ディメレッシュ・ライ・カルマ(Dimlesh Lal Karna)はAFP通信社に、 「水曜日に行方不明になった飛行機が東ネパールの山腹に墜落していることがわかりました。」 水曜日の捜索は、雲と夜更けで暗くなったことから、中断されていたが、夜明けと共に捜索が再開した後、飛行機は木曜日早朝に見つけられた。 旅客機「Tara Air Twin Otter」には、19人の乗客と3人のクルーが乗っていた。 乗客の一人は米国国籍で、残りはヒンズー教の寺院への巡礼の旅から戻る途中のネパール人であった。 山の多いネパールでの航空機事故は珍しくなく、2010年8月に悪天候により、4人の米国人、日本人、イギリス人など、14人を乗せて墜落し、全員が死亡している。 とくにカトマンズの空港は、一度着陸したことがあり、まるで山脈にぶつかっていくように飛んでいき、ギリギリで上昇し、その先に空港があった。 ミダンダ空港とカトマンズ空港のGoogle Earthポインター情報を提供するので、ぜひフライト・シュミレーターで危険性を味わって欲しい。 …(略)… 世界の複葉飛行機模型ローデン(RODEN)「英・デハビラントDH-2 推進型複葉戦闘機」 1/32 (32612) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018年09月29日 21時56分19秒
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