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言語学を超えて(ソシュール記号学の新解釈)

言語学を超えて(ソシュール記号学の新解釈)

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《自己紹介》
佐藤直幹(さとうなおみき)と申します。令和二年で満54歳になります。丙午です。現在、フランスのパリ近郊在住で、翻訳を中心に仕事をしています。
nsato75@yahoo.fr

記憶による自己同一性進化論という、テーマに取り組んでいます。言語の本質を追い求めているうちに、人間とは何か、認知とは何か、生命とは何か、太陽系とは何か、時空間とは何か、物質とは何かという問いが生まれ、これらの根底に流れているが「記憶」という概念だと気がつきました。

ただ。ここでいう「記憶」の概念は、端的に言うと私の造語で、我々の知っている「記憶」をカバーしてますが、全く新しい概念で「すべての存在を生み出し、支え、進化させる」ものです。

記憶による自己同一性進化論は、今の科学の枠組みとは全く違うものになりますが、今の人類の知識を、新しい枠組みで捉え直すというプロセスと考えれば、矛盾は無いと思います。一言で言うと「科学のパラダイムシフト」を起こしたい訳です。

今は、ソシュールの記号学を「記憶による自己同一性進化論」という枠の中で再構築することを課題としています。ソシュールの「一般言語学講義」を再読しながら、記号学を新たなレベルに引き上げることを目標としています。


日本の大学では経済学を専攻しました。卒業後、金属素材メーカーに就職しましたが4年後の1995年に退職、直後にフランスに渡航し、言語学の勉強を始め今に至ります。一応フランスで修士と同等の免状(DEA)を取得していますが、博士論文は途中で断念しました。

高校三年のときにアメリカのイリノイ州に1年間のホームステイ留学、大学3年に上がる前に韓国に一年間、語学留学していました。最近は大分忘れましたが、フランス手話もフランスで勉強し、私の言語理論の重要な支えになっています。

始めはフランス語で発信しようと思いましたが、フランス語の語彙の概念を借用しながら、日本語で書く事にしました。あまりネガティブなコメントにはおつきあい出来ないと思いますが、興味があれば読者の方々と色々とディスカッション出来ればと思います。

「日本人の為のフランス語自習室」というブログもあります。最近は更新していませんが、フランス語に興味の有る方は是非どうぞ。
http://francais75.exblog.jp/

趣味は折紙ですが,最近は半分プロとしてやっています。
折紙のバラが専門です。ここに作品を発表しています。ミクシーでは、もっと多くの作品を公開しています。ハンドルネームは「Mikki」
http://pliagedepapier.com/gallery/index.php?cat=11645

2015年8月に、「バラの折り紙 ROSE」という本が出版されました。
http://www.amazon.co.jp/バラの折り紙-1枚の紙から作る-佐藤直幹/dp/452905466

2018年1月27日に「美しいバラの折り紙」という本が出版されます。
https://www.amazon.co.jp/%E7%BE%8E%E3%81%97%E3%81%84%E3%83%90%E3%83%A9%E3%81%AE%E6%8A%98%E3%82%8A%E7%B4%99-%E4%BD%90%E8%97%A4%E7%9B%B4%E5%B9%B9/dp/4529057674/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1516427564&sr=1-1&keywords=%E4%BD%90%E8%97%A4%E7%9B%B4%E5%B9%B9

2019年9月24日にアメリカのTuttle社から「美しいバラの折り紙」の英語版「Naomiki Sato's Origami Roses, create lifelike roses and other blossoms」が出版されます。
https://www.tuttlepublishing.com/other/naomiki-satos-origami-roses


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2017.01.03
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カテゴリ:記憶の進化
「記憶」と「進化」というキーワードは記憶言語学、および記憶科学では必須なのだが、「進化」という概念を持ち込むと、その目的を提示しなくてはいけなくなると気が付いた。

実際、種の起源のダーウィンが持ち込んだ進化の概念に関しても、進化の目的ははっきりとしていない。記憶科学では、種の進化の目的は人間を作ることであるとはっきりしているが、生物学者たちはそうは思っていない。今でも進化は続いていると考えている。

こうなると、問題は言語の進化である。今のところ、言語の進化というと、インドヨーロッパ語族が様々な言語に進化したとか、英語の進化とか、文法上の進化に限定されてしまっているのだが、私が考えているのは全く違う、いわば、メンタリティーの進化である。

とりあえず問題があることが認識できたところで今日は終わりにしようと思う。





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Last updated  2017.01.03 02:15:08
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愛国心とは何か   ともちゃん さん
佐藤さん

在日老人の論法は、以下の様になっています。
例えば吉田松陰です。
松陰と言えば、日本では西郷隆盛と肩を並べる人格者です。
その人格の高潔さ、至誠の生き方を疑う人は、誰もいません。
少なくとも、日本人には誰もいないと思います。

しかし、在日老人に言わせれば、松陰は暗殺団の親玉です。
松陰が指揮をとり、長州の浪士に
要人の暗殺を命じたと言う論法です。
たしかに、外部の「視点」から見ると、
その論法は当たっています。

大河ドラマなどでは、松陰は美化されます。
だから勤王の志士の要人暗殺と言うシーンは,
削り取られています。
しかし明治維新の歴史に、少しでも関心のある人は、
在日老人の論法が正しい事が判ります。

そして松陰は続けます。
要人暗殺で天下を取った後は、朝鮮に出兵し、
満州を併合し、その後中国を乗っ取り、
アジアの覇者にならなければならない。
伊藤博文ら長州志士に対し、この様に教えます。

つまり豊臣秀吉がやろうとして、やれなかった事を、
明治政府はやらなければならないと言っているのです。
もちろん松陰が処刑された時は、まだ江戸時代であり、
明治の世ではありません。
しかし、そう言う松陰の思想を実行したのが、
明治の軍隊だったのです。

もちろん、日本にも言い分があります。
八紘一宇(はっこういちう)
共存共栄圏(きょうぞん・きょうえいけん)と言う思想で、
日本がアジアの覇者にならなければ、
日本が欧米列強にやられてしまうのです。

したがって太平洋戦争までの、日本の戦略は、
日本人の「視点」から、見れば間違ってはいません。
「愛国心」と言う「視点」では、
松陰は、我々日本人の誇りであり英雄です。

しかし朝鮮の「視点」から見れば、
「そんな事は知るか」となります。
八紘一宇などは、日本人の都合ではないか。
在日老人は、このように言います。

吉田松陰の意志を継ぎ、大陸へ進出した伊藤博文を、
安重根(アン・ジュングン)が暗殺します。
朝鮮の「視点」では、安重根が英雄です。

安重根は、テロリストか義士か?
こういう議論は、馬鹿げています。
日本人の立場で見れば、彼はテロリストです。
しかし、朝鮮人の「視点」から見れば、当然義士でしょう。
要するに「視点」の違いなのです。

朝鮮の立場から見れば、
「在日老人」の言う事は正しいと思います。
しかし我々は日本人です。
安重根をゆるしてはならないのです。

日本は、10億円も出しました。
なのに日本大使館前に
「従軍慰安婦の像」を置いた集団がいます。
彼らは、現代の安重根です。
我々は、彼らの存在を抹殺しなければなりません。

日本で、デモをやっている時ではありません。
松陰のように、行動で表さなければ意味がありません。
ヘイトスピーチをやる暇があれば、
現地で戦ってほしいのです。

私は、相手を殺せとは、言っていません。
像を倒せば、それでいいのです。
たぶん、現地人に殺されます。
これでいいのです。
必ず日本の愛国心は燃え上がります。
(2017.01.03 02:59:25)

征韓論   ともちゃん さん
佐藤さん

西郷は、朝鮮へ一人で話をしに行くと言いました。
そんな事をしたら、殺されるぞと、周りは止めます。
俺が殺されたら、それを口実に朝鮮に攻め込め。
これが、西郷の行動力です。
結果的には征韓論に敗れ、西郷は野に下ります。
そして、西南戦争がはじまります。

私は、口でいくら言っても信用しません。
まず行動です。
現代の征韓論。
それは、慰安婦像を叩き壊す事なのです。
(2017.01.03 23:34:32)

平成の西郷   ともちゃん さん
佐藤さん

もう、10年ほど前になります。
『冬のソナタ』の主題歌を歌ったリュウと言う、
韓国人の歌手が日本に来ました。
和田アキ子が司会をする歌番組に出演したそうです。

その時、たまたま布施明も出演していました。
その番組でリュウは、布施明を韓国人だと言ったのです。
和田アキ子が、なぜそう思うのかと聞きました。
リュウの答えは、「みんながそう言っているから」と言う事でした。

つまり韓国では、布施明は韓国人と言う事になって居るらしいのです。
同じころ私はハングルの先生に、木村拓哉(キムタク)は、
韓国人だとはっきりと聞きました。
たぶんキムタクも、韓国では韓国人だと言う事に
なって居るのではないかと思います。

韓国人は日本人の様に、
これを悪意で言っているわけではありません。
あんな素晴らしい人たちが、汚らしい日本人であるはずがない。
たぶん、そう言う意識が、
韓国人の中に、存在するのではないかと思います。

噂はどんどんと広がり、最近のツイッターでは、
スマップ全員が、韓国人になっていました。

だから、たぶん韓国では、好意を持たれている日本人は、
すべて「名誉韓国人」と言う感じに
なって居るのではないかと思います。

その噂を、日本人が信じてしまい、芸能界には、
ものすごい数の韓国人が存在してしまうのだと思います。

こう言う噂は、否定する訳には行きません。
ヘンに力を入れて、自分が韓国人では無い事を強調します。
すると在日韓国人から見れば、在日を見下した事になります。
ファンを大切にする、芸能人や政治家に、これは出来ません。

彼ら芸能人が、
本当に韓国人であるかどうかを調べる事も出来ません。
なぜならば役所では、特別な許可が無ければ、
他人の戸籍など、絶対に調べる事が出来ません。
これを無理にやると、「個人情報保護法案」で処罰されます。

こう言う理由で、芸能人の大半が、
在日韓国人であると言う噂は、いい加減なものだと思います。
佐藤さんがよく言われる、「韓国人は嘘つき」と言うのは、
たぶんこんな感じだと思います。

話は変わります。
釜山(プサン)の慰安婦像設置問題です。
日本は10億円の詐欺にあいました。

2019年元旦の新天皇即位問題は、
議会で決めたわけではありません。
まず先に、既成事実です。

中国・ソ連・アメリカの関係を見ていると、
そのうちに何かが起こりそうです。

慰安婦像を破壊して、日本人がリンチに会う。
そのような既成事実を作れば、
日本は、韓国に軍隊を送り込めます。

とにかく、今の自衛隊は使い者にならないでしょう。
韓国を利用すれば、口実はいくらでも作れます。
今の内に、日本の為に死ねる軍隊を作らないと、
日本の将来は危ないと感じます。

私は、決して韓国人を、
悪い人間だと言っているわけではありません。
強い日本を作る為に利用するのには、
ちょうど良い位置にいる。
そういう事が言いたいのです。

プロ野球では、もうすぐWBCが始まります。
日韓がぶつかれば、ものすごく燃えるハズです。
簡単に、火がつけられるのです。

国内でヘイトスピーチをやるより、
まず、慰安婦像の破壊です。
今の日本人で、それを批判する人間は誰もいません。
佐藤さんは、いろんな国に行かれます。
どうか、平成の西郷になって下さい。 (2017.01.14 15:17:09)

Re:平成の西郷(01/03)   CLG2009 さん
ともちゃんさん

>もう、10年ほど前になります。
>『冬のソナタ』の主題歌を歌ったリュウと言う、
>韓国人の歌手が日本に来ました。
>和田アキ子が司会をする歌番組に出演したそうです。

和田アキ子は、在日でしたが今は帰化してますね。

>韓国人は日本人の様に、
>これを悪意で言っているわけではありません。
>あんな素晴らしい人たちが、汚らしい日本人であるはずがない。
>たぶん、そう言う意識が、
>韓国人の中に、存在するのではないかと思います。

韓国人は、有名になった人が少しでも韓国に関係があると、韓国人扱いします。カザフスタンのスケーターのデニス・テンも韓国人扱いです。


>噂はどんどんと広がり、最近のツイッターでは、
>スマップ全員が、韓国人になっていました。

本当にそうかも知れませんよ。


>だから、たぶん韓国では、好意を持たれている日本人は、
>すべて「名誉韓国人」と言う感じに
>なって居るのではないかと思います。

>その噂を、日本人が信じてしまい、芸能界には、
>ものすごい数の韓国人が存在してしまうのだと思います。

いや、実際に多いのは事実でしょう。自分から名乗りを上げている人は少数なので噂だけが膨れ上がります。


>話は変わります。
>釜山(プサン)の慰安婦像設置問題です。
>日本は10億円の詐欺にあいました。

詐欺だと分かっていた人と、そうは思っていなかった人がいるようですが。


>2019年元旦の新天皇即位問題は、
>議会で決めたわけではありません。
>まず先に、既成事実です。

でも、結構速くことが運んだ気がします。天皇のご健康への懸念が大きいかと。でも、今年はプミポン国王の弔問のためにタイを訪問されます。


>中国・ソ連・アメリカの関係を見ていると、
>そのうちに何かが起こりそうです。

何か、の質が変わってきていると思います。一触即発ということはかなり回避されていると思います。

>慰安婦像を破壊して、日本人がリンチに会う。
>そのような既成事実を作れば、
>日本は、韓国に軍隊を送り込めます。

誰が好き好んで韓国に軍隊を送りますか。冷静に考えてください。そんな事件があったら、さっさと韓国から日本大使館を引き上げるそれだけです。あの国と戦争する価値などありません。むしろマイナスです。


>とにかく、今の自衛隊は使い者にならないでしょう。
>韓国を利用すれば、口実はいくらでも作れます。
>今の内に、日本の為に死ねる軍隊を作らないと、
>日本の将来は危ないと感じます。

日本の敵は中国、そして習近平も手を焼く軍閥でしょう。何かの拍子に、本当に仕掛けてくる可能性は大です。日中戦争は、支那側からのちょっかいで起きたことはご存知でしょう。


>私は、決して韓国人を、
>悪い人間だと言っているわけではありません。
>強い日本を作る為に利用するのには、
>ちょうど良い位置にいる。
>そういう事が言いたいのです。

韓国人は私は悪い人間だと思います。日本を呪うことでしか自分たちの国のアイデンティティーが保てない。情けない民族です。


>プロ野球では、もうすぐWBCが始まります。
>日韓がぶつかれば、ものすごく燃えるハズです。
>簡単に、火がつけられるのです。

韓国のスポーツマンシップの無さが、世界に知られる機会になるでしょう。

>国内でヘイトスピーチをやるより、
>まず、慰安婦像の破壊です。
>今の日本人で、それを批判する人間は誰もいません。
>佐藤さんは、いろんな国に行かれます。
>どうか、平成の西郷になって下さい。

慰安婦像は、小中華思想の下、日本が韓国の下であることを日本に思い出させるための呪いのトーテムです。牛の刻参りの藁人形です。日本人がいくら破壊しようとしても、逆に増殖するだけです。今年末には多分全部で100体を超すでしょう。


(2017.01.17 21:23:26)

西郷どん   ともちゃん さん
佐藤さん

なぜ日本の軍隊が、韓国へ出兵しなければならないのか?
それは、韓国と戦争をする為ではありません。
とりあえず、日本の軍隊が
「外国へ出兵した」と言う既成事実を作る為です。

今、日本の軍隊が外国へ攻め込む為に、
憲法を整備しても時間がありません。
戦争が出来る法律を作る為には、あと10年かかります。
もう、そんなに待てないでしょう。

こういう場合は、まず既成事実です。
それが、歴史のセオリーです。
その為に韓国を利用するのです。

来年の大河ドラマは「西郷どん(せごどん)」です。
真の愛国心とは何か?
日本人に、それを勉強してもらいたいのです。 (2017.01.17 23:41:55)

Re:西郷どん(01/03)   CLG2009 さん
ともちゃんさん

>なぜ日本の軍隊が、韓国へ出兵しなければならないのか?
>それは、韓国と戦争をする為ではありません。
>とりあえず、日本の軍隊が
>「外国へ出兵した」と言う既成事実を作る為です。

日本が朝鮮に出兵したのは、朝鮮が引き入れた部分が大きいと思います。

つまり、朝鮮という国は自分の保身のために、外国勢力を引き入れて、最終的には自分のいいように持って行くところがあります。まだ読んではいませんが、石平さんの「朝鮮こそ歴史の加害者である」という本の解説に載っていました。


>今、日本の軍隊が外国へ攻め込む為に、
>憲法を整備しても時間がありません。
>戦争が出来る法律を作る為には、あと10年かかります。
>もう、そんなに待てないでしょう。

私は憲法改正に賛成です。特に第九条は悪法です。
と言って日本が戦争するわけではありません。戦争を仕掛けてくる国への抑止力が必要なのです。
支那事変も結局は、国民党や共産党が仕掛けて来ました。今も同じです。

中共はバカの一つ覚えでちょっかいをかけてきますが、今の世界の世論が同反応するかに全くむとんちゃくな様です。


>こういう場合は、まず既成事実です。
>それが、歴史のセオリーです。
>その為に韓国を利用するのです。

韓国と関わったら負けです。


>来年の大河ドラマは「西郷どん(せごどん)」です。
>真の愛国心とは何か?
>日本人に、それを勉強してもらいたいのです。

ともちゃんさんは、愛国心を極端なものとして考え過ぎではないでしょうか。ご自分に愛国心がないのであれば、それで結構です。それを他の日本人に強要する必要はありません。




(2017.01.18 06:43:55)

愛国心   ともちゃん さん
佐藤さん

日本人は、強くならなければなりません。
大相撲では、3人の横綱がいます。
全て、モンゴル人です。
情けないでしょう。

私は、野球ほど相撲が好きではありません。
しかし、国技である相撲の横綱が、
全員モンゴル人であることは情けないです。

この「情けない」と言う気持ちは、
何処から出て来るのでしょうか?

これが、愛国心なのです。
オリンピックで、外国人選手を応援する、
日本人はいないでしょう。
これが、愛国心です。

日本人は、強くなければならないのです。
日本選手は、勝たなければならないのです。

次回の東京オリンピックで、
もし日本人選手が誰も出場しなければ、
日本人のファンは、誰も見に行きません。

3月から、東京ドームでWBCがはじまります。
野球の世界一決定戦です。

オランダVSキューバ。
勝ち抜き戦ですから、当然こんな試合もあります。

東京ドームは、ガラガラですよ。
でも、テレビは空席を映しません。
わずかな外国人観客の、
盛り上がった部分だけを映して、
映像をごまかします。

日本人は、日本人が勝たなければ絶対に満足しないのです。
これが愛国心です。

プロ野球では、40人もの外国人選手が登録されています。
セ・パ12球団の、構成メンバーは、1軍と2軍合わせて40人です。

つまり現在のプロ野球では、外国人だけで、1つーむが構成できます。
しかし、彼らはあくまでも「助っ人」です。
言葉は悪いですが、日本に「出稼ぎ」に来ているのです。

相撲界では、外国人力士の事を「是稼ぎ人」と呼びます。
「出稼ぎ」と「助っ人」どちらも同じ意味です。
これが外国人選手に対する、
日本人ファンの偽らざる心情です。

「愛国心」とは、このようなものであると、私は定義します。
佐藤さんの「愛国心」の定義をお聞かせ下さい。 (2017.01.20 14:45:37)

Re:愛国心(01/03)   CLG2009 さん
ともちゃんさん


>「愛国心」とは、このようなものであると、私は定義します。
>佐藤さんの「愛国心」の定義をお聞かせ下さい。

愛国心の前に日本人にはスポーツマンシップがあります。

確かに、横綱が皆モンゴル人というのは確かに屈辱的でしょう。しかし、外国人力士に門戸を開放した結果、体格の言いモンゴル人に有利に働いたことは受け入れていると思います。その中で、日本人の力士がどう戦うかというのもまた面白みになってくるのではないでしょうか。

ところが、韓国や中国では、こういう寛容なところはありません。自分の国が勝たないと、自分のアイデンティティーが崩壊するのです。彼らがスポーツを純粋に楽しめないのは御存じだと思います。

ともちゃんさんは、このところを抜きにして愛国心だけを取り上げています。これでは話になりません。


(2017.01.20 15:56:58)

国家とスポーツ   ともちゃん さん
佐藤さん

スポーツの原点はアイデンティティーです。
つまり「自己合一性」あるいは「自己投影」です。
私のアイデンティティーはタイガースにあります。
つまり私は、タイガースの一員なのです。
阪神タイガースのファンは、皆、タイガースの一員です。

この気持ちが無ければ、狂ったような応援は出来ません。
スポーツを愛すると言う事は、
その選手あるいは、そのチームと一体になる事なのです。

高校野球のレベルなど、
プロから見れば子供みたいなものでしょう。
しかし、人は高校野球に狂います。

彼らは決して、スポーツの技術の高さを見に、
甲子園に来ているのではありません。
自分の出身県の選手。
自分が「アイデンティティー」を投じる選手を
応援に来ているのです。

ただ単に技術の高さと言うなら、
日本プロ野球より、メジャーリーグでしょう。
日本の優秀な選手は皆、メジャーへ行きます。
後に残るのは、皆、カスばかりです。

しかし我々は、そのカスを愛しているのです。
なぜならば、メジャーより日本の球団の方が、
我々にとって、アイデンティティーを感じやすいのです。

fractalemode さんは、ソフトボールをされているそうです。
私の友人にも、ソフトボールの監督をしながら、
タイガースを応援している人間がいます。

この人物にとっては、タイガースの勝利と
自分のチームの勝利のどちらが大事なのでしょうか?
彼は、タイガースの勝利だと言っていました。

彼は、どちらのチームに対しても、
アイデンティティーを持っています。
アイデンティティー(自己投影)、
これが無ければ、自分以外の者を愛する事は出来ません。

私は、自分の息子に「自己投影」をしています。
息子の出世と自分の出世は、同じものなのです。
同じく愛国心も、国家に「自己投影」をする事なのです。

私は、息子に自己投影をしています。
私は、阪神タイガースに自己投影をしています。
私は、日本国に自己投影をしています。

私は以前、愛国心もスポーツも同じものだと書きました。
「自己投影」と言う意味において、
国家もスポーツも同じものなのです。

これを利用したのが、アドルフ・ヒトラーです。
聖火リレーは、ヒトラーが考え出したそうです。
国家とスポーツ。
これは一体なのです。

難しく考える事は、何もありません。
世の中は、驚くほどシンプルで単純です。
(2017.01.20 20:57:36)

六道輪廻を記憶言語で通約してみた   fractalemode さん
ともちゃんさん
佐藤さん

愛国心=国を愛する心=国に執着する心

愛=慈愛=親が子供を大切に思い、かわいがるような深い心
愛=欲望の対象(支配)=苦の原因

愛はよくないというのが仏の教えですが、ともちゃんさんの、世の中は、驚くほどシンプルで単純だという愛国心は、どこから来るのでしょうね。それは、独善から来るのではないでしょうか。

六道輪廻を記憶科学の成果をもとに私なりに通約してみました。

先ず、六を二極に離散化します。そしてA1/A2/A3/B1/B1/B3
と記号化します。

これを視点と読み替えます。

A1:離人の視点(人間よりは苦はない楽天的な人)
A2:人間の視点(ほどほどに苦のある生活)
A3:独善の視点( 欲望を抑えることができない人)
ーーーーーーー
B1:競争の視点(人を蹴落として自分だけ抜け出そうとする人)
B2:愛欲の視点(嫉妬で無理に無理を重ねる人)
B3:修羅の視点(絶対的絶望に生きる人)

人はだれでもどの状態にもなり得ると思いますが、強いて言うと韓国人はB1、佐藤さんはA1、私はA2、ともちゃんさんはA3が強いかと思いますがいかがでしょうか。

この離散系(輪廻)から抜け出すことが悟りですが、さて如何でしょうか。 (2017.01.21 10:41:19)

最高の愛   ともちゃん さん
Fractalemodeさん
佐藤さん

世間一般では、「親子の愛」を最高の愛だと賞賛します。
しかし仏教に限らず、
宗教全般において、親子の愛は否定されます。

神父や修道女は、一生独身を通します。
これは性欲を絶つと言う以上に、
家族の愛に溺れないと言う事の重要性を
重んじるからなのです。

宗教者は、まず人類愛を求められます。
全ての人間を、平等に愛さなければならない、
義務を負っているのです。

だから、自分の家族だけを、特別視するワケにはいきません。こう言う立場からすれば、「家族愛」も「愛国心」も、
非常に醜い、「執着心」と考えられます。

論理的には、確かにそれが正しいのです。
しかし宗教は、
宗教のプロだけで成り立っているわけではありません。
信者が金銭的に支えなければ、宗教は成り立たないのです。

宗教の素人である信者に、独身を強いる事は出来ません。
だから鬼子母神の様な神話が作られ、母親の愛が説かれます。
だいたいの宗教団体は、
このように俗世間と妥協(だきょう)しています。

しかし鬼子母神の話は、分かりにくいでしょう。
親の愛は尊いのか、あるいは「執着」なのか?
本気で仏道修行に励む信徒は、
ワケが判らなくなってしまいます。

私は今、NHKの高校講座を見ています。
基礎物理と基礎化学です。
番組の中で、科学の歴史が語られます。
それは、徹底的に「単純化」する歴史なのです。

アリストテレス以来2000年近く、
科学の歴史はストップします。
AD1500年ごろに、ヨーロッパにルネサンスが起こります。
ルネサンスとは、古代ギリシャ精神の復活です。

途中、錬金術や占星術と言う、
化学や天文学の基礎を作った学問がありました。
しかし大まかに見れば、アリストテレスの次はガリレオです。

ガリレオは何をしたのか?
これは「単純化」です。
ガリレオは、「数学」と「実験」で、
一見複雑に見える自然界を単純化しました。

つまりガリレオは、人間の「外の世界」を単純化したのです。
我々は、人間の「内の世界」も、単純化しなければなりません。
そう言う意味で、以下の文章は分かりにくいのです。

A1:離人の視点(人間よりは苦はない楽天的な人)
A2:人間の視点(ほどほどに苦のある生活)

ここでは一応、「人間より」と言う基準が設けられています。
しかし、「人間レベル」とは、一体どう言うモノなのか?
それが、さっぱりわかりません。

「ほどほどに苦のある生活」
これも、分かりません。
「ほどほど」とは、どう言うレベルなのか?
それを、ハッキリさせなければなりません。

「A3/B1/B2/B3」は、非常にハッキリした指標です。
それに対して「A1/A2」は、ボケすぎでしょう。

「最高のセックス」とか、「おカネがザクザク」と言えば、「ともちゃん流」の表現になり、誰にでも理解できます。
それは、あまりにも判り安すぎると考える人もいます。

もっとカッコウを付けて、自分を賢く見せたいのなら、
「国民一人当たりの年収」より上、あるいは下。
これで、少しは具体的になるでしょう。

ベンサムの「最大多数の最大幸福」と言うような指標もあります。
「ほどほど」は、あくまでも、ごまかしでしょう。

「内なる世界」を指標化するのは、非常に難しいと思います。
しかし、これをやらなければ、一歩も前には進めません。 (2017.01.21 14:27:40)

創価論法   ともちゃん さん
佐藤さん
Fractalemodeさん

私は、宗教家とよく話します。
宗教家と言うより、
新興宗教の信者と言った方が判り安いと思います。
いろんな人が、私の家を訪ねてきます。
要するに宗教の伝道です。

創価学会が一番判り安いでしょう。
以前は、ずいぶん創価学会員が伝道に来ました。
創価学会では、伝道とは言いません。
「折伏(しゃくぶく)」と言います。

彼らと話していると、自分が物凄く頭の良い人間に思えます。
私は、仏教哲学をよく知っています。
西洋哲学も良く知っています。
孔子や老子と言った、中国哲学も良く知っているのです。

キリスト教関係の教団では進化論をよく語ります。
神が人間を作って、ここまで進化させた。
こんな論法です。
私は進化論についても、彼らより良く知っています。
なんで俺は、こんなに頭が良いのだろう。
天才に違いない。
信仰宗教をやるような連中は、
よっぽど教育レベルが低いのだろう。
私は、こんな事を、本気で考えていました。

あとでわかった事なのですが、
創価学会にもかなりのインテリがいます。
私より学歴や社会的地位の高い人は、いくらでもいます。
知識階級と言われる人も沢山います。
そんな人が、なぜ、私から見るとバカに見えるのか?

たぶん、それは、
彼らの一方的な「視点」ではないかと思います。
今は写真でしか見られませんが、
昔の馬車馬は目の横に衝立(ついたて)を立てています。

つまり、前しか見えなくしてしまうのです。
これは、よそ見せずに真っすぐに走らせる配慮だと思います。

熱心な新興宗教の信者は、みなこんな感じです。
横が、まったく見えないのです。
私は一つの物事を、いろんな角度から見られます。
それに対して、創価学会は、
南無妙法蓮華経しか理解できません。

かといって、頭がパーなわけでは在りません。
皆、自分の仕事は、充分にこなしておられます。
たぶん、脳の一部が破壊されて、
その部分に日蓮大聖人が住み込んでいるのだと思います。

私から見た佐藤さんのイメージはこんな感じです。
佐藤さんは、脳の一部がやられて、その部分で
「朝鮮・中国みんなダメ」と言うテープが回っているのです。

私は、朝鮮や韓国の家系ではありません。
友人に朝鮮人や韓国人がいますが、
どうしても肩を持たなければならない関係ではありません。
私は、朝鮮・韓国・中国に対して、
利害関係はまったくありません。

「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」
これが私の立場です。
だから損か得か、高角度な判断が出来るのです。

佐藤さんは、盛(さか)りの付いた犬です。
「中国・朝鮮大嫌い」これだけなのです。
そこが、創価学会とそっくりです。

佐藤さんは、脳の一部がやられているのではないか?
私は以前から、それを疑っていました。

私は、創価学会をよく論破しました。
しかし、もうひと押しと言う所で、ヒョイとよけ、
私は、土俵の下に飛び出してしまいます。
私はこれを、創価論法と呼んでいます。

Fractalemodeさんが、押しに押し、
佐藤さんを土俵際へ追い詰めた。
次の瞬間、ヒョイとかわされ、Fractalemodeさんは、
もんどり打って土俵の下。
こう言うシーンが、何度も繰り返されて来ました。

創価学会と佐藤さんの共通点。
それは、脳の一部が破損している事では無いかと思います。
ただし、それはあくまでも脳の「一部」です。
私は「全てが」と言っているわけではありません。

つまり佐藤さんも創価学会も、論理の流れの、ある部分が来ると
「思考停止」してしまうのではないかと思います。
私が「朝鮮・中国」問題をひつこく語るのも問題はそこです。

佐藤さんの脳の破壊された部分を見つけ出さずに、
これ以上「記憶科学」を論じても前に進まないのではないか?
私は、このように感じております。
(2017.01.21 15:49:49)

愛は記憶遺伝子のなせる業?   fractalemode さん
ともちゃんさん
佐藤さん

>宗教全般において、親子の愛は否定されます。

親子の愛は生物学的に記憶遺伝子によってもたらされるのものですね。それを後で人間が倫理化したものです。

何故か子供を産むと母親はそういう気持ちになるのです。それはホルモンの精なのです。

ホルモンは記憶を操作する物質的記憶ではないでしょうか。

ただ、多くの遺伝子がありますから、それらが齎す心はバッテイングすることがあるでしょう。

ですから、時には狂うときがあると思います。

始めから設計されたものではないからですね。その矛盾を宗教が引き受けてきたのではないでしょうか。

>神父や修道女は、一生独身を通します。
>これは性欲を絶つと言う以上に、
>家族の愛に溺れないと言う事の重要性を
>重んじるからなのです。

何故、それを重要視したのでしょうか。

そんなこと関係ねぇというのが動物だと思いますが、人間だけがそうではなかったのですね。サルは性欲を満たすことができない方が多いようですね。

性欲によって狂うのは放ってはおけないから、そのような宗教的な心が遺伝的に芽生えたのではないでしょうか。

そういう動因がなければ、誰が苦労してそんなことをする気持ちになるでしょうかね。

それも遺伝子の精なのでしょうね。

倫理遺伝子(仮説)があるそうですよ。発見はされてはいませんが。

いずれにしても、性欲を断つという意識が芽生えたその当時の現場に行ってみたいものです。

>宗教者は、まず人類愛を求められます。
>全ての人間を、平等に愛さなければならない、
>義務を負っているのです。

そういう観念を抱くようになったのは、何が原因なのでしょうね。やはり遺伝子でしょうかね。

宗教者など、初めから存在していないのですからね。

動物なんて、性交する前は死ぬ気で戦いますが、後は知らん顔でどっかにいってしましますね。絆の強い鳥などもいますが。

その違いはどこから来るのでしょうか。


>だから、自分の家族だけを、特別視するワケにはいきません。こう言う立場からすれば、「家族愛」も「愛国心」も、
>非常に醜い、「執着心」と考えられます。

>論理的には、確かにそれが正しいのです。

それは正しくはありません。

昔はともかく、今は成長の限界があり、臨界点があります。

宗教家達はそんなことは知らなかったのです。

ただ、遺伝子の操られているだけなのです。

記憶の視点からすると、記憶に乗っ取られたパラサイトだというよな表現になるでしょうが。

続く (2017.01.21 17:30:24)

宗教が存在する理由は遺伝子コンフリクトにある   fractalemode さん
ともちゃんさん
佐藤さん

>しかし宗教は、
>宗教のプロだけで成り立っているわけではありません。
>信者が金銭的に支えなければ、宗教は成り立たないのです。

何故、成り立たなければならないのでしょうか。
そんなものは不要なのです。

それぞれが、宗教家なのですから。

しかし、宗教団体が存在している以上、これでは答えになりませんね。

これに答えるためのは自然言語の連続化という問題と関係があります。もう少しお待ちください。

連続の問題を明らかにしてからクリアします。

>宗教の素人である信者に、独身を強いる事は出来ません。
>だから鬼子母神の様な神話が作られ、母親の愛が説かれます。
>だいたいの宗教団体は、
>このように俗世間と妥協(だきょう)しています。

遺伝子同士の矛盾を引き受けたのが宗教だとすると分かり易くなります。

これを遺伝子コンフリクト(衝突)と言ってみます。

ここに、宗教の存在する理由があるのだと思います。

>しかし鬼子母神の話は、分かりにくいでしょう。
>親の愛は尊いのか、あるいは「執着」なのか?
>本気で仏道修行に励む信徒は、
>ワケが判らなくなってしまいます。

元々が遺伝子コンフリクトの回避だったのですから、ワケが分からなくてもよいのです。

どの宗教にそんな遺伝子由来とする考えがあったでしょうか。

続く
(2017.01.21 17:39:40)

ほどほどはごまかしか?   fractalemode さん
ともちゃんさん
佐藤さん

>それは、徹底的に「単純化」する歴史なのです。

オッカムのカミソリですね。

>一見複雑に見える自然界を単純化しました。

物理の歴史はすべてが単純化ですよ。

そんなこと当たり前じゃないですか。

複雑より簡単な方が答えが出ますからね。

ですから、すべては線型という形で単純化してきたのです。

線形数学というではありませんか。

それはそれで成果があったのです。それを批判しても、賞賛しても始まりません。

問題は線形では解けない問題が残されたということです。

それが現在の状況です。

ともちゃんさんが過去の歴史に遡るのは結構ですが、結論は見えています。

要するに、簡単な問題は解けるが複雑な問題は簡単には解けないということです。

それに科学者たちは、ようやくこの現代に入って気が付いたということです。

ここからスタートですね。

>つまりガリレオは、人間の「外の世界」を単純化したのです。
>我々は、人間の「内の世界」も、単純化しなければなりません。
>そう言う意味で、以下の文章は分かりにくいのです。

>A1:離人の視点(人間よりは苦はない楽天的な人)
>A2:人間の視点(ほどほどに苦のある生活)

ここは俗人とした方が良かったかもしれませんね。

すべては人間の取り得る可能性だからです。


離人は記憶科学との関係で無理に当て嵌めたかもしれません。

>ここでは一応、「人間より」と言う基準が設けられています。
>しかし、「人間レベル」とは、一体どう言うモノなのか?
>それが、さっぱりわかりません。

俗人と解釈してください。

どのような人間の段階でもあるということを設定しているので、厳密でないと思いますが、少なくとも人間とは何か、人間の視点を消すということはどういうことかを考える、足場にはなると思ったのです。

ともちゃんさんなりに考えてください。私も考えてみます。

人間の視点を捨てるということの意味がここにあるのではないかと閃いたので、通約してみました。


お試版バザールでござーるです。

>「ほどほどに苦のある生活」
>これも、分かりません。
>「ほどほど」とは、どう言うレベルなのか?
>それを、ハッキリさせなければなりません。

全くその通りです。

そして、それは徳川家康の言葉がそれを象徴していると思います。

一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとしと言いました。

この程度は修羅や餓鬼に比べればほどほどでしょう。


>「A3/B1/B2/B3」は、非常にハッキリした指標です。
>それに対して「A1/A2」は、ボケすぎでしょう。

そうですね。何とかはっきりさせましょう。

>「最高のセックス」とか、「おカネがザクザク」と言えば、「ともちゃん流」の表現になり、誰にでも理解できます。
>それは、あまりにも判り安すぎると考える人もいます。

それは六道輪廻で位置付けるとどこになりますか。

そうすれば、それぞれの段階の意味がしっかりしてくるでしょうし、それを裏付ける遺伝子の発見につながるかもしれません。

>「ほどほど」は、あくまでも、ごまかしでしょう。

いい湯加減、適用でいいよという言葉があります。これらは科学的ではありません。

しかし、現在は主婦の勘という感覚がファジー工学によって、数値化され炊飯器ができました。

職人芸というのは暗黙知であり、数値化できないものです。それを数値化して生産性を上げるといのは人工知能の世界です。まだ成功はしていませんが。

ほどほどをごまかしととらえる意識は、ともちゃんさんの思考に中にそれを科学としてとらえるということが射程に入っていないからです。

私達は佐藤さんの鋭敏なインスピレーションを明示化しようとしているのですね。

それに比べたら、この程度のほどほどは簡単なのではないでしょうか。

私もまだ正確には表現できませんが、それより、先ずは六道輪廻を記憶言語の表現に翻訳したことで、一段階と思ってください。

それ以前に、このスキーム自体が正しいかどうかを検証することが先だと思います。


>「内なる世界」を指標化するのは、非常に難しいと思います。
>しかし、これをやらなければ、一歩も前には進めません。

それには同意します。 (2017.01.21 17:48:15)

キノコの性はnsex(沢山の性がある)   fractalemode さん
ともちゃんさん
佐藤さん

>Fractalemodeさんが、押しに押し、
>佐藤さんを土俵際へ追い詰めた。
>次の瞬間、ヒョイとかわされ、Fractalemodeさんは、
>もんどり打って土俵の下。
>こう言うシーンが、何度も繰り返されて来ました。

結構じゃないですか。これを楽しめないようなともちゃんさんがかわいそうとしか言いようがありません。

>佐藤さんの脳の破壊された部分を見つけ出さずに、
>これ以上「記憶科学」を論じても前に進まないのではないか?
>私は、このように感じております。

それはともちゃんさんの思考の貧弱さに原因があります。

いくら、過去の宗教論議を知ったところで、何の意味もありません。

宗教的狂信者の場合は既にある観念を無抵抗で受け入れています。

佐藤さんにはそれがありません。むしろ、既成の概念を破壊しています。

しかも、自分の一人の思考で組み立てています。

哲学も知らず、宗教も知らず、良くもここまで持ってきたと思います。

そのことをともちゃんさんは見逃しています。過小評価しています。

恐らくはともちゃんさんの人生においては、そういう生き方は想像できないのでしょうね。

だから、そういうのは脳が破壊されているというような表現になるのです。

しかし、何の既成概念に縛られずに、世界を作りあげるということはあり得るのだということです。

その良い例がケージが発見したキノコの性のパターンはnsex(たくさんの性がある)です。これは常識からするととんでもないことです。

ここから結論できることは、人間の性(雄雌)なんて人為的に超単純化された概念でしかないというこです。

これと同じように常に、あるべき姿を前提にして語るともちゃんさんは独善的なのです。

これでは佐藤さんを正当に判断できないでしょう。 (2017.01.21 19:10:38)

Re:創価論法(01/03)   CLG2009 さん
ともちゃんさん
Fractalemodeさん


>私から見た佐藤さんのイメージはこんな感じです。
>佐藤さんは、脳の一部がやられて、その部分で
>「朝鮮・中国みんなダメ」と言うテープが回っているのです。

>私は、朝鮮や韓国の家系ではありません。
>友人に朝鮮人や韓国人がいますが、
>どうしても肩を持たなければならない関係ではありません。
>私は、朝鮮・韓国・中国に対して、
>利害関係はまったくありません。

ともちゃんさんが宗教家を目指しているのは知っています。

つまり、ともちゃんさんは人類愛を説かなくてはいけないという妄想にとりつかれているのだと思います。だから、日本、支那、朝鮮の現実が見えなくなっている、私はそう思います。

ともちゃんさんの世界では、人間は平等です。でなければ宗教は存在できないと思い込んでいるからです。私は秋興を興すことに全く興味がありませんが、宗教を持ちたがる人間のこころは研究しています。

既存の宗教の形をとらずに、新たな形の精神世界の教えのようなものが記憶科学の最終的な目的だと考えています。

そういう見方からすると、ともちゃんさんの宗教はあまりに世俗的です。

【韓国の反応】みずきの女子知韓宣言(´∀`*)の最近の投稿に面白いものがあります。今、隣国で反日教という「宗教」に、国家が滅ぼされようとしています。それを我々は、その歴史的な証人になっているのです。

http://oboega-01.blog.jp/archives/1063876042.html

これがまさに宗教、教条主義

「無明」というブログの人の投稿の日本語訳です。この感想を聞かせていただけますか。



(2017.01.22 04:20:10)

Re:キノコの性はnsex(沢山の性がある)(01/03)   CLG2009 さん
fractalemodeさん
ともちゃんさん


>佐藤さんにはそれがありません。むしろ、既成の概念を破壊しています。

>しかも、自分の一人の思考で組み立てています。

>哲学も知らず、宗教も知らず、良くもここまで持ってきたと思います。

自分でもそう思うことがあります。
日本に生まれたから可能になったと感じることがよくあります。フランスでは哲学をしていないと知識人として半人前なのですが、日本だと、そういう教養があるといいけど、なくても道理が通っていれば、認められます。



>しかし、何の既成概念に縛られずに、世界を作りあげるということはあり得るのだということです。

私には、自分の持つ言語習得能力が全ての出発点になっています。ただ、既成概念ではないですね。今まで、とってきた膨大なメモがあるのですが、それを読めば自分がどういう道筋を通ってきたかがわかるでしょう。多分、私が読み返すことはないと思いますが。
(2017.01.22 05:34:58)

反日教   ともちゃん さん
佐藤さん
fractalemodeさん

『今、隣国で反日教という「宗教」に、
国家が滅ぼされようとしています。
(2017.01.22 04:20:10)』

韓国に「反日教」が存在するのは、良く理解できます。
しかし、この宗教で、韓国が滅ぼされようとしている。
この意見には反対します。

韓国は「反日教」が、国家の精神的な支柱です。
これは、日本の「天皇教」と同じで、
「反日教」がなくなれば、韓国は滅んでしまいます。 (2017.01.22 12:13:41)

反日・反中国   ともちゃん さん
佐藤さん
fractalemodeさん

日本では、韓国の「反日教」が有名です。
しかし韓国は、「反中教」の国でもあります。

韓国は、中国に媚びへつらう様に見せます。
しかし、陰で中国の悪口を言う事で、
国家の精神的なバランスを取っています。
つまり韓国精神には、「表と裏」が存在します。

それは、韓国映画を見れば良く解ります。
韓国映画において、中国は徹底的な悪です。
中国と戦う者が、韓国の英雄なのです。
これは、まさに「反中教」の世界です。

以前、『不滅の李舜臣』と言う映画がヒットしました。
李舜臣(イ・シュンシン)とは、豊臣秀吉の朝鮮出兵の時に、日本軍とたたかった朝鮮の英雄です。
この映画は、日本にも来ています。

日本人に見せたらまずい所は、
ずいぶんカットされていると聞きます。
例えば日本人の兵隊が、
朝鮮の民間人の女性を暴行するシーンなどです。

韓国映画は中国にも輸出されています。
たぶん、中国人に見せたらまずいシーンは、
カットされていると思います。
要するに韓国・北朝鮮にとっては、
日本・中国が仮想敵国なのです。
反日・反中が、彼らの精神的な支柱になっています。

韓国は中国を、心の底から憎んでいます。
「反日」ばかりに光を当てると、
本質を見失うのではないかと思います。 (2017.01.22 14:09:58)

「視点」の外に出る   ともちゃん さん
佐藤さん
fractalemodeさん

韓国では、
『鳴梁(ミヨンリャン)』と言う映画がヒットしています。
李舜臣(イ・シュンシン)を主人公とした、反日映画です。

キム・ハンミン監督は、
日本人は本当の歴史を知らないと言っています。
日本人に、本当の歴史を教える為に、
この映画を日本でも上映してほしいと言っています。

私はこの作品を、佐藤さんに見てほしいのです。
韓国人は、日本人をどのように見ているか?
その「視点」が見えてきます。

しかし佐藤さんは、
この映画を見る能力に欠けているのではないかと思います。
「見てほしい」といいながら、次に手のひらを返したように「見る能力がない」と言うのは、論理的には矛盾しています。

私は今、佐藤さんの頭脳の狂った部分を指摘したいのです。
それは、佐藤さんの「視点」の問題です。
つまり佐藤さんは、自分の「視点」を、
日本人の外に出す事が出来ないのです。

fractalemodeさんは、次の様に言います。

『佐藤さんは既成の概念を破壊しています。
しかも、自分の一人の思考で組み立てています。
哲学も知らず、宗教も知らず、
良くもここまで持ってきたと思います。
そのことをともちゃんさんは見逃しています。
過小評価しています。
(2017.01.22 04:20:10)』

私には、この部分が理解できないのです。
「既成の概念を破壊する」と言う事は、
自分の「視点」を棄てて、
別の「視点」から見る事が出来ると言う事です。

日本人の「視点」の外に出る事が出来ない佐藤さんに、
「人間の視点の外」に出れるわけがないではないか?
これが、私の偽らざる感想です。
(2017.01.22 14:33:17)

離散的カオスとは権力を無差位化するポイント   fractalemode さん
ともちゃんさん
佐藤さん

>韓国は「反日教」が、国家の精神的な支柱です。
>これは、日本の「天皇教」と同じで、
>「反日教」がなくなれば、韓国は滅んでしまいます。

この発言は面白いです。

皮肉ですが、記憶科学の原理(離散系)の正しさを証明しています。

離散系をモデル化すると、

離散的カオス(Discrete Caos point)からスタートして、差位の流浪(離散系のメカニズム)を続けてまたDに戻るので、

D→D→D→(離散系)

と表現します。

〇で描けると良いのですが、これで我慢してください。

資本主義は意味のない兌換貨幣の離散的カオスの生成元である日銀Dからスータトして出世魚のように名前を変えて、とどのつまり、日銀に戻ってきます。

日本という国は権力のまったくない天皇という離散的カオスのDからスタートして、権力の構造である立法・司法・行政のメカニズムを介して、とどのつまり、権力の象徴である天皇に戻ってきます。

韓国は王朝が滅亡してしまったので、離散的カオスのDからスタートすることができない国家になってしまったのですね。

これが大きいですね。その代わりになる象徴が反日なのかも知れませんね。というのは、最後の王朝を滅ぼしたのが日本だったからですね。反日はその恨みではないでしょうか。

いずれにしても、韓国が存続するためにはDが必要なのですね。それが反日というのは悲しい民族ですけどね。

確かに地政学的に言ってもきびしい位置にありますね。

反日に変わるDを見つけなければ韓国の未来はないかも知れませんね。果たして見つけられるでしょうか。

そのヒントはアメリカにあるかもしれません。アメリカには王室がありませんから権力を無化するDがないように見えます。

しかし、離散系の循環が回っています。どこがDなのでしょうか。

それは、合衆国という衆制度にあるのではないでしょうか。大統領選挙のあの長い舌戦によって、すべての権力が一旦ご破算になるのですからね。

そういう観点からすると、日本も選挙が禊となりますので、天皇という存在は必然ではなくなります。

しかし、それでも、それは必要だというのが心情ですので、心情的Dということになるのでしょうね。

韓国に記憶科学の理論を教えてあげたらいかがでしょうか。 (2017.01.22 15:08:19)

Re:「視点」の外に出る(01/03)   CLG2009 さん
ともちゃんさん
fractalemodeさん


>私には、この部分が理解できないのです。
>「既成の概念を破壊する」と言う事は、
>自分の「視点」を棄てて、
>別の「視点」から見る事が出来ると言う事です。

>日本人の「視点」の外に出る事が出来ない佐藤さんに、
>「人間の視点の外」に出れるわけがないではないか?

ともちゃんさんは、韓国と言う国が、いかに日本の金と技術を利用してここまで来たことを知らないみたいですね。つまり、今後日本からの金と技術が流れなくなったら、単純に韓国だけでは経済的に行き詰まるということです。中国もそうですが、韓国は基礎技術が発達していません。工作機械や精密部品は日本からの輸入に依存しています。ノーベル賞などは夢のまた夢です。今までは、日本からの技術移転と安売り攻勢で日本の市場を奪ってきましたが、やっと日本の産業界も学習しました。韓国に技術移転すると必ずしっぺ返しを食らうと。ですから、今後日本の企業が韓国を支援することは、どんどん無くなると思います。

1つの国家が崩壊したのは、最近では東ドイツの崩壊くらいでしょう。裕福な西ドイツが東ドイツを吸収した形で統一が決着しましたが、朝鮮の場合、一見裕福に見える韓国が日本からの支援が途絶える形で崩壊し、北朝鮮に吸収されるというシナリオが今現実味を帯びています。

朝鮮人は確かに中国人が嫌いです。しかし、中国人に厳しく躾けられています。これは、犬の躾と同じ類のものです。だから、嫌いではあるけれども、本能的に中国には従うのです。今、THAADっ配備の決定をしたことで、韓流や中国への輸出品への規制が行われています。法律も作らずに、ただ、嫌がらせをしているだけです。しかし、これは効果があります。粗相をした犬に直ぐに罰を与えるのと同じです。

ともちゃんさんは、こういう部分に関して全く無知のようです。これは歴史を趣味としている人に共通していることなのでしょうか。

そしてどうして私が日本人の視点から出ないという発想になるのか全くわかりません。
(2017.01.22 19:42:38)

Re:離散的カオスとは権力を無差位化するポイント(01/03)   CLG2009 さん
fractalemodeさん
ともちゃんさん

>資本主義は意味のない兌換貨幣の離散的カオスの生成元である日銀Dからスータトして出世魚のように名前を変えて、とどのつまり、日銀に戻ってきます。

日本には金は天下の回りものという諺がありますが、この離散的カオスの更新循環を理論化できたら、ノーベル経済学賞をとれるかも知れませんね。

私は、経済学と言語学は、価値を研究する学問であり、同源であると考えています。これを誰かが証明してくれると嬉しいです。


>日本という国は権力のまったくない天皇という離散的カオスのDからスタートして、権力の構造である立法・司法・行政のメカニズムを介して、とどのつまり、権力の象徴である天皇に戻ってきます。

国の成り立ちというのは、往々にして同じようなサイクルを持っているのだと思います。天皇の役割という点で、非常に面白い指摘だと思います。


>韓国は王朝が滅亡してしまったので、離散的カオスのDからスタートすることができない国家になってしまったのですね。

>これが大きいですね。その代わりになる象徴が反日なのかも知れませんね。というのは、最後の王朝を滅ぼしたのが日本だったからですね。反日はその恨みではないでしょうか。

最後の王朝を滅ぼしたのは朝鮮人であって、日本人ではありません。両班出身の李承晩が王朝の復活を拒否しましたから。皮肉なことに、李王朝の最後の一人は日本から嫁いだ方子様でした。李承晩は自分が一番上になった時点で、王朝の存在が邪魔になっただけです。

反日は、小中華思想から来ています。親である支那には逆らえませんが、兄である朝鮮は弟である日本よりも偉いという考えです。ところが実際は、日本のほうが力も強いし頭もいい。それに対する逆恨みが募って反日になったと考えるとわかりやすいと思います。


>いずれにしても、韓国が存続するためにはDが必要なのですね。それが反日というのは悲しい民族ですけどね。

自分たちが悲しいと思っていないので仕方がないですね。哀れでも我々は何の施しもしてやってはいけないと思います。


>確かに地政学的に言ってもきびしい位置にありますね。

その中で、自ら独立することをよしとせずに、強国同士を戦わせることで生き延びてきた民族です。しかし、日本はそれに目覚めてしまいましたから、もうそれは通用しなくなっています。


>反日に変わるDを見つけなければ韓国の未来はないかも知れませんね。果たして見つけられるでしょうか。

無理ですね。断言します。


>そのヒントはアメリカにあるかもしれません。アメリカには王室がありませんから権力を無化するDがないように見えます。

>しかし、離散系の循環が回っています。どこがDなのでしょうか。

>それは、合衆国という衆制度にあるのではないでしょうか。大統領選挙のあの長い舌戦によって、すべての権力が一旦ご破算になるのですからね。

アメリカは、究極の資本主義だと思います。それと州に分かれているところも日本の藩制度と似ているかも知れません。ケネディーの時からかと思いますが、ホワイトハウスは一種の王室のような役割を持っています。


>そういう観点からすると、日本も選挙が禊となりますので、天皇という存在は必然ではなくなります。

選挙で選ぶ人たちは、どんどん変わります。それでも、変わらない天皇がいるということがどれほど大事なことかFractalemodeさんには分かっていないようですね。天皇がいなくなったら、易姓革命で国が乱れまくる中華帝国と同じことになりますよ。

>しかし、それでも、それは必要だというのが心情ですので、心情的Dということになるのでしょうね。

心情ではないです。


>韓国に記憶科学の理論を教えてあげたらいかがでしょうか。

そんな気持ちはさらさらありません。あの国が滅びても私は涙1つ流さないと思います。

(2017.01.22 19:57:58)

論理矛盾とパラダイム矛盾は区別するべき   fractalemode さん
ともちゃんさん
佐藤さん

>私はこの作品を、佐藤さんに見てほしいのです。
>韓国人は、日本人をどのように見ているか?
>その「視点」が見えてきます。

私も韓国ドラマはよく見ます。単純ですが面白いですね。その理由は日本のドラマは抑制が効いていておとなしいですね。キムチ文化と白菜文化の違いですかね。

>しかし佐藤さんは、
>この映画を見る能力に欠けているのではないかと思います。
>「見てほしい」といいながら、次に手のひらを返したように「見る能力がない」と言うのは、論理的には矛盾しています。

論理矛盾とパラダイム矛盾とは区別するべきでしょう。

>私は今、佐藤さんの頭脳の狂った部分を指摘したいのです。
>それは、佐藤さんの「視点」の問題です。
>つまり佐藤さんは、自分の「視点」を、
>日本人の外に出す事が出来ないのです。

韓国問題に関しては佐藤さんは裁判官の視点に立っているのではないでしょうか。その上で、情状酌量の余地がないと言っているのですね。

それに対してともちゃんさんは、韓国を弁護しているのですね。そういう構図ではないでしょうか。

>私には、この部分が理解できないのです。
>「既成の概念を破壊する」と言う事は、
>自分の「視点」を棄てて、
>別の「視点」から見る事が出来ると言う事です。

単なる視点転換とパラダイム転換とは区別したいですね。

企業のイノベーションは既成概念の破壊です。例えば、ロングテールなどです。

しかし、この程度では佐藤さんのいう人間の視点を消すという意味とは違います。

金利という概念は悪であるなどと言えば、かなり、破壊的でしょうが、それを言ったらおしまいですね。それぐらいのことを言っていると思います。

それが記憶科学です。なんで、科学に記憶という詞をつけなければならないのかです。

ともちゃんさんは初めからアカデミズムを信奉しているのですから、別の視点で見ると言ったときでも、それほど極論ではない既成の概念の破壊なのですね。

ほどほどの既成概念の打破じゃないでしょうか。

それほど、記憶科学はぶっ飛びです。

ですから、後はそれを受け入れられるかどうかだけですね。

ともちゃんさんには無理なんだろうなというのが私の感想です。

>日本人の「視点」の外に出る事が出来ない佐藤さんに、
>「人間の視点の外」に出れるわけがないではないか?
>これが、私の偽らざる感想です。

佐藤さんは人間を卒業していると思います。

もし、佐藤さんが人間なら記憶科学とは言わないと思います。

その象徴的な言葉が、物質的記憶です。何故、物質的記憶と言わなくてはならないのかです。何故、自然言語ではなく、記憶言語と言わなくてはならないのかです。

私が自然言語は連続だ。連続を乗り超えるための未来の言語が記憶言語なのだと言いました。それに対して佐藤さんはあまり言語だけを取り上げるのはおかしいという反論がありました。もっとメカニズムにも注目すべきだというわけですね。

これは、これで私の成果です。私の探究する方向が決まるからです。

ともちゃんさんはこれを追及と勘違いしています。猟師が獲物を追い詰めると言った追いかけっこです。そして、私が獲物に逃げられたと揶揄しました。

そんな発想では真理の発見はできません。

佐藤さんを人間ではないというと、佐藤さんはいや人間だというでしょう。

人間であって人間ではないという矛盾した存在だからです。

私は人間ではない方を強調しているだけなのです。

ともちゃんさんはこの思考にまだついてこられていないと思います。

続く (2017.01.22 20:19:34)

矛盾体   fractalemode さん
ともちゃんさん
佐藤さん


議論の構図を纏めてみました。

構図は複雑ですので、ともちゃんさんの言う、この世界は単純だということとはかなり違いますので、よくよくご賞味ください。


       矛盾体(パラダイム矛盾)
       佐藤さんの二つの顔
         ジキルとハイド
         アベルとカイン
人間ではない佐藤さん 人間としての佐藤さん
記憶の視点           人間の視点
人間の視点を捨てる      自分の視点

記憶科学ーーここに論理的合理性がないーー韓国批判
      だから私はコメントしない。
      ともちゃんさんはここに矛盾があると佐藤さんを批判している。
      これが論理矛盾。
      この矛盾と矛盾体(パラダイム矛盾)とは異なる。
      人間の視点を捨てろと言いながら人間の視点で韓国を批判している。
      韓国サイトから見ると日本はおかしい。
      固定観念の打破というよりは視点の転換にすぎない。

記憶科学ーーーーーーーーーーーーーーーーーアカデミズム科学

これは私は認める     ともちゃんさんはこちらのサイト

これが本当の既成概念の打破 こっちの世界での既成概念の打破はある。しかしこの議論では大したことではない。 (2017.01.22 20:29:04)

Re:論理矛盾とパラダイム矛盾は区別するべき(01/03)   CLG2009 さん
fractalemodeさん
ともちゃんさん


>>私はこの作品を、佐藤さんに見てほしいのです。
>>韓国人は、日本人をどのように見ているか?
>>その「視点」が見えてきます。

映画の噂はよく聞きますが、韓国人の作った反日映画に付き合っている暇はありません。


>韓国問題に関しては佐藤さんは裁判官の視点に立っているのではないでしょうか。その上で、情状酌量の余地がないと言っているのですね。

>それに対してともちゃんさんは、韓国を弁護しているのですね。そういう構図ではないでしょうか。

ともちゃんさんは、韓国や中国を養護することで、自分の中の何かを保とうとしているのだと思います。


>それほど、記憶科学はぶっ飛びです。

>ですから、後はそれを受け入れられるかどうかだけですね。

>ともちゃんさんには無理なんだろうなというのが私の感想です。

ともちゃんさんに受け入れてもらえることができれば、学問としての記憶科学も一歩進むことになると思います。ただ、それのカギは私にではなくともちゃんさんの方にあると感じています。



>佐藤さんは人間を卒業していると思います。

>もし、佐藤さんが人間なら記憶科学とは言わないと思います。

>その象徴的な言葉が、物質的記憶です。何故、物質的記憶と言わなくてはならないのかです。何故、自然言語ではなく、記憶言語と言わなくてはならないのかです。

卒業したとしても、やっぱり人間の肉体は持っていますから、ちゃんと古巣に戻ってきますよ。すべてが記憶という離散融合更新循環だと悟った時は、自分でも衝撃でしたが。前にも書きましたが、それがわかった日から数日、このまま研究を続けるか真剣に悩みました。自分が悪魔の力を手に入れるかも知れないと思ったからです。でも、そんなに簡単にそんな力は手に入らない。とにかく自分の好奇心を満たす方向で一歩々々前進することにしようと決めました。


>私が自然言語は連続だ。連続を乗り超えるための未来の言語が記憶言語なのだと言いました。それに対して佐藤さんはあまり言語だけを取り上げるのはおかしいという反論がありました。もっとメカニズムにも注目すべきだというわけですね。

Fractelemodeさんが「連続」だと思うのは、言語で限定された1つの枠内の事のような気がしますが、どうでしょうか。概念というのは言語による離散化によって生まれますが、一旦概念が定着すると、その枠内では「連続」になります。これの再離散化を行うきっかけが「矛盾」ではないでしょうか。



>佐藤さんを人間ではないというと、佐藤さんはいや人間だというでしょう。

>人間であって人間ではないという矛盾した存在だからです。

このブログを読んで、一人でも多くの人が人間を卒業できたらいいですね。ただ、完全に卒業してしまうと、普通の生活ができなくなるので、人間の籍(席?)は持ったままでですが。


>私は人間ではない方を強調しているだけなのです。

>ともちゃんさんはこの思考にまだついてこられていないと思います。

ともちゃんさんは、心の中で何かがストップをかけているのだと思います。そっちに行ってはダメだとささやいているのでしょう。 (2017.01.23 04:20:37)

人間天皇ではなく、記憶という天皇でもなく、天皇という記憶   fractalemode さん
CLG2009さん
ともちゃんさん

>>反日に変わるDを見つけなければ韓国の未来はないかも知れませんね。果たして見つけられるでしょうか。

>無理ですね。断言します。

この辺はもっと、人間佐藤さんの論理ではなく、記憶の論理で語ってほしい所ですね。これからということでしょうね。期待しています。

>選挙で選ぶ人たちは、どんどん変わります。それでも、変わらない天皇がいるということがどれほど大事なことかFractalemodeさんには分かっていないようですね。天皇がいなくなったら、易姓革命で国が乱れまくる中華帝国と同じことになりますよ。

ここは人間佐藤さんではなく、記憶の言語で語るべき最も重要なところですね。

記憶言語でなら、物質は物質的記憶ですので、人間は人間的記憶ですよね。そうであるなら天皇も天皇的記憶ですね。天皇は神から人間になったのですが、本当は人間でなく、記憶=記号(象徴)になったのですよね。

天皇は日本人にとって過去から未来へつなぐ記憶なのではないでしょうか。だとすると記憶の持続が重要なのであって、天皇だけが記憶の専売だというはおかしいように思えます。

人間天皇ではなく、記憶という天皇(象徴)でもなく、天皇という記憶(記憶そのもの=D)ですかね。

また、易姓革命が記憶の破壊であることをどう証明するのかですね。直観ではそうだとは思いますが、論理がわかりません。中国のマージャンはガラポンゲームです。似たようなゲームは日本では、ハレとケですね。

日常どこにでも離散的カオスの循環ゲームが存在しているのです。そのどれが良くて悪いのかの論理がこれまでのところ曖昧だと思います。

いずれにしても記憶の論理を重ねて、天皇がいなくなったら、易姓革命で国が乱れまくる中華帝国と同じことになるかどうかを証明しなければなりません。

私は連続化を生む自然言語を打破し、離散系を持続する方法を発見したいともいますので、そっちへ向かいます。

>>しかし、それでも、それは必要だというのが心情ですので、心情的Dということになるのでしょうね。

>心情ではないです。

心情というのは記憶の最も原始的な形態だと思いますが、もし、天皇という記憶が必要だという民衆の気持ちが心情でないとすると、何なのでしょうか。

心情は記憶ではないのでしょうか。心象風景は心情ですから、記憶です。人間的記憶です。物質的記憶、生命的記憶、人間的記憶、天皇的記憶と記憶の進化は綿々と続いてきました。

伝統文化は人間的記憶ですよね。従って、象徴天皇は人間的記憶であり、それを渇望する民衆の気持ちもまた人間的記憶ですよね。

こういう論理から合理的な説明が得られるのではないでしょうか。

ただ、一方的な、論理のない説明は科学とは言えません。まだ、未完成な記憶科学ではありますが、心情を題材として試みてはいかがでしょうか。

>>韓国に記憶科学の理論を教えてあげたらいかがでしょうか。

>そんな気持ちはさらさらありません。あの国が滅びても私は涙1つ流さないと思います。

そこが、人間佐藤さんではなく、記憶科学の佐藤さんらしいところですね。

どこかで、佐藤さんはブッダは悟りを拓いたが、これを公開するかどうか逡巡したが公開しなかった。後の弟子たちが勝手に解釈して広めたのだというようなことを言っていたと思いますが、まさにそれですね。

そのブッダが言った空即是色・色即是空は空⇔色ですから矛盾の循環です。そして、空とは離散的カオスなのですね。

ここにブッダと佐藤さん共通点があります。違いはブッダの教えは宗教になりましたが、佐藤さんのは科学です。

仏教は4000年の歴史がありますが、宗教化したために袈裟を着て経を説く仏教となり、末法となってしまいました。

お坊さんは朝刊であると揶揄されます。今朝(袈裟)来て、今日(経)読むからです。

その意味で、今日のインターネットは記憶の出前です。問題はコンテンツですね。トランプ大統領は記憶の配信者ですね。良いコンテンツだと良いのですが。

記憶科学は科学ですから、これからです。どんな衣を身に纏った科学になるのか楽しみですね。 (2017.01.23 10:40:38)

Re:人間天皇ではなく、記憶という天皇でもなく、天皇という記憶(01/03)   CLG2009 さん
fractalemodeさん
ともちゃんさん

>>>反日に変わるDを見つけなければ韓国の未来はないかも知れませんね。果たして見つけられるでしょうか。
>>
>>無理ですね。断言します。

>この辺はもっと、人間佐藤さんの論理ではなく、記憶の論理で語ってほしい所ですね。これからということでしょうね。期待しています。

朝鮮人は、自分たちの言語で「離散融合更新循環」することを放棄した民族だからです。それ故の事大主義です。


>>選挙で選ぶ人たちは、どんどん変わります。それでも、変わらない天皇がいるということがどれほど大事なことかFractalemodeさんには分かっていないようですね。天皇がいなくなったら、易姓革命で国が乱れまくる中華帝国と同じことになりますよ。

>ここは人間佐藤さんではなく、記憶の言語で語るべき最も重要なところですね。

社会通念や価値観が、生身の人間が同判断するかによって決まってしまうのが易姓革命の世界です。つまり、記憶の進化の蓄積がないということです。ヨーロッパでも、ある意味キリスト教が、価値観の連続性を保つ役目を持っていました。


>記憶言語でなら、物質は物質的記憶ですので、人間は人間的記憶ですよね。そうであるなら天皇も天皇的記憶ですね。天皇は神から人間になったのですが、本当は人間でなく、記憶=記号(象徴)になったのですよね。

>天皇は日本人にとって過去から未来へつなぐ記憶なのではないでしょうか。だとすると記憶の持続が重要なのであって、天皇だけが記憶の専売だというはおかしいように思えます。

日本には、いろんな形で記憶が継承されています。それを束ねるのが天皇ということになると思います。


>>>しかし、それでも、それは必要だというのが心情ですので、心情的Dということになるのでしょうね。
>>
>>心情ではないです。

>心情というのは記憶の最も原始的な形態だと思いますが、もし、天皇という記憶が必要だという民衆の気持ちが心情でないとすると、何なのでしょうか。

日本人は別に論理的に天皇が必要だと思って来たわけではないでしょう。今の世の中になって、天皇を否定する日本人が跋扈する世の中になって、それに対抗する意味で論理的に武装する必要が生じているのは事実ですが、日本という「離散融合更新循環」システムの中で、普通に機能していたのだということです。


>こういう論理から合理的な説明が得られるのではないでしょうか。

Fractelemodeさんは、いつも論理的論理的とおっしゃいますが、そういうアプローチをしているとともちゃんさんと同じになりますよ。ともちゃんさんはアカデミズム命ですが、Fractelemodeさんは数学命のようですから。

記憶科学は、数学を超越していると私は考えています。数学で判断することは記憶科学の究極の理解には妨げになるということです。


>ここにブッダと佐藤さん共通点があります。違いはブッダの教えは宗教になりましたが、佐藤さんのは科学です。

仏教徒の共通点があるのは、個人的には面白いと思いますが、記憶科学の構築にはあまり役に経ちません。ただ、仏教に興味がある人に記憶科学へのアプローチの近道になるかもしれませんが。


>その意味で、今日のインターネットは記憶の出前です。問題はコンテンツですね。トランプ大統領は記憶の配信者ですね。良いコンテンツだと良いのですが。

インターネット上は記憶が氾濫しています。その中で、事実とどのように則して考えるかがカギになるでしょう。


>記憶科学は科学ですから、これからです。どんな衣を身に纏った科学になるのか楽しみですね。

衣をまとうことは考えていません。
(2017.01.23 18:29:33)

記憶言語で語ってほしいです。   fractalemode さん
CLG2009さん
ともちゃんさん

>朝鮮人は、自分たちの言語で「離散融合更新循環」することを放棄した民族だからです。それ故の事大主義です。

この説明が差位の語り、記憶言語の文体なのですか。どうも不満足ですね。

この文から佐藤さんという発話主体を消した時、単なる歴史評論家の人間の誰かさんが、発言した内容と区別ができませせん。

離散融合更新循環をという述語を挿入したから記憶言語になるというものではありません。

未来の展望と言い換えて何も変わりません。易姓革命を廃棄するでもよいでしょう。

>社会通念や価値観が、生身の人間が同判断するかによって決まってしまうのが易姓革命の世界です。つまり、記憶の進化の蓄積がないということです。ヨーロッパでも、ある意味キリスト教が、価値観の連続性を保つ役目を持っていました。

佐藤さんの言いたいことは分かっています。それと記憶科学;記憶言語との接点がないということが気になっています。

その他大勢の評論家の言説と同じで、少し視点が違うというだけです。記憶の視点から見ると、こうなるというのが欲しいのですね。

>日本には、いろんな形で記憶が継承されています。それを束ねるのが天皇ということになると思います。

天皇が役目を担ってりることは了解できますが、可能性と必然性と現実性の観点から見ても、アメリカのような現象を記憶言語でどう説明するのかが分からなくなります。

続く (2017.01.24 11:01:31)

離散的カオスは数学から逃れられない   fractalemode さん
CLG2009さん
ともちゃんさん

>日本人は別に論理的に天皇が必要だと思って来たわけではないでしょう。今の世の中になって、天皇を否定する日本人が跋扈する世の中になって、それに対抗する意味で論理的に武装する必要が生じているのは事実ですが、日本という「離散融合更新循環」システムの中で、普通に機能していたのだということです。

日本にはあらゆる可能性(離散的カオス)があった。

そこから必然的に権力集中が生まれた。

そして権力の記憶として持続した。

それが天皇という記号の(現実)である。

この現実は常にカオスに差し戻される。

従って、あらゆる可能性になる。

この可能性は天皇ということを担保するものではない。

ただ、現在の現実として天皇が必要だという国民的共感(記憶)は存在する。

これが記憶言語文体です。拙劣ですが。

私は天皇反対論者ではありません。ただ、記憶科学で論理的に解釈するとこうなると言っているだけです。ところが、佐藤さんは、記憶科学とは関係なく、他の理論で語っています。そこが腑に落ちないところです。

>Fractelemodeさんは、いつも論理的論理的とおっしゃいますが、そういうアプローチをしているとともちゃんさんと同じになりますよ。ともちゃんさんはアカデミズム命ですが、Fractelemodeさんは数学命のようですから。

論理的という場合、佐藤さんが言っているのは西洋的な論理(自同律)のことです。

私のは唯識的論理(記憶科学に近い、矛盾律・容中律で語る論理)です。

相似相異がそうですね。

私の場合、これまでは相似の方に重点がありましたが、それは記憶科学によって修正されてきました。

数学についてはもっと矛盾論理的です。

佐藤さんの知っているのは自同律の数学だと思いますが、数学の本質は矛盾律・容中律を認める論理なのです。

記号の論理を含んでいるのですね。記号論理学について学んだ方が良いかと思います。同じ記号学の仲間なのですから。

数学の容中律の典型はカオスの式に現れています。

この式を記憶言語に変換すると、未来の記憶は現在の記憶と過去の記憶の積になるとなります。

未来の記憶=係数*現在の記憶*過去の記憶

この式の過去も未来も、現在という枠組みに入る項ですから、現在の中に相矛盾する記憶が同時に存在していることになり、西洋論理の自同律からすると矛盾です。

しかし、これは漸化式ですので、弁証法と同じく、時間によってその矛盾を解消しています。

しかも、現在と過去を離散して、*によって融合して、それを未来に送り込んで、更新しています。そして、未来が現在となり、現在は過去となり、離散的に繰り返して、持続し循環していますから、離散融合更新循環を満足しています。

これは数学というより算数です。

記憶科学は離散系の始まりを離散的カオスと置いたのですから、算数と切っても切れ離せなくなったのではないでしょうか。

記憶科学のカオスは算数のカオスとは違うのだなんて、今更言わないでしょうね。

かつて、記憶科学の離散と私の言う数学の離散とは違うと佐藤さんが言ったことがありますね。

私は、それがよく分かりませんでしたので、自然言語と記憶言語の違いをははっきりさせるために、連続とは何かを探究しています。これについても同様なことになります。

つまり、佐藤さんの離散は数学の概念から逃れられないということです。それを証明する予定です。

勝手に言葉を言い換えるのは結構なのですが、論理性に欠けると、結局、大事な虎の子を(記憶)を失うことになります。

未来の記憶科学の前に現れる人のためにも、ここはしっかりと議論したいところです。

続く (2017.01.24 11:09:57)

離散融合更新を繰り返すのはお経を読むようなもの   fractalemode さん
CLG2009さん
ともちゃんさん

>記憶科学は、数学を超越していると私は考えています。数学で判断することは記憶科学の究極の理解には妨げになるということです。

もちろんそれは否定しません。

それならそれで、どこが数学の限界なのかを見極める必要があると思います。

数学と言えども自然言語の延長にあります。

自然言語に限界があるならば、数学にもあります。

それは何なのかです。それを見極めないで、ただ、言うだけなら、問題の先送りです。

記憶言語が何であるかがまだはっきりしていない以上、自然言語で語るより仕方がありませんが、その弱点が何であるかをはっきりしておかなければなりません。

それはは佐藤さんの語りでもわかるように、曖昧だということです。

曖昧さは、時に雄弁なことがあります。

詩的表現はその極にありますね。

しかし、記憶を科学するというなら、曖昧では話になりませんね。

宗教の言葉は曖昧です。だから、数千年たった今でも、言っていることになんら変わらないのですね。

進化がないのです。

記憶は進化するべきなのですから、その進化した記憶言語は曖昧な言説を繰り返すだけでは科学とは言えないのではないでしょうか。

>仏教徒の共通点があるのは、個人的には面白いと思いますが、記憶科学の構築にはあまり役に経ちません。ただ、仏教に興味がある人に記憶科学へのアプローチの近道になるかもしれませんが。

上に述べたように、宗教全般に言えることですが、その欠陥は言説の曖昧さにあります。

ですから、記憶科学は曖昧さをクリアしなければなりません。そこを佐藤さんはどう克服しようと考えているのでしょうか。

数学もダメ、論理もダメ、心情もダメ、ダメダメ尽くしです。

記憶言語にすべてを頼るのもダメ、残るのはメカニズムだけです。しかし、これも同じ理由でダメ出しとなるでしょう。

メカニズムは物理の世界の専売です。ですから数学が出てきます。システㇺも同じです。離散系の系というのシステムの事です。ですから、佐藤さんはダメを自らの中枢に取り込んでいるのです。

ここに気が付いていないと思います。

私はその矛盾に気が付いておりましたので、物理の中に記憶のモロだしがあるのではないかと検討を付けて、物理現象を中にそれらを発見しようという狙いを定めました。

その例が、酸水素ガスのテーマに関連して、光を探究しているところです。

今は、離散と連続に絡まれて中断していますが。

今度は数学ダメ諭です。 まかなかこの樹海から出るのは大変ですね。

>インターネット上は記憶が氾濫しています。その中で、事実とどのように則して考えるかがカギになるでしょう。

この発言も、又、人間発言ですね。どこかの評論家と変わりがありません。皆んな、そう言っています。


>>記憶科学は科学ですから、これからです。どんな衣を身に纏った科学になるのか楽しみですね。

>衣をまとうことは考えていません。

結構なことです。所詮、衣は胡麻化しですからね。裸の王様は良くない譬えですが、裸の科学なら賞賛されるでしょうね。

衣は衣でも薄皮はダメですね。

すべての発言が、記憶科学・記憶言語らしい言説であるべきです。

それが一体どのようなものなのかが知りたいと思います。

それが示されなければ、私は数学、論理を使って、表現するしかありません。

それを使わなければ曖昧さと闘うことができません。

曖昧とは進化しないということですから、記憶進化の方針には反してしまいます。

数学と論理がすべてではないことは間違いのないことですが、今のところ、次善の策です。

佐藤さんからこれが記憶科学を構築する新しいツール(記憶言語)だというものが提示さえるまではこれで凌いでいくしかあません。

今のところ、佐藤さんは、離散融合更新循環だけを繰り返し強弁しています。まるで、坊主と同じです。

坊主は袈裟(記憶言語)を着てお経(離散系)を唱えるです。そうならないためには、記憶言語のスタイルを確立するべきだと思います。

私は、記憶科学に与えられた僅かな指針に従って、先に進んでみたいと思います。どんなダメ出しもサプリメントになりますので大歓迎です。

私事ですが、酢は最高のサプリメントですね。この凄さを医学アカデミズムが言わないのは、薬で飯を食っているという医療体制が破壊されるからだと思います。余談でした。
(2017.01.24 11:22:30)

Re:離散融合更新を繰り返すのはお経を読むようなもの(01/03)   CLG2009 さん
fractalemodeさん
ともちゃんさん

今までに何度も申し上げましたが、Fractalemode さんの探している記憶言語というのはないということです。

記憶言語という、何やら万能な科学があってそれですべてが説明できると踏んでらっしゃるようですが、そういうものはありません。なぜなら記憶科学には人間の視点はないからです。

つまり、人間の事象を説明するために記憶科学があるのではないのです。記憶科学を人間の生活のために応用することは今後あるかも知れません。しかし、記憶科学は人間を超越しています。

Fractalemodeさんは、今の科学に変わるあたらしい科学理論で、それを持ってすべてが説明できると思っているようですが、それこそ人間の視点を外していません。

今、記憶言語という話題で我々の話が咬み合わないのはこのためです。私が、支那や朝鮮、そして天皇の考察をする時、記憶という視点で説明を試みています。インターネット時代になって、記憶言語学は受け入れられる素地ができたとも考えています。しかし、これはあくまで人間「佐藤直幹」が考えているもので、記憶科学とは直接は関係がありません。記憶科学の一番の関心事は、人間という今の記憶の進化の段階の次に何が来るかということです。つまり、次の段階に人間の存在は不可欠ではあるが、全く新しい離散系が生まれるということです。

離散的カオスから太陽系が生まれたように、物質的記憶から生命的記憶が生まれたように、そして認知的記憶から言語的記憶が生まれたように、人間的記憶から新しい離散系が生まれるはずです。これを理解するために、全ての事象を記憶というキーワードで語ろうとしているのですが、それがFractalemodeさんの記憶言語ではありません。私の見ているのはもっと先の事です。だれかが空を指さした時、その指の先を見る人はいないでしょう。その先にある、何かを見ようとするはずです。今のFractelemodeさんは、空を指す指自体に何かがあると思っています。

(2017.01.24 14:16:35)

バカ修行   ともちゃん さん
佐藤さん
fractalemodeさん

以前にも、書かせていただきました。
私の修行は、バカ修行です。

バカだ、バカだ、俺はバカ。
ともちゃんバカバカ、俺はバカ。
白光(びゃっこう)信仰、すべてバカ。
バカだ、バカだ、俺はバカ。

これが、私の祈りです。

仏が現れたら、仏を殺せ。
神が現れたら、神を殺せ。
教祖が現れたら、教祖を殺せ。

これが、私の座右の銘です。
私は、自分のすべてを否定します。
その上で、私が信仰している宗教まで否定するのです。

バカだ、バカだ、俺はバカ。
ともちゃんバカバカ、俺はバカ。
創価学会、すべてバカ。
バカだ、バカだ、俺はバカ。
池田大作、すべてバカ。

創価学会の連中に、こんな祈りは出来ないでしょう。

『記憶科学は、数学を超越していると私は考えています。
数学で判断することは
記憶科学の究極の理解には妨げになるということです。
(2017.01.23 18:29:33)』

数学を超越しているのだから、
佐藤さんは、明らかに、科学者では在りません。
たぶん佐藤さんは、私と同じ宗教家でしょう。
fractalemodeさんは、
佐藤さんの「信仰告白」を、理論化しようとされています。

お二人の議論は難解です。
しかし、私のバカ修行には、大変、参考になります。
これからも、激しいバトルを期待しております。

バカだ、バカだ、俺はバカ。
ともちゃん修行は、愚の骨頂。
            合掌
(2017.01.25 03:28:14)

落石注意   fractalemode さん
CLG2009さん
ともちゃんさん

>だれかが空を指さした時、その指の先を見る人はいないでしょう。その先にある、何かを見ようとするはずです。今のFractelemodeさんは、空を指す指自体に何かがあると思っています。

今回の議論での最大の成果(落石注意)はこれですね。

記憶科学は未完成であり、未来の科学であるということは既に前から分かったっていたことですが、韓国批判に見られる言明が記憶科学とどう関係するのかがいまいち見えなかったのです。

今回で初めて、人間佐藤さんの言明だということが佐藤さんの口からはっきりと言明されたということです。

一般の人が、私のように錯覚することは当然だと思います。良く山登りをすると途中に落石注意という張り紙が出ていますが、それが今回出されたということです。

最も、注意書きが出されてもどう注意して良いかは分かりませんが、まあ、個人個人で対処するしかないでしょう。

月(悟り=記憶科学)を指す指(佐藤さんの言明)は、悟りそのものではない。月の存在を確認できたなら、指は不要である。これは禅語の語りです。

記憶言語が禅語に近いものだということのようですね。

これなら、禅語の通約可能性が出てきました。私は現成公案を通約すると宣言しました。佐藤さん自身が、禅語を語ってくれましたので、その可能性が見えてきました。

さて、これまでの議論の成果(私は得たもの)を確認しておきます。

*佐藤さんの韓国批判は記憶科学に立脚した言明ではない。
*記憶科学・記憶言語が完成されたものと見做してはならない。
*従って、佐藤語録には論理矛盾がある可能性があるが、それは今後修正される。
*論理矛盾の例
*数学は使わないと言いながら、記憶科学の核心部分は数学からの借りものである。
*それは、離散・差位・カオス・座標系である。
*定義が曖昧なために、論理を発展できない。
*定義をはっきりさせる、矛盾が出てくる。
*その典型が差位である。差位とは差を取ることであり、数学概念の距離である。
*距離とは空間距離であり、d=a-bである。つまり、空間概念を前提としていいる。
*差位とは空間差位である。一方で差を取るという用言は動詞であるから時間差位である。
*記憶言語が差位の語りなら、始めから時間空間を前提としたことになる。
*佐藤さんは時間空間の枠組みを使わないで差位だけ語ると言っている。
*時間空間(差位)を使わないで、差位(時間空間)だけで語る。これは論理矛盾である。

以上です。如何でしょうか。 (2017.01.25 09:17:37)

禅語が記憶言語のモデルになるのではないでしょうか?   fractalemode さん
ともちゃんさん
佐藤さん

私は宗教家ではないのであまり修行には関心がありませんが、ともちゃんさんの言うように記憶科学を科学したいという意図は持っています。もともとこのブログにお邪魔した動機が唯識の数学的表現の可能性を探求することだったわけですからね。そのことは変わっていないわけです。

そこで、今回初めて佐藤さんが悟りを指す指という禅語を引用しましたが、これが大きなヒントになります。記憶言語=禅語と理解できる可能性が出てきたからです。禅語を宗教的言語と解釈しないで、記憶の離散言語と解釈するのです。

離散系言語でもよいですし、差位の言語でもよいでしょう。とにかく記憶科学を語る言語です。仏教は宗教ではなく深層心理学であるという記憶説(アカシックレコード)もあるくらいですから、当たらずとも遠からずなわけですね。

そのように解釈すると月(悟り=記憶科学))は意外と簡単に獲得できるかも知れません。

続く (2017.01.25 10:41:33)

不非の技法(離散・即非論法)   fractalemode さん
ともちゃんさん
佐藤さん

禅には不非の技法というのがあります。不とは不連続(離散)、非とは非(肯定の否定)のことで、正に対する反です。

バカ修行に通じるところがありますね。

厳密には即非論法(レンマ=唯識論理=要中律=弁証法的矛盾体)ですね。

この不非の技法が記憶言語の核心になる可能性があるということです。

禅は何を離散化して、何を否定するのかでしょうか?

それは言語です。自然言語です。言語こそ悟りを妨げる元凶と見做しているのですね。

空とは不立文字です。つまり、文字は連続なのです。文字を否定して、離散化=意識を切断するのです。そのために瞑想という修行をするのですね。

ここで、私と禅は離散’決別)することになります。

修行するのではなく科学したいからです。でも、不非の技法だけは持ち帰ります。

言語の特性(副作用) ーーー(意識を連続化すること)

不非の技法 ー│ー│ー│ー

ともちゃんさんはバカ修行して何か成果がありましたか。恐らく何もないと思います。同じように達磨さんんは何も悟りを得られていなかったと思います。

不非の技法の不は不連続=離散化することですから、ここに記憶科学の離散との接点が見られます。

言語の本質は離散ですので、本来の姿に戻そうということです。

そのためには副作用を除去しなければなりません。そのためには座禅をしなければならないという分けですが、座禅が終わって日常に戻るとまた言語を使った生活するのですから、元の木阿弥です。

その点で、佐藤さんは記憶言語あると言ったので、その慧眼には鋭いものがあります。

ただ、記憶言語の論理がどうのようなものか、まだ、見えて来ていませんが、禅論理との同型性を見るなら、即非の論理となり、そこには膨大な禅語録がありますので、これを現代版に通約すると、記憶言語に変容させられると思うので鵜が如何でしょうか。

そうであるなら何も新しい文法をもった言語である必要はなく自然言語でよいわけです。論理が違うだけとなります。

そのあたりをもう少し堀下げてみます。

続く (2017.01.25 10:47:18)

不非の技法(離散・即非論法)の先に記憶言語がある?   fractalemode さん
ともちゃんさん
佐藤さん

不非の不は離散のことですが、例えば、春から夏になるという言語表現があります。

これは当たり前のことですが、当然、春→夏ということで、意識が連続化します。

これは縁起ですね。

春と夏の連続を切断するのです。春/夏ですね。春が夏になると思うのは当たり前だけれども、春が夏になるとは思わない。バカになるのです。

この表現は、相似あるが相異であるという言い方と同じです。

矛盾を受容するのです。矛盾の言語です。この矛盾は形式論理の矛盾ではなく、即非論理の矛盾です。

禅は即非の論理が基本ですから、{あるなし}という言い方が延々と続くのです。不生不滅、不増不減、無無・・・と続くわけですね。

このように禅語を記憶の視点で翻訳してやれば、誰にでも分かるようになると思います。

これまで、分かり難いことを禅問答みたいだと揶揄されてきたのは、禅論理が即非だったからであり、これを形式論理で理解しようとしてもちんぷんかんぷんだったわけです。

プロの宗教者サイドも、その論理の本質を理解していなかったために、誰にでもわかるようにと形式論理を使って、経典などを解説するものだから、ますます、意味不明になったり、本末転倒(輪廻転生)になっていったのだと思います。

春が夏になると思うから、花が散り、愛惜(苦)となります。

生と死は連続しますから、それは恐怖となり、苦となります。つまり、苦の原因が連続という意識にあるということです。

では、記憶言語を開発するということは、この自然言語を支えている論理を即非に換えることだろうということは見えてきましたがいかがでしょうか。文法はそのままでよいのです。論理の形式だけが問題だということです。

禅語禄を記憶言語(即非論理)に変えたからと言って、悟り(記憶科学)が得られるかどうかの保証はできませんが、試してみる価値があると思いますがいかがでしょうか。
(2017.01.25 10:50:33)

Re:バカ修行(01/03)   CLG2009 さん
ともちゃんさん
fractalemodeさん


>仏が現れたら、仏を殺せ。
>神が現れたら、神を殺せ。
>教祖が現れたら、教祖を殺せ。

>これが、私の座右の銘です。
>私は、自分のすべてを否定します。
>その上で、私が信仰している宗教まで否定するのです。

それで何か残るものがあるのですか。それでも否定できないものがあるということでしょうか。


>数学を超越しているのだから、
>佐藤さんは、明らかに、科学者では在りません。
>たぶん佐藤さんは、私と同じ宗教家でしょう。
>fractalemodeさんは、
>佐藤さんの「信仰告白」を、理論化しようとされています。

確かの今の科学の枠組みでは宗教の分野に足を突っ込んでいると思います。しかし、今世界で、真面目に科学と宗教の枠を取っ払おうという動きがあるのも事実です。

どん詰まりに来たので、仕方なくこういう発想になっているのだと思いますが、私にとっては一種の追い風になる可能性もあります。


>お二人の議論は難解です。
>しかし、私のバカ修行には、大変、参考になります。
>これからも、激しいバトルを期待しております。

私もFractalemodeさんの投稿は全て理解できているわけではありません。何度か読んでみて、これはいい、これは違うと感じたことだけに反応しています。

(2017.01.25 18:42:44)


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